第60話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【24】

文字数 802文字

【24】

 志賀は『斜陽』を認める訳がないのだ。
 その理由は「作家的姿勢の問題」や「言葉遣い」などといった細々(こまごま)した指摘にあるのではない。
 志賀が『斜陽』を認めないのには、志賀の抜きがたい信念が背景にある。
 そのことは『リズム』(昭和六年)にこう書かれている。

【時代の流れに乗って仕事をする奴はその時、その時代がなければ何もしなかったかも知れぬ弱みがある。尊徳は時代の流れには没交渉の奴だった。むしろ時代の流れは尊徳に合わなかった。それでも尊徳は我流の一本槍で、維れ日も足らず、捨身に進んで如何なる時代にも普遍である教えを身を以って残して行った。実に強い。】

 この文章は志賀による二宮尊徳評であるが、この一節の前半は、太宰の『斜陽』と戦後の日本の世相との関係を見事に言い表している。
 『斜陽』という作品にとっては、戦後という「時代の流れ」が不可欠だった。

【尊徳は時代の流れには没交渉の奴だった。むしろ時代の流れは尊徳に合わなかった。それでも尊徳は我流の一本槍で、維れ日も足らず、捨身に進んで…… 】

 と書いた志賀は、尊徳を自分と重ね合わせたのかもしれないが、その言葉は、実は葛西善蔵にこそ相応しいのではないかと私は思うのだ。
 そのことは、尊徳を善蔵に代えて読めば一層明確になる。

「葛西善蔵は時代の流れには没交渉の奴だった。むしろ時代の流れは善蔵に合わなかった。それでも善蔵は我流の一本槍で、維れ日も足らず、捨身に進んで如何なる時代にも普遍である「私小説」を身を以って残して行った。実に強い。」

 なんとまあ、まさに正鵠を射た葛西善蔵評になってしまうではないか。

 志賀の『リズム』は葛西の死の三年後に書かれたものであり、志賀が葛西を意識してこの一節を書いたのではないことは明らかである。
 しかし、葛西とは一見対極に位置しているように見える志賀が、葛西の本質を語るような一文を残していたことは意味深長な偶然である。
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