第10話 第一の欺瞞『如是我聞』【2】

文字数 1,246文字

【2】

 次に、太宰の『十二月八日』を見てみよう。

【どこかのラジオが、はつきり聞こえて来た。「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
 しめ切つた雨戸のすきまから、まつくらな私の部屋に、光の差し込むやうに強くあざやかに聞こえた。二度、朗々と繰り返した。それを、じつと聞いてゐるうちに、私の人間は変つてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ。あるひは、聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい胸の中に宿したやうな気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になつたのだ。】

【「日本は、本当に大丈夫でせうか。」
と私が思はず言つたら、
「大丈夫だから、やつたんじやないか。必ず勝ちます。」
と、よそゆきの言葉でお答へになつた。】

 この『十二月八日』を読んで、私が特に奇異な感じを受けるのは、唐突に【聖霊の息吹】という言葉が登場し、「聖霊」というキリスト教用語が日米開戦の報に唐突に結びつけられている点である。
 太宰は「精霊」ではなく、「聖霊」と表記しているので、この「聖霊」とは、キリスト教の三位一体の第三位を表す言葉である。
 太宰はどのような意図を持って、非暴力が教理であるキリスト教を太平洋戦争と結びつけようとしたのだろうか。

 さらに、この文章では、「聖霊」が主人公に対して「戦争は良くない。戦争は悪いことだ」という警告は発していない。
 開戦の報に接し主人公の心情は、あくまでも、

【聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい胸の中に宿したやうな気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になつたのだ。】

 とロマンチシズムたっぷりに描かれているだけだ。

 この段階で太宰は、どのように「ちがう日本」になったのかを書いてはいないが、後段では「ちがう日本」になった日本国民の意識を次のように書いている。

【目色、毛色が違ふという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちがちがふのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き廻るなど、考へただけでも、たまらない。此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでせう。お前たちには、その資格が無いのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅つちやくちやに、やつつけて下さい。】

 ついさっき、

【聖霊の息吹を受けて、冷たい花びらをいちまい胸の中に宿したやうな気持ち】

 になったはずの主人公に、太宰はこう言わせるのである。
これは、当時の日本人の節操のなさに対する太宰一流の皮肉なのだろうか。

 しかし、もし仮にこれが、何らかのメッセージを込めた暗喩だとしても、当時の一般的な読者がこのような文章を読めば、「開戦に対しての高揚感」と「敵国に対する敵愾心」を煽るような小説だと受け取ることだろう。

 志賀の『シンガポール陥落』を軍国的と言うのなら、太宰の『十二月八日』も負けず劣らず軍国的なのである――。
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