第45話  第二の欺瞞『韜晦の仮面』【9】

文字数 1,304文字

【9】

 作家太宰と連れ添い、その夫の情死という衝撃的な現実をも受け止めた美知子の、「愛とは、仔犬に卵式のエゴイズム。愛とは本質的にはみなそんなもの」という意味の言葉は重い。
 美知子の思いとその言葉を重ね合わせて考えてみると、やはり美知子は太宰の最大の理解者であったのだろう。

 太宰の遺書に、
【美知様 
  お前を 
   誰よりも 
     愛していま
        した】
と書かれた彼女だが、これはまさに、太宰の偽らざる本心であったに違いない。

 ここで、太宰の最初の妻である小山初代と、死を共にした愛人山崎富栄の二人について言及しておきたいと思う。
 私は先ほど、初代を「故郷とのへその緒」と書き表したが、それは私が、

『太宰にとって初代は「津軽の母性」であり、太宰は彼女を、彼を産み育てた津軽の女性達の代用として依存し、初代を通して故郷と繋がっていたのではないか』

 と考えているからだ。
 太宰は、その初代という「津軽の母性」を東京に連れてくることによって、彼女が放つ故郷のオーラに包まれてかろうじて津軽と繋がっていることができたのだろうし、その安心感の中で故郷を遠く離れた東京で暮らすことができたのではないだろうか。

 だから、後に初代の「過ち」を知った太宰は、自分にとって永遠に純潔であるべき「津軽の母性」が自分を裏切り汚されたと感じて、あれほどの懊悩と醜態を晒したのではないのか。
 そしてその事件を契機に、太宰が初代を「姥捨」してしまったということは、太宰はその時点で、故郷津軽と自身のマザーコンプレックスと決別し、己の内なる故郷を捨てたということなのだろうと私は考えている。
 太宰にとって、その二十八歳での精神的自立は大きな転機となった筈だ。
 その後太宰は、作家を生業とし自立することを決意したかのように、安定した筆致の中期の傑作を次々と発表していく。
 
 そして、太宰の最後の女となった山崎富栄だが、彼女は晩年の太宰にとって必要不可欠な女性だったのだろう。
 それはなぜか。
 それは前掲した美知子の太宰評に答えがある。

【太宰はほんとは「若様」のように、つききりで、みなりのこと、往復の乗り物のこと、一切世話してくれるお伴がほしいのだが、子供でも、老大家でもないから、ひとりで外出しなければならないのが不満らしかった。】(同)

 太宰は、最晩年の死の間際になって、とうとう念願の【一切世話してくれるお伴】を手に入れることができたのだ。
 富栄はまさに、太宰を「若様」のようにみなして無条件に尊敬し、つきっきりで献身的に身の回り全ての世話をした。
 彼女は、まさに太宰が求めていた、理想の【お伴】だった。
 生活人として大人になりきれない太宰には、子育てと家事に追われる妻以外に、富栄のような女性の存在が不可欠だったのだ。

 富栄の日記には、そうした太宰と富栄の心情がはっきり書き残されている。
 死の半年前、昭和二十三年一月十一日付けの日記に富栄はこう記している。

【「僕の晩年は、君に逢えて幸せだったよ」と仰言ったおことばのためにも、もっと、もっと、喜んでいただきたかった。】
(山崎富栄『太宰治との愛と死のノート』)
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