第50話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【14】

文字数 1,102文字

【14】 

 葛西は終生貧困の中に生きた人間だった。
 恒常的貧困の中、彼は数多くの人々に金銭的不義理を繰り返して人生を終えた。
 そんな葛西の貧困について、鎌田慧氏の手になる評伝によれば、このように書かれている。

【葛西は、「毒をふくみ、解毒剤のない」リアリズムを目指していた。それでいながら、
 彼の作品には、「子を連れて」などによくあらわれているような、ペーソスとユーモアがふくみこまれている。
「僕の貧乏はかなりひどい。多少ユーモアの影さえ感じられて来たようだ」
と葛西は友人の光用穆に書き送っているが、土壇場のユーモアは、観照を旨とする心境小説とは似て非なるものである。】
(講談社学芸文庫 葛西善三『悲しき父・椎の若葉』解説)

 ちなみに、葛西と同世代の作家内田百閒も、業病の如き借金人生を生きながら、その自分の有様を淡々と描いた随筆は、読んでいて笑みが漏れるほど面白い。
 百閒の場合は、無限の借銭にまみれた生活にあって悲惨の渦中にいながら、その悲惨はなぜか他人事のようであり、作品には感傷的な表現は一切ない。
 そこに書かれているのは、悲劇を自覚せず、当事者の立場から全く離れて書かれている喜劇だけだ。
 それも、本人は喜劇を書いている意識すら全くない。

 太宰も、百閒のように自分の人生と作品を徹底的に客観視する生き方、言い換えれば「究極の主観的生き方」ができたなら、あのような死に方をすることもなかったのではないだろうか――。

 太宰は戦後発表した『十五年間』(昭和二十一年)の中で、自分の戦中の貧困についてこう書いている。

【しみつたれた事を言ふやうであるが、生活費はどんどんあがるし、子供は殖えるし、それに収入がまるで無いんだから、心細いこと限りない。当時は私だけでなく、所謂純文芸の人たち全部、火宅の形相を呈してゐたらしい。しかし、他の人たちにはたいてい書画骨董などといふ財産もあり、それを売り払つてどうにかやつてゐたらしいが、私にはそんな財産らしいものは何も無かつた。これで私が出征でもしたら、家族はひどい事になるだらうと思つたが、たうとう私には召集令状が来なかつた。安易にこんな事は口にしたくないが、神の配慮といふ事を思はずにはゐられない。私はねばつて、とにかく小説を書きとほした。】

 私は、この文章の『とにかく小説を書きとほした。』以外、ほとんど太宰の虚構だと思っている。
 この文章の全てが太宰の自己弁護である。
【たうとう私には召集令状が来なかった】の一節については、「太宰は肺疾患を利用して徴用忌避をしたのではないか?」という見方すらあるし、作品上の戦争協力についてはこの文章で前述した通りである。
 
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