第14話 第一の欺瞞『如是我聞』【6】

文字数 1,115文字

【6】

 加えて、『シンガポール陥落』の文中には、暴走する軍部を暗に牽制しているのではないかと思われる一節がある。

【日々応接にいとまなき戦果のうちには天佑によるものも数ある事を知ると、吾々は謙譲な気持ちにならないではゐられない。天吾れと共に在り、といふ信念は吾々を一層謙譲にする。】

 私はこれを、志賀直哉の巧みな名文だと思っている。

 この『シンガポール陥落』がラジオ放送されたことを考慮すれば、相次ぐ戦勝に沸き立つ当時の世相の渦中において志賀は、軍部と国民に向け「まぐれで勝っているのだ。いい気になってはいけない」と警告を発しているように私には思えてならないのだが、残念ながらこのような解釈は、これまで一顧だにされていなかったのではないか。

 『惜別』を戦後改変した太宰の姿勢に、私が不信感を覚えるのには、瀧井孝作の『戦場風景』という作品の存在がある。

【「戦場風景」、これは昭和十三年秋、内閣情報局の要請を受け、文士として武漢作戦に従軍、揚子江を遡行した時の、僅か四日間の陣中日記を百枚余の作品にまとめたものだが、前半と後半部分と、執筆時期に約十年のへだたりがある。此の十年間で国の運命は激変し、世相人心共に大変な変わり方をしたのだから、武漢前線より帰国後すぐ書いた初めの二十数枚、敗戦後の八十枚、文章のトーンに多少の違いが生じているかというと、そんな痕跡は一切みられないのであった。支那事変初期執筆の文章に、皇軍礼賛の片言も出て来ない代わり、日本降伏後、一億総懺悔風の時流が、旧陸軍将兵の姿を描く筆に影響を与えた気配も全く無く、窺えるのは、自分が印象深くしかと眺めて来た戦場の風景を只ありのまま勁くリアルに描出しておきたいという筆者の不敵な面がまえだけ】
(阿川弘之『志賀直哉』)

 この『戦場風景』評の中の、

【支那事変初期執筆の文章に、皇軍礼賛の片言も出て来ない】

 という一節が、太宰の『惜別』の卑近さを際立たせる。

 『惜別』と『戦場風景』は作者の執筆意図が違うという見方もあるだろうが、『戦場風景』の、

【自分が印象深くしかと眺めて来た戦場の風景を只ありのまま(つよ)くリアルに描出(びょうしゅつ)】する

 という姿勢は、それによって読者に対して戦争についての問題提起をするものとして、戦時中の作家の姿勢として高く評価できるものだと思う。

 太宰のような回りくどい玉虫色の手法を用いずとも、戦争をありのままの戦争として後世に書き残すことは、その時代に生きた作家の大いなる仕事であったと評価されべきものであろうし、文士徴用によって従軍したから戦争協力作家である、従軍していないから戦争協力しなかった、という単純で偏った見方は改められなければならないと私は考える。
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