第44話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【8】
文字数 1,286文字
【8】
それに加えて、太宰の精神の不安定さと幼児性と嫉妬深さの根底にあるものは、幼児期の両親、特に「母親に対する愛情飢餓」が挙げられるのではないか。
幼い頃は叔母と乳母に養育され、物心ついてからは、両親と離れて生活していた太宰は、心底から親に甘えるという経験のなかった人間だったのだろう。
逆に言えば、太宰は両親以外の人間からは多くの愛情を注がれていたから、愛し方も愛され方もそれなりに身につけてはいたものの、太宰の心の中では両親の存在だけがポッカリと抜け落ちていた。
それこそが、太宰のアイデンティティーの脆弱さの要因だったのではないかと推測される。
生活環境は恵まれすぎるほど恵まれており、生活の全てを人任せで過保護に育ちながら、両親の愛情と躾を知らない、という子供が大人になったら……。
太宰は、現代社会が抱える病理の、まさに先駆けだったと言えるのではないだろうか。
太宰は、自分自身と正面から向き合うことに耐えられず、そこから逃げるように多くの人間と関わった(もしくは道連れにした)が、本来太宰は自分自身の内面だけを自分の住む世界としていた。
だから、外界との交渉は最小限に抑えるか、自分が道化の仮面を被るか、相手を懐柔するか、懐柔されない相手は矮小化するか、それが太宰の処世術だったように思える。
美知子は、太宰と外界との関係について次のようにも述べている。
【こんどは太宰を散歩に誘っても蛇が怖いといって、着いたきり宿に籠って酒、酒である。これでは蓼科に来た甲斐がない。この人にとって「自然」あるいは「風景」は、何なのだろう。おのれの心象風景の中にのみ生きているのだろうか…… 私は盲目の人と連れ立って旅しているような寂しさを感じた。】(同)
次に引用するのは、太宰の『畜犬談』があながち誇張でもなかった思わせるものであるが、美知子はそのエピソードから、太宰の処世術を的確に見抜いている。
【それほど犬嫌いの彼がある日、後についてきた仔犬に「卵をやれ」という。愛情からではない。怖ろしくて、手なずけるための軟弱外交なのである。人が他の人や動物に好意を示すのに、このような場合もあるのかと、私はけげんに思った。怖ろしいから与えるので、欲しがっているのがわかっているのに、与えないと仕返しが怖ろしい。これは他への愛情ではない。エゴイズムである。彼のその後の人間関係をみると、やはり「仔犬に卵」式のように思われる。】(同)
太宰の本質を見抜いた太宰評であるが、この直後に続く美知子の短い言葉はあまりに正鵠を得ていて脱帽せざるを得ない。
【がさて「愛」とはと、つきつめて考えてみると、太宰が極端なだけで、本質的にはみなそんなもののようにも思われてくる。】(同)
「愛」とは究極的には「エゴイズム」の発露であろうし、その点まさに美知子の言う通りなのであるが、太宰の身勝手に振り回された当事者として、このようにクールに言い切れる美知子とは、ある種の女傑であると思う。
妻の立場からすれば、夫の一方的な過失にしか取れない太宰の不行跡の数々を、全て受け入れたかのような言葉である。
それに加えて、太宰の精神の不安定さと幼児性と嫉妬深さの根底にあるものは、幼児期の両親、特に「母親に対する愛情飢餓」が挙げられるのではないか。
幼い頃は叔母と乳母に養育され、物心ついてからは、両親と離れて生活していた太宰は、心底から親に甘えるという経験のなかった人間だったのだろう。
逆に言えば、太宰は両親以外の人間からは多くの愛情を注がれていたから、愛し方も愛され方もそれなりに身につけてはいたものの、太宰の心の中では両親の存在だけがポッカリと抜け落ちていた。
それこそが、太宰のアイデンティティーの脆弱さの要因だったのではないかと推測される。
生活環境は恵まれすぎるほど恵まれており、生活の全てを人任せで過保護に育ちながら、両親の愛情と躾を知らない、という子供が大人になったら……。
太宰は、現代社会が抱える病理の、まさに先駆けだったと言えるのではないだろうか。
太宰は、自分自身と正面から向き合うことに耐えられず、そこから逃げるように多くの人間と関わった(もしくは道連れにした)が、本来太宰は自分自身の内面だけを自分の住む世界としていた。
だから、外界との交渉は最小限に抑えるか、自分が道化の仮面を被るか、相手を懐柔するか、懐柔されない相手は矮小化するか、それが太宰の処世術だったように思える。
美知子は、太宰と外界との関係について次のようにも述べている。
【こんどは太宰を散歩に誘っても蛇が怖いといって、着いたきり宿に籠って酒、酒である。これでは蓼科に来た甲斐がない。この人にとって「自然」あるいは「風景」は、何なのだろう。おのれの心象風景の中にのみ生きているのだろうか…… 私は盲目の人と連れ立って旅しているような寂しさを感じた。】(同)
次に引用するのは、太宰の『畜犬談』があながち誇張でもなかった思わせるものであるが、美知子はそのエピソードから、太宰の処世術を的確に見抜いている。
【それほど犬嫌いの彼がある日、後についてきた仔犬に「卵をやれ」という。愛情からではない。怖ろしくて、手なずけるための軟弱外交なのである。人が他の人や動物に好意を示すのに、このような場合もあるのかと、私はけげんに思った。怖ろしいから与えるので、欲しがっているのがわかっているのに、与えないと仕返しが怖ろしい。これは他への愛情ではない。エゴイズムである。彼のその後の人間関係をみると、やはり「仔犬に卵」式のように思われる。】(同)
太宰の本質を見抜いた太宰評であるが、この直後に続く美知子の短い言葉はあまりに正鵠を得ていて脱帽せざるを得ない。
【がさて「愛」とはと、つきつめて考えてみると、太宰が極端なだけで、本質的にはみなそんなもののようにも思われてくる。】(同)
「愛」とは究極的には「エゴイズム」の発露であろうし、その点まさに美知子の言う通りなのであるが、太宰の身勝手に振り回された当事者として、このようにクールに言い切れる美知子とは、ある種の女傑であると思う。
妻の立場からすれば、夫の一方的な過失にしか取れない太宰の不行跡の数々を、全て受け入れたかのような言葉である。