第41話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【5】

文字数 1,305文字

【5】

 私は前章で、
『太宰が志賀に噛み付いた理由として、太宰の志賀に対する「極度の羨望と嫉妬」があったのではないか。』
 と書いたが、『回想の太宰治』にある次の一節は、それを裏付けるものだと思われる。

【当時A氏の「F」という長編小説が評判で、私は太宰に会ったとき「F」のことを話題にした。話題にしただけなのだが、これはよくなかった。そのときは何も言わなかった、あとあとまで、「お前はAの「F」をいいなんて言ったね」と言う廻しで、太宰という作家を前において、他の現存作家の名や作品を口にしたことを(なじ)った。】(同)

【初夏の頃太宰と町の本屋に入って、私が店頭の「若草」を手にとってみると、田中英光さんの「鍋鶴」が載っていた。前に戦地から送ってきた田中さんの米粒のような細字の原稿を太宰の言いつけで清書して「若草」編集部宛に送った、それが載っていたのだから、私は思わず、はしゃいだ声を出して太宰に知らせた。喜ぶかと思いの外太宰はニコリともせず、一言も口をきかず、その横顔のきびしかったこと…… 未だにそのときの彼の気持ちははっきりとわからないのであるが、つまりは作家は太宰治しかいないと思ってはいなくてはいけないということだったのだろうか。】(同)
 
 前者は結婚直前の、後者は結婚直後のエピソードだそうであるが、この嫉妬深さは強烈である。
 弟子の作品が世に出たにことについてさえ嫉妬している。
 この異常な「嫉妬」は、おそらく太宰の「幼児性」によるものであろう。
 太宰から「作家」の肩書きを取れば、ただの「幼児」なのではないだろうか。
 それは、美知子が語る次のエピソードに如実に現れている。

【二番目の子がお腹にあったので、重い野菜の束を持ち帰るのは容易でない。たびたびの買出しで一番辛かったのはこのときで、遅くなって無事に帰り着きはしたものの落とすかすられたか、腕時計がなくなっていた。
 玄関の戸を開けて、立ち迎えた太宰の顔を見るなり私は、時計をなくしたことを泣き声で訴えた。太宰は怒った顔で、時計なくしたって! 時計なんか買ってやらないからと、それだけ言ってひっこんでしまった。何かあたたかい、いたわりの言葉を求めて、その日の苦労を時計をなくしたことにこめて言ったのだが…… どうしてあんなにあの日、不機嫌だったのか、(中略)あの人は私が外出して、留守番役になることを好まない。遠くへ行って長く私が留守すると、きまって不機嫌である。そしてまた彼はいつも自分が被害者であらねばならない。あの場合、無情を怨んだのはむしろ太宰の方だったのだとようやく気がついた。】(同)

 これはまさに、母親に頼まれ一人で留守番をしている子供の精神状態である。
 母親の帰りが遅いと「自分は捨てられてしまったのではないか」と不安になる。
 不安で不安で居ても立ってもいられなくなり、ようやく帰ってきた母親の顔を見て、不安が怒りに変わりそれを母親にぶつけてしまうという図式である。

 太宰にとっては、常に「自身の苦悩」だけが問題であり、相手の「苦悩」など知ったことではない。その「幼児性」ゆえに、元々太宰には相手の心情を思いやる能力に欠けているのだ。
 
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