第1話【改稿の辞】
文字数 795文字
【改稿の辞】 2023年 6月
太宰の遺書には、「井伏さんは悪人です」なる一句があったと云う。
それについて、太宰の自死の半年後に、佐藤春夫が『井伏鱒二は悪人なるの説』との一文を発表してみせた。
その要旨はつまるところ、
「太宰の弁を推測すれば、井伏は自分にとって月下氷人(縁結びの神)であり、自分に家庭を持たせたことで、その後の自分が苦悩する原因を作った悪人だ! と太宰が自己弁護しているのである」
と云うものであった。
後年、猪瀬直樹が『ピカレスク ― 太宰治伝』のなかで、井伏鱒二の数々の盗作疑惑を取り上げ、太宰の「井伏さんは悪人です」の一句と結び付けた。
しかし、仮に井伏に盗作疑惑があったとし、それを太宰が知っていたとしても、当時の太宰がそのことを弾劾する立場になかったことは明白であろうと私は考えている。
太宰の死から75年を経た現在でも、太宰文学に魅了される読書子は数多く、太宰の足跡を事細かに追ってブログで発表している研究者然とした人もいる。
なかには、「太宰の自死の前日まで、太宰の行動や足取りには、自死を感じさせる気配が全くないのだ」などと、不可解極まりないと云ったふうに疑問を呈しておられる人も見受けられる。
私がここで、これから展開しようとする駄文は、太宰を弾劾しようとする文章なのだが、それはもう10年も前に書いたもので、現在となってはいささか稚拙なものである。
そして、私が10年前にはまったく見過ごしていた、太宰の最晩年の短編『おさん』の一節を思い出して再読し、「ああ、太宰は自覚していたのだな、知ったうえでもやむを得なかったのだな」と、太宰の胸の内を忖度し分かったつもりになって、小さな共感を覚えたりしているのである。
そのような訳で、駄文の結末を改稿することとし、「これからまた奇特な読書子の目に留まれば」と夢想しつつ、この場を借りて発表したいと考えている。
太宰の遺書には、「井伏さんは悪人です」なる一句があったと云う。
それについて、太宰の自死の半年後に、佐藤春夫が『井伏鱒二は悪人なるの説』との一文を発表してみせた。
その要旨はつまるところ、
「太宰の弁を推測すれば、井伏は自分にとって月下氷人(縁結びの神)であり、自分に家庭を持たせたことで、その後の自分が苦悩する原因を作った悪人だ! と太宰が自己弁護しているのである」
と云うものであった。
後年、猪瀬直樹が『ピカレスク ― 太宰治伝』のなかで、井伏鱒二の数々の盗作疑惑を取り上げ、太宰の「井伏さんは悪人です」の一句と結び付けた。
しかし、仮に井伏に盗作疑惑があったとし、それを太宰が知っていたとしても、当時の太宰がそのことを弾劾する立場になかったことは明白であろうと私は考えている。
太宰の死から75年を経た現在でも、太宰文学に魅了される読書子は数多く、太宰の足跡を事細かに追ってブログで発表している研究者然とした人もいる。
なかには、「太宰の自死の前日まで、太宰の行動や足取りには、自死を感じさせる気配が全くないのだ」などと、不可解極まりないと云ったふうに疑問を呈しておられる人も見受けられる。
私がここで、これから展開しようとする駄文は、太宰を弾劾しようとする文章なのだが、それはもう10年も前に書いたもので、現在となってはいささか稚拙なものである。
そして、私が10年前にはまったく見過ごしていた、太宰の最晩年の短編『おさん』の一節を思い出して再読し、「ああ、太宰は自覚していたのだな、知ったうえでもやむを得なかったのだな」と、太宰の胸の内を忖度し分かったつもりになって、小さな共感を覚えたりしているのである。
そのような訳で、駄文の結末を改稿することとし、「これからまた奇特な読書子の目に留まれば」と夢想しつつ、この場を借りて発表したいと考えている。