第69話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【6】

文字数 1,186文字

【6】

 ――太宰は、『斜陽』で何を描きたかったのか? 
 没落貴族を描きたかったというが、一体没落貴族の何を描きたかったのだろう。
 戦争も描けていない。
 戦後も描き切れていない。
 古い道徳も新しい道徳も描けていない。
 太宰は、没落貴族の雰囲気を醸し出した恋愛小説を描きたかったのか? 
 太田静子の『斜陽日記』から、太宰が敢えて選んでトリミングしたパートを見ると、そう思えて仕方がないのだ。

 最後の三つ目は、太宰の『斜陽』と太田静子の『斜陽日記』を直接比較することで浮かび上がるものである。
 太田静子は、『斜陽』に自分の日記の一部がそのまま採用されたことを、単純に喜んでいたようだ。
 静子としては、『斜陽』は太宰と自分の共同作業によって生み出されたものだ、という認識さえ持っていたのかもしれない。

 実際、『斜陽』には、『斜陽日記』の記述を採用しながら、太宰がそこに加筆している部分もある。
 そのパートは表面上、太宰と太田静子の合作とも言えるだろう。
 その「合作」部分は、太田静子の思想を表わす『斜陽日記』のテーマとも言えるものであり、この部分だけは太宰も採用せざるを得なかったようで、採用した上に加筆までしているのだ。

 それは、『斜陽』の第五章の中盤に書かれているものである。
 まず、元となる『斜陽日記』から引用する。
 かなり長い引用になるが、その価値のある一文である。

 それは、その原文から太宰が何を取捨選択して『斜陽』に取り入れたかが明確になるからであり、そしてそれは、太宰の『斜陽』の創作意図を表わすものであり、『斜陽』の破綻をも暗示しているものだからである。
 以下は、太田静子の『斜陽日記』の中の文章である。

【お母さまのような方は、素直に当然のこととして、革命を迎えられるのだと思う。たしかに、私より、お母さまの方が、思想的なタイプであり、革命的な感覚の持主なのである。ローザ・ルクセンブルグの「経済学入門」、ここに書かれてあるのは、経済学ということになっているのだけれど、経済学として読むと単純で、わかりきったことばかりである。私には、経済学というものが、始めからわからないのかもしれない。これは人間と言うものは、ケチなもので、そうして永遠にケチなものだという前提がないと全く成り立たない学問で、ケチでない人間には、分配の問題もまるで興味のないことなのだ。けれども、私はこの古い思想を、片端から、何の躊躇もなく破壊して行く、がむしゃらな勇気に、おどろいた。破壊思想。破壊は哀れで悲しくて、美しいものだ。破壊して立て直して、完成しようという夢。完成と云うことは、永遠に、この世界ではないものなのに、破壊しなければならないのだ。新しいもののために。ローザはマルキシズムに、ひたむきな恋をしている。このローザの恋が、私のこころをとらえてしまった。】
(太田静子『斜陽日記』)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み