第31話 第一の欺瞞『如是我聞』【23】

文字数 1,091文字

【23】

 少し視点を変えて、志賀の『太宰治の死』から引用する。

【「新潮」の「如是我聞」は七月号のは読んだが、八月号の分は読まなかった。私は前から、無名の端書や手紙で、悪意を示される場合、ちょっと見れば分かるので、直ぐ火中するか、破って棄ててしまう事にしている。批評でも明らかに悪意で書かれていると感じた場合、先は読まない事にしている。私にとって無益有害な事だからであるが、太宰君の場合は死んだ人の事だし、読まないのは悪いような気もしたが、やはり読む気がせず、読まなかった。今年十七になる私の末の娘が「如是我聞」を読んで、私の「兎」という小品文の中で、この娘がいった「お父様、兎はお殺せになれない」という言葉の事が書いてあるといって厭な顔をしていた。私は「お殺せになれない」で少しも変ではないと慰めてやったが、「そのほか、どんなことが書いてある」と訊いたら、「シンガポール陥落のことが書いてある」と答えた。「分かった分かった」と私はそれ以上聴かなかったが、書いてあることは読まなくても大概分かった気がした。】

 以上、志賀の『太宰治の死』から長い引用をしたが、結局、太宰の『如是我聞』は、志賀にとっては、『無名の端書や手紙で、悪意を示される場合、ちょっと見れば分かるので、直ぐ火中するか、破って棄ててしまう』ような存在でしかなかったことが判る。

 太宰の血を吐くような挑戦状も、志賀の所謂「大人の処世術」の前には、糠に釘だったということなのだろう。
 志賀は、『斜陽』を少し貶されたぐらいで逆上するような太宰とは役者が違うのだろう。
 
 志賀はこれまで、散々、自分や自分の作品に関する悪口雑言を書いた郵便物を受け取り、悪意のある批評を目にしていたのだ。
 志賀が全盛期の当時から、巷間「小説の神様」と称された志賀に反感を覚える者は少なからずいたし、作品も批判されていた。
 志賀が十六年の歳月をかけて完成させた唯一の長編『暗夜行路』は、完成発表直後から、「壮大な失敗作」との見方をされたり、その構成面では「前編と後編の統一感がない」とか「主人公の視点がいつの間にか主人公の妻の視点にすり替わっている」などの指摘を受けたりしていた。

 これは前に引用したように、

【ある事柄に関し、これは説明を添えておかないともはや一般読者に通じにくいかも知れぬ、しかし説明すれば全体の調子が弱くなる、そういう場合、迷わず、説明しない方を取った。】
(阿川弘之『志賀直哉の生活と芸術』)

 という志賀の創作姿勢によるものだが、志賀は「判る人間にだけ判ればよい」という姿勢を崩さなかったし、そのような批判にも超然としていた。
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