第16話 第一の欺瞞『如是我聞』【8】

文字数 1,070文字

【8】

 『十二月八日』という作品について、「筑摩書房 太宰治全集(昭和四十九年初版第六刷)第五巻」の「後記」にはこのように記されている。

【昭和十七年二月号の「婦人公論」に発表された。初版本は十七年六月博文舘の「女性」で、以後はどの創作集にも再録されなかった。】

 この事実をどう受け止めればよいのだろうか。
 私は、この事実を自分の推論を裏付けるものだと思っている。

 『十二月八日』は、戦時中の昭和十七年に出版された創作集にただ一度収録されたきりで、その後、戦後の創作集には全く再録されなかったのだ。

 戦後、太宰はこの作品を封印した――。

 自分にとって都合の悪い作品をしっかりと封印した上で、太宰は志賀の『シンガポール陥落』を一方的に批判したのだ。

 そして、太宰には『十二月八日』以上に玉虫色の作品がある。
 それは昭和十九年『新若人』三月号に発表された『散華』という短篇である。
 前掲の「後記」によれば、この短篇も、同年八月に刊行された短編集「佳日」に収録されただけで、「戦後の再録はない」のだ。
 その『散華』の書き出しはこうである。

【玉砕といふ題にするつもりで原稿用紙に、玉砕と書いてみたが、それはあまりに美しい言葉で、私の下手な小説の題などには、もつたいない気がして来て、玉砕の文字を消し、題を散華と改めた。】

 そして文中にはこのような一節がある。

【やはり私の友人、三田循司君は、ことしの五月、づば抜けて美しく玉砕した。三田君の場合は、散華といふ言葉もなほ色あせて感ぜられる。北方の一孤島に於いて見事に玉砕し、護国の神となられた。】

 この『散華』は、太宰を慕い親交のあった若者の死と、その一人である三田君の戦地からの手紙がモチーフになっている。その手紙はこんな内容だ。

【お元気ですか。
遠い空からお伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます。
この戦争のために。】

 そして太宰は、この手紙についてこう語っている。

【うれしかつた。よく言つてくれたと思つた。大出来の言葉だと思つた。(中略)私に「死んで下さい」とためらわず自然に言つてくれたのは、三田君ひとりである。なかなか言へない言葉である。こんな自然な調子で、それを言へるとは、三田君もつひに一流の詩人の資格を得たと思つた。】

 死地に赴き、死を覚悟した人間に対して、太宰の筆致は随分と尊大であるように私には感じられる。
 国内で銃後の守りを託された側の太宰は、いったいどのような立場から、戦地に赴いたこの若者に、【大出来の言葉】などと言えるのだろうか。
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