第4話 序章【もう一つの遺書】【2】

文字数 893文字

【2】

 そう考えて、仮に太宰をイエスになぞらえてみれば、彼をめぐる女性達と彼の取り巻き連中は、さしずめ十二使徒にあたるのだろう。
 その中でも、妻美智子は別格のペテロであり、太田静子はさしずめヨハネだろうか。
 その二人は太宰の作品の成立に深く関わっていた。
 太田静子がいなければ『斜陽』は世に出なかっただろうし、妻美智子がいたからこそ生み出された太宰作品も少なくない。

 一方富栄は、太宰に惚れぬいて尽くした挙句、全財産を貢いでさえいた愛人であったが、はたして彼女に太宰の文学の本質が理解できていたのだろうか。
 太宰も、富栄に対して芸術の理解者を求めてはいなかっただろう。
 そして、富栄自身もそれを自覚し、そのことを少なからず(ひが)んでいたようにも思える。

 富栄は、太宰の文学はおろか太宰の本来の人間性さえ理解できていたかどうか判らない。
 富栄は、太宰を誤解したまま愛し、ただひたすら盲目的な献身を太宰に捧げていたのではないのか。
 それはまるでイエスを理解することなく盲目的にイエスに仕えたユダのように。

 現に当時の太宰は、富栄を「すたこらサッチャン」と呼び、取り巻き連中に対しては、富栄を秘書兼家政婦のように吹聴していたそうだし、そのうえ、富栄は太宰の最晩年の遊興費のほとんどを負担しており、相当な額の貯金を使い果たしていたと云われている。

【私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のやうに欲が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせつせと貯めたつても、すぐにそれを一厘残さず、無駄な事に使はせてしまって、けれども私はそれを恨みには思ひません。あの人は美しい人なのだ。】

【宿舎の世話から日常衣食の購入まで、煩をいとはず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言はない。お礼を言はぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労も知らぬ振りして、いつまでも大変な贅沢を言ひ――】

 太宰が『駆け込み訴へ』の中で描いた、イエスに対するユダの心情と、生活力の全く無い太宰を物心両面でサポートした富栄の姿は、ピタリとまるで合わせ鏡のように重なる――。

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