第90話 終章『最期の逆説』【5】

文字数 1,008文字

【5】

【真の愛は個我の幸福を否定した結果である。】

 これは、トルストイの『人生論』の第二十四章の表題だ。
 その二十四章には、太宰が『如是我聞』で訴えたかったことの原型が書かれている。
 それは次にあげる二つの文章だ。

【真の愛の可能性は、自分にとって動物的個我の幸福など存在せぬことを人がさとった時にのみ、はじまるのである。】

 そして、それに続いて、『マタイによる福音書』第十章の一節が引用されている。

【わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者はわたしにふさわしくない】

 たしか、太宰はこの言葉を『斜陽』の後半で主人公のかず子に語らせていたはずだ……。

 私は、『人生論』のこの二つの文章を読んで、そこに書かれたことこそ、太宰が『如是我聞』において、「反キリスト的なものへの戦い」と称して、「家庭のエゴイズム」を否定してみせたことの原型だと確信した。

 『人生論』に引用されているのは、『マタイによる福音書』第十章の三十七節だが、次にあげるのは、その前に書かれている三十四節だ。
 この三十四節は、『人生論』には引用されてはいないが、私は、それが太宰の晩年に重要な示唆をもたらした聖句ではないかと考えている。

【わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして自分の家族のものが敵となる。】

 太宰の『如是我聞』が、なぜあのように激烈なのか? そう考えたとき、その理由として、「ここに引用したイエスの言葉を、太宰が実践しようとしたのではないか?」と僕は考えた。

 太宰は死の直前、当時の文学界に剣をもたらそうとしたのではないのか? 
 太宰はそれが蟷螂の斧であることを自覚していただろう、しかし、太宰は「最期にそれをしなければならぬ」と意を決して行ったのではないのか? 
 それは、青春時代、左翼運動に挫折した太宰の「最期の実践」だったのではないだろうか?
 
 僕は、評論家の佐々木基一が太宰を評して言った、

【いわばああいう逆説的なスタイルやポーズを取ることによってしか、レアリティを出すことが出来ない。】

 という言葉が、『如是我聞』にも当てはまるような気がした。
 『如是我聞』は、太宰が文壇に問うた「最期の逆説」であったのかもしれない。
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