第38話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【2】

文字数 1,196文字

【2】

 志賀の最後期の作品から引用する。
 まず、昭和三十一年の『白い線』から。

【何の話からか、坂本君は「青木繁とか、岸田劉生とか、中村彝とか、若くて死んだうまい絵描きの絵を見ていると、みんな実にうまいとは思うが、描いてあるのはどれも此方側だけで、見えない裏側が描けていないと思った」と言っていたそうだ。帰って、それを梅原龍三郎にいうと、梅原は「面白い言葉だ」と同感したそうだ。私はこの話を聞き、これは理屈も何もない正に作家の批評であって、批評家の批評ではないと思った。そして同じ事が小説に就いても言えると思った事がある。
 私自身の場合でいえば、批評家や出版屋に喜ばれるものは大概、若い頃に書いたもので、自分ではもう興味を失いつつあるようなものが多い。年寄って、自分でも幾らか潤いが出て来たように思うもの、即ち坂本君のいう裏が多少書けて来たと思うようなものは却って私が作家として枯渇してしまったように言われ、それが定評になって、みんな平気で、そんな事を書いている。私はそういう連中にはそういう事が分からないのだと思う。】

 次に、七十三歳の志賀が発表した『八手の花』から。
 志賀はこの作品を昭和三十一年十一月に発表したが、その後昭和三十八年『盲亀浮木』を発表するまで、七年間沈黙する。
 その理由の一端が書かれた部分である。

【奈良に住んでいた頃、私は仕事で興奮しているような場合、家内が何か子供の事など言い出すと、癇癪を起こし、「俺は子供の為めに生まれて来たんじゃないからね」と言った。(中略)
然し、私はこの二三年、今度は「俺は小説を書く為めに生まれてきたんじゃない」といいたくなる事が時々ある。(中略)後にも先にも只一度の生涯をよく生きる事が第一で、その間に自分が小説を書いたという事は第二だという気がするのだ。画家には絵を描く為めに生まれて来たような人が時々いる。梅原龍三郎にしても、亡くなった安井曽太郎にしてもそういう人のように思われる。(中略)
私は所謂小説らしい小説を書きたいとは思わないが、仮にそう思ったとしても、その為に自分が嫌いになった人事のイザコザを見たり聞いたりする気にはならない。】

 おそらく、定年を迎えた年齢の勤め人ならば、ここに書かれている感覚には共感できるのではないだろうか――。
 自分の働き盛りの三十代を振り返れば、社会のため、会社のため、家族のため、と一種のヒロイズムでもって企業戦士を気取り身を粉にして働いていたことも、後に思い返せば一種の自己満足のようなものであり、その自己満足とは微妙な被害者意識に縁取られているものだったことに気付くだろう。
 その被害者意識は、男の幼いヒロイズムが背景になっているし、そのヒロイズムと被害者意識の狭間には、密かな甘い陶酔が漂っている。
 男の多くは、その密かな甘い陶酔感の匂いを嗅ぐことによって自己確認し、また労働に励むのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み