第46話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【10】

文字数 1,252文字

【10】

 私はこの文章を書くにあたって、久しぶりに太宰の作品を数多く読み直した。

 そして気付いたのは、太宰の作品には、太宰のその後の人生について暗示的な作品が多いことだ。        
 『斜陽』にしても、太宰はその構想を八年前の昭和十四年の時点で持っていたようだ。
 それは『善蔵を思ふ』(昭和十四年)の冒頭に、このように書かれている。

【暁雲は、あれは夕焼けから生まれた子だと。夕陽なくして、暁雲は生れない。夕焼は、いつも思ふ。「わたくしは、疲れてしまいひました。わたくしを、そんなに見つめては、いけません。わたくしを愛してはいけません。わたくしは、やがて死ぬる身体です。けれども、明日の朝、東の空から生まれ出る太陽を、必ずあなたの友にしてやつて下さい。あれは私の、手塩にかけた子供です。まるまる太つたいい子です。」夕焼は、それを諸君に訴へて、そうして悲しく微笑むのである。】
 
 太宰がこう書いた八年後、そんな「夕焼」を体現するような女性が目に前に現れて、太宰の身の上にこの詩が現実のものになろうとは――。
 太宰の作品は、虚構を孕みながらも太宰の人生と不即不離であり、現在のみならず未来とも重なっていたことに、私は少なからず慄然としてしまう。

 太宰は当初『斜陽』の結末を、かず子の自殺で終わろうとして「かず子の遺書」を書いていたとも伝えられている。
 執筆当初の構想では、かず子の自殺で終えようとしていた太宰が、モデルの太田静子の懐妊を知って、結末を書き換えていたとしたら、それは、『斜陽』という物語が期せずして、八年前の一編の詩の通りの展開になっていたということではないか――。

 また、『駆け込み訴へ』(昭和十五年)には、後年太宰が『如是我聞』を発表する動機のようなものが書かれている。

【やがてあの人は宮に集まる大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一番ひどい、無礼傲慢の暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまつたのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさへ思ひました。殺されたがつて、うづうづしてゐやがる。「禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは酒盃と皿との外を潔くす、然れども内は食欲と放縦とにて満るなり。禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまな穢れとに満つ。斯のごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。蛇よ、蝮の裔よ、なんぢら爭で、ゲヘナの刑罰を避け得んや。ああエルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鳥のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんと為しこと幾度ぞや。然れど、汝らは好まざりき。」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさへ、いまはしい。たいへんな事を言ふ奴だ。あの人は、狂つたのです。】

 マタイの福音書を元にした一節だが、太宰は、その「いいところ」を上手く抜き出し、巧みに組み合わせて使っている。
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