第34話:恋敵の下級生・1
文字数 2,333文字
こうして、俺の疑惑は晴れた。
「事件」からおよそ1週間。
周りの連中もこのことに突っ込んでくることはなく、早くも「そういえば、そんなこともあったな」という過去の出来事のひとつに過ぎなくなっている雰囲気だ。
直後の数日間は、さすがに何となく居心地の悪い気持ちも残っていた。
「疑われるようなことをしなければ、そもそも警察に目をつけられるはずはない」
「証拠が揃わなかっただけよ」
「結局、あの人が犯人なんでしょ」
嫌疑不十分で不起訴になったり、あるいは裁判で無罪になっても、その人に対する世間の視線や空気は変わらず、このような言葉を浴びせられることがあるという。
一度疑いを掛けられてしまえば、結果はどうであれ、元のようには戻らない。
周りの人間すべてが自分の知らない者にでもならなければ、それはずっとついて回る。
口では「よかったな」と言いながらも、心の中にはなお「疑い」「好奇」の気持ちを持たれ続け、外出先など、ふとしたはずみで姿を見られただけで、ヒソヒソ話の餌食にされる。
そして、語られるときは必ず名前の前に「あの事件で捕まった」という枕詞をつけられる人生を歩まざるを得なくなるのだ。
もちろん今回の出来事は、新聞やテレビで報じられる冤罪事件と比較することすら
俺には何ら落ち度がなかったということは明々白々で、それは東城や春菜といった真実を知る人物が証明できる。
そして現に、この2人は、かすみやかえで先生にも「山葉は悪くない」と正直に伝えてくれた。
美砂や二股のことはともかく、穐山や来栖、吉村、慈乗院らほかの連中にも、あれは事故だったということを正しく伝えてくれたおかげで、仲間内では「困った奴だな」という一種の苦笑じみた雰囲気はあるにせよ、空気はほぼ元通りになったと思う。
居心地の悪さも癒えつつある。
ありがたい話だ。
そんな、今日の部活終了後、夕方のことだった。
確かに、1年生ということもあるにはあるが、見た目はそれよりずっと子どもっぽく、思わずほっぺたを引っ張ってみたくなるような、小動物的雰囲気をまとっている。
そもそも男子生徒が少ない学校なので、俺も今年の入学式のとき、入場してきた新入生の中にこの生徒を見つけ、なんかかわいい奴がいるなと気づいてはいた。
だが、それもほんの一瞬で、すぐに気にもとめなくなっていたのだが。
部活はかすみと同じ茶道部で、以前から俺が彼女と校門前や部室棟付近で待ち合わせしたときに姿は見ていた。
そのときは部員でない俺にも「失礼します」と挨拶していく、いかにも部活で上下関係を叩き込まれた、よくある下級生といった感じだった。
ただ、部活の先輩で、しかも女であるかすみに対しては、どことなく甘えた視線を送る、第三者の男から見ると、何となく年上の女に媚びてるのが丸分かりな「あざとい嫌な奴」的雰囲気は感じていた。
しかしその一方で、それも処世術の一種なのだろうと、どこか達観した見方をしていたのも事実だった。
その河合が、かすみと一緒に帰る姿を目撃した。
同じ部活なのだから、こういうケースもあるだろう。
部の用事で同行するという考え方もできる。
俺はいくら無罪放免とはいえ、「事件」のホトボリも十分に冷めていない段階でかすみを誘えば、彼女も受けづらいのではないかと思い、ここ数日は一緒に帰ってはいないし、もちろん部室棟に近付くこともしていなかった。
それどころか、教室でもほとんど口をきいていなかったのだ。
かすみの相手が女生徒だったのなら何も思うところはないのだが、いくら下級生とはいえ、男子と帰ってゆく姿を目の当たりにし、おもしろいはずはない。
かすみは俺の幼馴染だ。
涼子のことでゴタゴタはあったが、かすみは俺の彼女…のはずだ。そう信じたい。
好きだ、かすみだ、と言いながらも、実は正式に告白したわけではないけれども。
それともやはり、あんな騒ぎに巻き込まれた俺に嫌気でもさしてしまったのだろうか。
そんなことはないと思いたい。
思いたいが、なんなんだ、この不快感は。
なんとも言えぬもどかしさ、もやもや、胸を掻き毟りたいような気分。
今すぐ走っていって、かすみに声を掛けたい、あの下級生を引き離し、そのまま一緒に帰りたいという衝動。
かすみとは約束せず、ひょっとして一緒に帰る機会があるかもしれないと、ダラダラと放課後も勝手に待っていた俺。
むしろ気付かない方がましだったのか。
あと1分、いや30秒でも違う時間に校舎を出ていれば見ないで済んだかもしれない。
見たくない、見なければよかったという悔恨の思いも募る。
あの2人はどこまで行くのだろう。
駅に直行するのだろうか。
それともどこか店にでも寄るのだろうか。
河合はどこに住んでいるのか分からない。
駅に行くなら、同じ方向の電車に乗るのか、あるいは逆なのか。
嫌だ。嫌なものを見た。悔しい。
昨日の今頃には考えてもみなかった「ライバル」が突然現れたのだろうか。
前はそんなことなかったじゃないか。
いつでも俺と一緒に帰っていたのに。
それともあの1年生は俺の知らないところで、虎視眈々とかすみを狙っていたとでもいうのか。
河合に対してだけでなく、かすみに対しても不信感みたいなものが、どうしようもなく湧いてくる。
彼女がどこで誰と何をしようと勝手といえば勝手だ。
俺に彼女を拘束する権利なんかないってことは、言われなくても分かってる。
別の相手と帰るときは俺の許可を取れ、なんて非常識なことはもちろん思ってはいない。
だが、しかしだ。
諦められない俺は、気付かれぬよう2人のあとをつける道を選んだ。