第49話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【13】

文字数 1,232文字

【13】

 あくまでも私見でしかないのだが、太宰の終戦直後の作品に共通する作風は、『トカトントン』(昭和二十二年)に代表されるような「戸惑い」である――。

 太宰は敗戦後の価値観の転倒に対して、自分の立ち位置を測りかねているし、昭和二十一年に発表した『苦悩の年間』や『十五年間』などでは、戦中の己の立ち位置の言い訳に必死である。
 いわば、戦後の読者と自分の文学との間合いを計っていた時期だったように思われる。
 
 昭和二十二年以降の太宰は、後に「無頼派」「新戯作派」と称されるようになる作品群を生み出すに至るのだが、それは、前年までのそのようなテストマーケティングの結果であり、価値観が転倒した戦後の世相と人心を見極めた上で、その舞台において太宰は「偽悪・露悪」を演じてみせたのではないのか。
 私は、その「偽悪・露悪」のお手本が、郷土の先輩作家葛西善蔵であったのだろうと考えている。

 太宰は自作に、同郷の作家葛西善蔵を引き合いに出した。
 太宰はその自作において、葛西への思慕を隠さなかった。
 特に処女作『晩年』の一篇『猿面冠者』の中で、太宰は、

【ほんたうの幸福とは、外から得られぬものであつて、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構へこそほんたうの幸福の鍵である】

 という言葉を、葛西の述懐として創作し挿入しさえした。
(だからこそ私は、太宰が葛西についてこう書いていながら、『津軽』において故郷の人々に「おれの仕事を認めろよ」などと言うのを情けなく思うのである)

 二人が小説家として辿った道には、或る種の共通点も見出せる。
 というよりも、太宰は葛西の破天荒な作家人生を、作家にとっての不可欠な資格として模倣しようとしたのではないかと私には思えるのだが、太宰と葛西とは決定的に違う点がある。
 私は、そのことが太宰と葛西を峻別するものだと考えている。
 それは「貧困における現実と虚構」ということである。

 葛西の貧困は現実である。
 裕福だった生家が破産してから作家として独り立ちするまで、葛西は放浪を続け過酷な肉体労働を重ねた。
 一方太宰はその生涯において、文筆業以外の現実的な労働をしたことがまったくない。

 葛西は、自身を常に「絶対的な現実」である貧困の中に置き続けた。
 そのことは芥川の自殺について葛西が語った言葉に表れている。

【葛西は首を振って敢然と答えた。
「いや、ぼくは東洋人らしく飽くまでも天命に従って生きる。今だって辛いが、今後どんなに苦しくなったって決して自殺はしないよ。自殺はどう考えても不自然だ」】
(岩波現代文庫 鎌田慧『椎の若葉に光あれ』)

 昭和二年、葛西がこう言って地べたを這いつくばっていた頃、太宰は弘前高校の一年生である。
 『猿面冠者』の一節が事実なら、太宰が英語教師ブルウル先生の課題に対して、葛西についての英文のレポートを書いて、お気楽に鼻高々になっていた頃である。
 太宰の葛西に対する片思いは、太宰の一方的な誤解と錯覚によるものである。
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