第81話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【18】

文字数 1,036文字

【18】

 他人の日記に頼った『斜陽』の後で、「それ以上の傑作を書く」との意図で執筆された『人間失格』だが、私は、この小説も太宰の過大評価された作品の一つだと見做しているし、それ以上に、太宰の真意、本来の執筆意図が理解されず誤解されたままの作品ではないかと考えている。

 『人間失格』は、芥川龍之介の『大道寺信輔の半生』『歯車』『或阿呆の一生』、太宰自身の『思ひ出』『逆行』『道化の華』などの作品のモチーフが、そのベースになった作品であり、特に芥川の『或阿呆の一生』に触発されたものではないかと考えられる。
 しかし、両者を比較すれば、太宰の『人間失格』は、芥川の遺作『或阿呆の一生』とは全く異質の作品であることが判る。

 『或阿呆の一生』には、死期を明確に意識した芥川の諦念とそれによる感覚の鋭敏さが、散文詩として表現されている。
 それは完全なる遺書であり、そこには死の前に身を投げ出した無欲の芥川がいるだけだ。
 そして、その透明さは『人間失格』とは対極にあるものだが、そのような『或阿呆の一生』に比べれば、『人間失格』は太宰の凄まじいまでの自己肯定であり、最後の悪あがきのように感じられるのだ。

 私の若い友人は『人間失格』を評して、「この小説の主人公のどこが人間失格なんでしょうねぇ。これなら誰だって人間失格ですよ」と真顔で私に言ったことがあるが、実は私も若い頃『人間失格』を読んで、主人公大庭葉蔵のどこが「人間失格」なのだろうと常々思っていた。

 太宰の描くこの主人公の甘さと偽悪振りばかりが目に付いて、若い頃でさえ『人間失格』には全く共感できなかった。
 「これで、人間失格というなら世の中の人間はみんな人間失格だろう」と思っていたし、この歳になっても、この文章を書くまではそのように思っていたのだ。
 しかし、今、この文章を書くために『人間失格』を読み直して、初めて別の見方ができるようになった。

 視点を変えれば、『人間失格』とは、芥川の『河童』や太宰の『猿ヶ島』と同じカラクリの小説のように思えてくる――。

 『河童』は、ふと迷い込んで住み着いた河童の世界から人間の世界に帰った主人公が、人間界では狂人として扱われてしまう物語。
 『猿ヶ島』は、或る島に流れ着いた主人公がその島の住人と二人でその不気味な島から脱出するのだが、その主人公とは実はロンドンの動物園から逃げた二匹の日本猿だったという結末である。
 思うに、『人間失格』もこれらの作品と同じ価値観逆転の作品ではないのか。
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