第53話:文化祭~挑発
文字数 5,890文字
文化祭。
クラスのハイカラ喫茶も軌道に乗り、昼過ぎからは順番で他のクラスや部の出し物を見て回ることになっていた。
東城はパスタ食べ比べに張り切っている。
「ちょうどおなか空いたし、何が出てくるのか楽しみね」
東城に加え、春菜、俺、かすみの4人はまずは腹ごしらえをしようと、教室棟と中庭を挟んで向かい側にある施設棟へ向かった。
ここの1階には家庭部の活動拠点である家庭科室があり、そこがパスタ食べ比べをやっている即席のイタリアンレストランというわけだ。
「げ! すごい行列」
廊下に並ぶ生徒や父母、関係者などは尋常な数じゃない。
文化祭では食べ物を出すクラスや部は多いが、そのほとんどが素人によるもので、最もマトモなものが食べられるのは家庭部だということを、みんなよく心得ている。
弓道部はラーメン屋台をやっているし、バレー部はお好み焼き、剣道部は焼きそばなんかを提供しているようだが、麺が固過ぎたり、あるいはのびていたり、お好み焼きは部分的に生焼けで、焼きそばの肉は中まで火が通っていなかったり、ソースの掛け過ぎで辛過ぎたりと、基本的に「足りない」「過ぎる」というネガティブな要素のオンパレードだ。
それでもなんにも知らない1年生なんかは、きゃーきゃー言いながら飛びつくんだが、過去に苦い経験をしている2年生や3年生は決して近付かないのだ。
家庭部の行列は隣の理科実験室の前まで続いており、この調子なら教室内でも相当な人数が待っていることだろう。
「仕方ない。並ぶ?」
俺は3人に聞いてみた。
ここで待つことを考えると、他のところを回る時間が減るなど、かなりもったいない気がしたからだ。
「ちょっと…待たされ過ぎるのも時間の無駄よねえ…」
かすみは少し顔を曇らせる。
かすみは部の出し物も含め午前中はつぶれているため、回る時間は残り半分の午後しかないのだ。
「しょうがないから、適当に別のトコで何かつまむ?」
さすがの春菜も諦めかけている。
しかし、東城が勝ち誇った顔で俺たちの前に立ちふさがった。
「ま、オレについてこりゃいいって」
「ええ? 薫ぅ割り込みは拙いよぉ」
「お前、人聞きの悪いこと言うなよ。いつだってオレは人の道に反したことはしてないぜ。ま、いっから来なって」
半信半疑で東城について家庭科室に入る。
東城は室内に入るやいなや、1年生の女の子に話しかけた。
それは美砂だった。
「よっ」
「ああ、東城さん! 待ってたんですよ。どうぞ」
そこには4人分のテーブルが空けてあり、「予約席」と書いた紙を巻いた缶が置かれていた。
家庭部お手製のウエイトレス姿の美砂。
だが、4人の中に俺が含まれていることに気付くと、少し顔を曇らせ、奥に引っ込んだ。
「ちょっとぉ、薫天才!」
春菜が大げさに東城の背中を叩く。
待っている他の生徒らから非難に満ちた視線を多少は浴びたが、まあいいかな。
かすみなんかはとても申し訳なさそうに「いいの?」とか言ってたが、今更遠慮しても始まらないし、文字通り背に腹は替えられないので、いただくことにした。
「はい、どうぞ~」
待つこと10分ほど。
美砂や他の1年生が大皿4つを持って現れた。
大皿の上には5つの小さな皿が載っており、それぞれに違ったパスタが盛ってある。
「わあ、美味しそうね」
さっきまでの申し訳なさはどこへやら、かすみも目を輝かせ皿を見つめる。
かすみって「食べる」ってことには日ごろから執着してないように見えるから、なんか意外な感じだ。
俺たちの前には他の1年生が皿を置いてくれたが、東城の分は直接美砂が運んできた。
皿を置きながら、美砂は嬉しそうに奴の顔を見る。
東城も「うん」と軽くうなずくだけだ。
「あれ? 薫のって微妙に盛りがよくない」
春菜がペンネ・アラビアータを口に運びながら、鋭い質問を浴びせた。
「そっかぁ? 一緒だろ。ほれ、小皿の形とか違うしさ、皿が違うから盛りも違って見えるんじゃねーの」
東城は、なんかすっとぼけたような反応を示しているが、俺から見ても奴の盛りはそれぞれが2割増ぐらいだ。
しかし、席を予約までしてくれた手前、追究はせずにおいた。
◇ ◇ ◇
「ふう。意外…といっちゃ失礼だけど、美味しかったね」
俺はかすみや春菜の方を見ながら、わざとらしく腹をさすってみた。
他の3人も満足そうで、春菜とかすみは紙ナプキンで口を拭きながら、うんうんとうなずいている。
「このままデザートがほしい気もするけど、待ってるの多いから次行くか」
家庭科室の入り口にはまだ数人の客が並んでおり、さすがに席を立つことにした。
次の目的地は2年R組の和風喫茶だ。
俺たちは教室後部の「出口」と書かれた扉に向かう。
そのとき、制服に着替えた美砂が駆け寄ってきた。
「あ、私も行きます。一緒にいいですか?」
美砂は朝からずっとだったみたいで、後は自由行動なんだという。
まだどこにも行ってないし、他の1年生はそれぞれに予定があるので、俺たちと一緒に回りたいらしい。
何となく
俺は無言を通したが、東城やかすみが快諾し、付いて来ることになった。
春菜も何か言いたそうな雰囲気に見えたが、すぐにいつもの表情に戻った。
◇
◇
◇
廊下には各クラスや部の宣伝ポスター、矢印を書いた看板などが窓や壁を覆いつくすように並んでいる。
まさに文化祭の雰囲気。
これでも以前、女子校だったころにはこんな派手さはなく、それどころか質素の極みで、出し物といえば、売り上げをすべて慈善事業への寄付に回す中古衣料品のバザーとか、障害者施設と共同で出店するクッキー屋、生徒や父母が手作りしたクリスマスオーナメントの店、朗読会にコーラス、演劇部によるドイツ文学の芝居などなど、極めて真面目なものが多かったという。
それが共学になってまだ丸2年も経たないうちに、そこらへんの学校とさして変わらぬ内容になってしまうとは、共学パワーはすさまじい。
もちろん、こういった以前からあった渋い出し物がなくなったかというと、もちろんそんなことはなく、数は若干減ったみたいだが、あちこちで質素に店を構えている。
要するに、目立たないだけだ。
現に、キリスト教信者が多いといわれる隣のK組は、クラスの中でも出し物が別れていて、付属の女子中学から上がってきた内部生は手作りアクセサリーの店を出している。
アクセサリーといっても、繁華街の路地で怪しい外国人が売っている得体の知れないドクロの付いた指輪とかスタッズだらけのベルトなんてことはもちろんあり得ず、銀製で長さはせいぜい1センチぐらい、中心にマリア様の描かれたピンバッジや指輪、やはりマリア様をあしらった十字架形のペンダントヘッドなど、「メダイ」っぽいものを扱っている。
本来の「メダイ」とは売り物ではなく、教会での寄付やボランティア活動のご褒美で授けられる特殊な入手経路のものらしく、本当の信者さんが身につけるものだそうだ。
しかし目立たないがかわいいので細々と人気が続いており、ミッション的お硬さのない神姫ではこういった文化祭で扱うクラスが必ずあり、宗教と関係なくアクセサリーとして着ける女生徒も以前からそれなりにいたようだ。
春菜もセーラー服の左胸ポケットに十字架のピンバッジを着けているが、彼女が信者さんであるかといえば、おそらく違うだろう。
うちのクラスで信者さんといえば、吉村だ。
聞くところによると、吉村は亡くなったお母さんが教会に通っていた関係でちゃんと洗礼名を持っており、左手の中指にはヘブライ語で聖書の一説が刻まれたリングをしているという。
「これ、いいなあ…」
さっきから美砂はK組のホーリーショップの前で「メダイ」とにらめっこしている。
さすがにパスタで腹も膨らみ、すぐには喫茶に入る気にもならず、手前のK組教室の前で冷やかしていた時のことだ。
そこで美砂はめざとくアクセサリーを見つけたというわけだ。
売り子には串本さんと紺野さんが座っていて、下級生の美砂にも丁寧に説明をしている。
それを見ていた春菜は東城の袖をつかむと、「私に何か買ってよ」とねだった。
「ん、いいけど、お前、胸にクルス着けてんじゃん。それ、去年の文化祭で買ったやつだろ?」
「いいのよ、一個しか着けちゃいけないってワケじゃないんだから。それにもう一つはスカートの裾に着けるのよ」
「スカートの裾ぉ?」
「うん。やってる子いるよ。ほら、あの子も」
春菜が視線を送った先では紺野さんが美砂の相手をしているのが見えるが、確かにスカート左前の裾のところに銀色の小さなものが光っていた。
「ね?」
「へえ、ちっとも気付かんかった」
「薫がスカートの裾に気付かないなんて意外ねぇ。いつも女の子の脚ばかり見てるくせに」
春菜はにやりと笑い、東城をひじで軽く突付く。
「な、何言ってんだ春菜。さっさと選べよ。買ってやっから」
「え、ほんと? サンキュー、薫」
春菜は嬉しそうだ。
でも、小さな声で顔を赤らめて続けた。
「本当はリング欲しいんだけど。今は我慢しとく。来年…買ってね」
「……ああ」
春菜は楕円形で、中心にクルスの描かれた小さなピンバッジが気に入ったようで、串本さんから受け取るとその場でスカートの裾に付け、「どう?」とポーズをとって見せた。
「どうって言われても、目立たねーからなぁ。まあ、落とすなよ」
春菜は廊下の窓から離れ、その窓に自分の姿を映し、ニコニコしながら確かめている。
「じゃ、そろそろ行かないか、R組」
買い物が終わったのを確かめ、俺は4人に声をかけた。
「そだな。ノド乾いたし、行くか」
R組へ行こうと歩き出したとき、美砂が東城を呼び止めた。
「東城さん、これ私にプレゼントしてくれる気ないですか?」
「え?」
美砂が指さしているのは、銀色のリングだ。
リングはさすがに拙いだろう。
隣のかすみの顔をちらりと見ると、彼女もそんなふうだ。
東城も、春菜の目の前でそんなことを言われ困惑している。
春菜は春菜で腕組みし、成り行きを見ているといった感じだ。
さすがに美砂も雰囲気を察したか、うつむいてしまった。
「ごめんなさい。変なこと、言っちゃって…」
しかし、そのあまりにも悲しげな表情を見たとたん、俺は拙いと思った。
この顔。
俺が兄でなかったなら負けそうだ。いや、俺が東城の立場だったら、確実に負ける。
今だって「じゃあ、俺が買ってやる」という言葉が出そうになったぐらいだ。
しかも美砂はそれを知っててわざとやっている。
春菜が目の前にいることも、もちろん計算のうちだ。
こいつ…
どうしたものか。
俺が「馬鹿なこと言うな」といえばどうなるか、結果は見えてる。
状況を悪化させるだけだ。
東城はとても困った表情をしている。
「あいつ、落ちるな」そう思った瞬間、意外な人物が背中を押した。
「買ってやれば、薫ぅ」
組んでいた両腕を今度は腰に当て、やや顔を斜めに
どうして彼女がそんなことを言ったのかは分からない。
春菜は東城と付き合っていて、指輪程度では他の女には盗られないという圧倒的な確信があるのか。あるいは試しているのか。
ひょっとして、これは相当うがった見方なのだが、こうやって買ってもらった指輪なんて美砂にしたっておもしろいワケはない、それを狙っているのか。
だが、美砂はあっけらかんとして強かった。
表情がパッと明るくなると東城の腕を引っ張り、並べられた「メダイ」の中のひとつを指さしている。
「分かったよ」
東城は折れ、美砂の手のひらにリングを置いた。
美砂は嬉々としてそれを受け取ると、さっそく左手の指に通した。
しかも、薬指に。
「!」
意味を知らないわけはないだろう。
「ちょっ…」
春菜はひと言発しようとしたが、何て言いだすべきか分からない様子だ。
「中指、太くて入らないんです。だからここに、しておきます」
美砂は指輪をした左手を何度も裏返したりしながら、確認している。
「買ってあげたら」と言った春菜には目もくれず、東城だけに「一生大事にします」と言うと、ちらりと春菜の方に挑発的な視線を送った。
「あのさあ、美砂ちゃん」
冷静そうに振舞おうとしているが、春菜の声が震えているのは明らかだ。
ヤバい。
ここで始まるのか。
「ねえ、ちょっと」とかすみが俺の耳元で囁く。
「春菜、行くぞ」
東城は2人の間に立ち、春菜の方を見て言った。
しかし、春菜には東城の声も聞こえなければ、姿もまるで見えてない、いや、見てないようだった。
売店の2人も状況を察し、固唾を呑んで見ている。
「ちょっと、とめた方がいいわよ」
かすみにブレザーの端をを引っ張られる。
一触即発ってやつだ。
でも、何て言って止めるんだ。
だいたい、ここで俺が出ていったら美砂という弾薬庫に火炎放射するようなものだ。
美砂は春菜が怒っている理由はちゃんと分かっているはずだ。
でも、わざとそれを無視するかのように相変わらず左手を眺め、ついには東城の腕にしがみ付き、胸を押し当てた。
「離れなさいよ!」
春菜の導火線に火がついた。
もうダメだ。
「あ、あのさ」
情けないが、俺はこの言葉しか出てこない。
全く効果なんてあるわけない。
どうせ、耳になんて届いてるわけない。
「かすみぃ~っ!」
そのとき、廊下の端から柏木が勢いよく駆けて来た。
そういえば、和風喫茶には柏木も行きたいと言っていたはず。
彼女は、かすみの姿を見つけ、抱きつきに来たに違いない。
一直線でかすみに向かってくる柏木。
そして彼女は何かに滑り、俺たちのど真ん中で仰向けに転んだ。
とっさに手を差し伸べた、俺と東城を巻き込んで。
俺はなぜそうなったか、倒れた柏木のスカートの中に頭を突っ込み、ぱんつに顔面を密着させたまま、柏木のフトモモに両側から頭をがっちり固定されている。
東城は東城で、柏木の両胸に顔をうずめて倒れている。
立ち上がろうとして、右手で胸をむんずと握ってしまうオマケまでついた。
「きゃ~、エッチぃーーー!」
きゃーも、エッチもないだろうに、柏木は大声で叫んだ。
「ちょっと大丈夫」「なにやってるのよ」「山葉くん、大丈夫?」「東城さん」
四方八方から声をかけられ、俺たちは柏木から離れた。
「うう、酷いなぁ…」
柏木は半べそをかいているが、これじゃまるで俺たちだけが一方的に悪いみたいだ。
周りには他の生徒も集まり、みっともないこと
「とにかくよ、和菓子食おうぜ、和菓子!」
東城はいまいましそうに叫ぶと、俺たちも続いてレベッカ組の教室に駆け込んだ。