第35話 第一の欺瞞『如是我聞』【27】

文字数 1,312文字

【27】

 織田作之助の死は自死ではないが、太宰が【織田君を殺したのは、お前ぢやないか。】と書いたその相手が志賀であることは明白である。
 昭和二十一年九月の『朝日評論』において志賀は織田の作品を「きたならしい」と発言し、織田はそれに対して『二流文楽論』『可能性の文学』において、志賀とその信奉者やジャーナリズムを批判することで応酬した。

 太宰は、『織田君の死』において「織田を葬ったのは志賀だ」と言いたかったようであるし、『如是我聞』では、「志賀がこのまま【もとの姿のままで死ぬまで同じところに居据らうとしてゐる】ならば、俺は自殺してやるぞ」と志賀に匕首を突きつけているかのようだが、私にはそれが、織田の死を太宰が利用しているように思えてならない。

 太宰は織田が死んだ本当の理由を知っている。
 そして織田と自分を殺したものを知っている筈だ。
 太宰は、緒方隆士のへ追悼として『緒方氏を殺したもの』(昭和十三年)を発表しているが、その中で緒方氏を殺したものをこう書いている。

【作家がいけないのである。作家精神がいけないのである。不幸が、そんなにこはかつたら、作家をよすことである。作家精神を捨てることである。不幸にあこがれたことがなかつたか。病弱を美しと思ひ描いたことがなかつたか。敗北に享楽したことがなかつたか。不遇を尊敬したことはなかつたか。愚かさを愛したことがなかつたか。
全部、作家は、不幸である。誰もかれも、苦しみ苦しみ生きてゐる。緒方氏を不幸にしたものは、緒方氏の作家である。緒方氏自身の作家精神である。たくましい、一流の作家精神である】

 織田も、そして太宰も、己の中の【たくましい、一流の作家精神】に殺されたのだ――。

 『太宰治の死』を志賀はこう結んでいる。

【私は太宰君の死については何も書かぬつもりでいたが、「文芸」八月号の中野好夫君の「志賀と太宰」という文章を見て、これを書く気になった。中野君の文章には非常な誇張がある。面白ずくで、この誇張がそのまま、伝説になられては困るのでこれを書く事にした。】

 中野好夫は英文学者で東大教授。
 太宰は『如是我聞』の中で、中村を指して【貪婪、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であつた】と書いている。
 中野の『志賀と太宰』の中には、太宰の情死を徹底的に非難した一節がある。

 しかし、そんな志賀の危惧をよそに、志賀と太宰の件は、『如是我聞』における太宰の一方的な非難と、直後の彼の衝撃的な自殺という事件によって、「太宰=善・志賀=悪」というような勧善懲悪的に誇張された伝説となってしまった。

 太宰信奉者が太宰を語る際に、志賀の作品や言動を不正確に引用し、志賀を貶め太宰を高めようとする昨今の風潮に、私はやりきれないものを感じている。

 それこそ『如是我聞』の「象徴」と「比喩」と「悪罵」に幻惑された現象ではないのか。
 そして、太宰と志賀の伝説は六十年以上経た今も、志賀への偏見と共に生きて続けている。

 そればかりか、『如是我聞』に端を発した志賀に対する偏見や誤まった認識は、インターネットという媒体を通してどんどん増幅し、日本の近代文学史観すら歪んだものにしているのだ――。
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