第18話 第一の欺瞞『如是我聞』【10】

文字数 1,329文字

【10】

 前掲した文章の中の、【あるひは私のやうな巷の作家も、違つたところは無いのである。】を取り上げて、「戦時中、このように兵士と作家を同等に置いたところに作家としての太宰の勇気が現れている」という見方もあるようだし、太宰自身、この文章に「自分は芸術のためにいつかは散華する」というメッセージを込めていたのかもしれないが、もしそうだとして太宰はいったいそれを誰に発信していたのだろう。
 戦地の兵士に対してなのだろうか。それとも作家仲間に対してなのだろうか。
 私には、戦地の兵士がこの文章を読んで救われるとは、どうしても思えないのだが――。

 太宰の『十二月八日』や『散華』について、その内容を詳細に分析しさまざまな解釈をしながら、「太宰がそれらの作品において、戦時中の検閲の目をかいくぐって、ぎりぎりの反体制メッセージを発信していた」と唱える太宰研究者も存在する。

 太宰の作品を詳細に分析する作業は、確かに研究者にとっては興味と価値のあることだろう。
 しかし、こと「戦時下における作家の戦争協力」という事象に関して言えば、太宰の戦中の玉虫色の作品の中に、もし仮に反体制メッセージが隠されていたとしても、それはほとんど意味を持たないのではないだろうか。

 なぜなら、『十二月八日』は『婦人公論』、『散華』は『新若人』という大衆雑誌に掲載された作品だからだ。
 それらの読者の何割が、太宰の「隠された反体制メッセージ」(もし、それがあったとして)を読み取れるというのか?
 当時の状況では、おそらく一割にも満たないはずだ。
 それは、志賀の『シンガポール陥落』における、

【日々応接にいとまなき戦果のうちには天佑によるものも数ある事を知ると、吾々は謙譲な気持ちにならないではゐられない。天吾れと共に在り、といふ信念は吾々を一層謙譲にする。】

 という一節の真意が、現在に至るまでまったく理解されず完全に無視されている状況からも明らかであろう。

 仮に一割の人間が、太宰の「隠された反体制メッセージ」を理解したとして、あとの九割の人間が太宰のそれらの作品を読むことによって、「聖戦のロマンチシズム」を感じ、聖戦に対して高揚感を覚えたならば……、その作品はそれだけで立派な「体制協力」「戦争協力」のプロパガンダに加担したことになるのは自明の理である。

 また、『十二月八日』と『散華』が、戦後はどの作品集にも再録されなかった事実は前記した通りだが、その理由として、GHQの検閲によって発表できなかったという可能性は十分に考えられる。
 もしそうだとするならば、この二つの作品が「それらは戦争協力的作品であった」とGHQからお墨付きを貰ったことになる。

 太宰は、その生前に自身の全集発刊を企図していたが、GHQの検閲によって『十二月八日』と『散華』とが発禁になっていたとしたら、太宰にとって不都合なその二つの作品が全集に収められないという事実はまさに好都合だったはずだ。

 戦後、太宰は自身の「戦時中の都合の悪い作品」を、蔭でしっかりと封印しお蔵入りさせた上で(もしくはお蔵入りになったことを確認した上で)、戦時中全く作品を発表しなかった志賀の、唯一の短文を殊更(ことさら)(あげつら)って批判したのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み