第93話 終章『最期の逆説』【8】

文字数 798文字

【8】

【父は自分を贅沢三昧な生活に馴染ませておきながら、あとになって金を惜しがりだした。最初から小言などせずに、あとで出してくれただけのものを清く出してくれたら、自分はちゃんと生活のきりもりをつけて、欠乏に駆り立てられずに済んだのだ。(中略)もうこうなったら、こちらがねだるだけの金額をくれなかったら、自分は自殺してやる……】

 まるで青年期の太宰の独白のような文章である。
 しかしこれは、晩年のトルストイの思想を伝える短篇といわれる、『光あるうちに光の中を歩め』の一節である。
 放蕩生活の果てに身を持ち崩した富豪の息子ユリウスの科白なのだ。

 放蕩息子ユリウスは、友人のパンフィリウスの導きによって、放蕩生活を捨て幾度か信仰の道に入ろうとするが、そのたびに現世の汚辱にまみれた生活に引き戻される。
 その後、社会的に成功をおさめ富豪となったユリウスだが、自分の息子の放蕩に苦しめられ、また、新たな皇帝の不興を買い、追放されかねない事態におちいる。
 ここにきてユリウスはようやく信仰の道に入る決意をし、キリスト教者の共同体に身を投じる。
 そして、トルストイはユリウスに次のような晩年を与える。

【兄弟たちのために全力を傾注して労苦しつつ生活を続けた。こうして彼は、喜びのうちになお二十年生き延びた。そして肉体の死が訪れたのも知らなかった。】

 物語のその結末は、トルストイ自身が望む、理想の最期を描いたものだろうと思われる。

 トルストイが分け入った信仰の道は、現世的には茨の道だったが、トルストイは負けなかったし逃げなかった。
 トルストイと太宰を対比するには、太宰の行動が卑近過ぎる気がしないでもないけれど、考えてみれば、『如是我聞』は、太宰が自分自身に課した「茨の冠」ではなかったか。
 そして、当時、病苦に心身をすり減らしていた太宰の「最期の逆説」であり、精一杯の「最期の実践行動」だったのではないのか。
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