第36話  第二の欺瞞『韜晦の仮面』【序】

文字数 943文字

【序】

 太宰は、作品と人物とのギャップが甚だしい作家だったらしい。

【太宰は、大食漢であり、人一倍食い意地がはっていた。それは、高校時代の友人や多くの作家仲間が追悼文のなかで言及している。
 東京へ出てきたときは、下宿の棚の奥にカニやみかんの缶詰ほか保存食を宝物のようにしこたましまいこみ(中略)思い立てばひたすらガツガツと食べた。その食い散らかし方はなにかに復讐するような異常さで、訪問した高校時代の友人は見ているだけでつらくなったという。】
(嵐山光三郎『文人悪食』)

【壇一雄は、栄寿司という店で太宰が鶏の丸焼きを指でむしって裂きながら、ムシャムシャと食っては飲んだ狂乱の姿を見て、「大きく開く口のなかから、太宰の金歯が隠見して、頭髪を振り乱して鶏をむしり裂く姿は悪鬼のようだった」という。】(同)

【太宰はよく笑う人であった。酒が入ると長身を折り曲げて、眉を波うたせて顔中くしゃくしゃにして笑ったという。壇一雄や伊馬春部といった友人たちの回想記をよむと、豪放磊落な太宰の一面がそこかしこに出てきて、太宰が書く小説との誤差にとまどうのである。】(同)

 晩年の太宰の写真には騙されてはいけない。
 太宰の愛読者は、太宰の作品を読みながら、あの、伏し目がちの、削げた頬に頬杖した憂い顔を思い浮かべているのだろうが、本来の太宰はあんな優男ではないのだ。

 実像と作品のギャップが甚だしい作家という意味で、太宰には大先輩がいる。
 それは石川啄木だ。
 啄木の浪費癖、借金癖、すさまじいまでの自己中心的な人生、傲慢不遜な性格、放蕩と好色無頼な生活など、今では周知の事実となっているが、それを知れば、彼の繊細で感傷的な短歌はあくまでも彼の心象の中だけにある虚構として、全く違った意味を持ち始めるようにも思える。

 また『文人悪食』の引用になるが、啄木について書かれている一節で、太宰が『如是我聞』を書くに至った精神構造を知る手懸りになるようなものがあった。

【啄木は金を借りた相手に感謝することはない。それのみか、金を借りた相手をののしり、憎んでいる。金を借りることのうしろめたさが逆作用となって、痛罵になるのだが、その根底に、自分は天才詩人であるから、他人はほどこしをして当然だという思いあがりがある。】(同)
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