第21話:「妹」の姿
文字数 4,015文字
何をするでもなく、俺は彩ケ崎駅の周辺をふらふらと歩いていた。
今度の週末からは夏休みだ。
とはいっても、この土日の2日間は大雨休校のせいで期末テストに充てられてしまうので、本当なら家で試験勉強でもしてるのがスジなんだろうが、きょうは気分じゃない。
それに、帰ってくる美砂と顔を合わせたくないという気持ちもどこかにある。
気分転換にビデオ店や本屋を回り時間をつぶしていた。
日も暮れた。
ふと足が向き「香澄庵」の前まで来た。
いうまでもなく、かすみの実家の蕎麦屋だ。
ずっと昔からこの場所にあり、かすみはこの細長い3階建てビルの2階に住んでいる。
俺が幼稚園でかすみと一緒だったときから、何度か遊びには来ているが、今はとても特別な場所のように感じる。
小腹も空いていたので、つい、店に入ってみた。かけそばぐらい食べる金は持っている。
夕飯時ということもあり、狭い店内はそこそこの混み具合だ。
「いらっしゃいませ…あら?」
それは制服の上からエプロンを掛けた、かすみだった。
休みなのにどうやら、昼間は学校に行っていたようだ。
「よっ」
「珍しいわね。どうしたの?」
かすみは微笑みながら寄ってきた。
「たまたま近くを通ったんで、さ」
「そうなんだ。ありがと。ごめんなさい、今混んでるから、端っこの席になっちゃうけど」
「いいよいいよ、そんな」
かすみに案内され、店の一番隅にある、2人が向かい合って座れる小さな席に案内された。
もちろん、2人とは言っても、かすみと一緒というわけにはいかないが。
麦茶を盆に載せ、かすみが注文をとりに来た。
「何にする?」
「じゃ、一番安いざるで」
「はい、かしこまりました」
ニコニコしているかすみを見ると和む。
「かすみさ、珍しいね、店の手伝いなんて」
「急にパートの人が休んじゃって、混む時間だけ手伝ってくれって言われちゃったの」
「へへ、でも珍しい姿が見られてよかったよ」
「滅多にないからね」
「すいませーん、お茶くださーい」
「あ、はーい、ただいま」
「じゃ、山葉くん、ごゆっくりね」
かすみは他の客に呼ばれて戻っていった。
俺は立ち振る舞うかすみの姿を目で追い、何ともいえぬその家庭的な雰囲気に見とれた。
かすみは普段から家庭的だが、こういう場面ではそれが如実に現れる。
これは昔からそうで、小学校や中学のときも、世話好きだったように思う。
中学のとき、学ランのボタンが取れたのを付け直してくれたこともあったし、自分で作ったクッキーを学校に持ってきて、みんなに分けてたこともあったな。
う~ん、かすみか……いい。
などと考えているうちに、目の前にざるそばが運ばれてきた。
「お待ちどうさまでした」
「……かすみ、これ?」
「うん、私からのサービス。おなか空いてるでしょ、遠慮しないで食べてって」
それは確かにざるそばではあったが大盛りで、しかもてんぷらまで付いていた。
それを見ただけで急に腹が減り、オレは遠慮なくかすみの好意に甘えることにした。
結局、帰りに代金を払おうとしたが、かすみは受け取ってくれなかった。
サービスというのは、大盛りやてんぷらのことではなく、食事全体のことだったようだ。
昨夜から今朝にかけての嫌な出来事も何となく消えていくような、嬉しい気分で店を出た。
いくら美砂と顔を合わせるのが気まずいとはいえ、帰らんわけにはいかない。
俺は商店街を通り、家に向かった。
土曜日の晩ということで、人通りは絶えない。
若者やカップル、仕事帰りの会社員や買い物帰りの家族連れで溢れている。
途中、商店街を横切るように路面電車が交差しているところがあり、その電車の音やパチンコ店から流れてくる音楽が人の声と交じり合い、実に賑やかだ。
そんな中を、人ごみに流されながら歩いていた。
駅前に着くと、ちょうど甲武線電車が着いたようで、改札から人が吐き出されている。
東京のデパートのペーパーバッグを持っている女性。
勤め帰りのサラリーマン。
遠いところに通っているのだろう。この辺りでは見かけない制服の女の子。
中には、見慣れた姫高の制服を着た子たちもいる。
そして…美砂?
◇ ◇ ◇
美砂はきょう、炊き出しの買い物と言って家を出て行った。
そのときは確かに制服を着ていたのに、今はなぜか私服だ。
薄い黄色のブラウスに青いチェックで丈の短いスカート。
詳しくはないが、あんな服を持っていたような気もする。
どこかで着替えたのか? だとしたら、どうして。
遠目なので、そもそもあの女の子が本当に美砂なのかどうかは分からない。
他人の空似、かもしれない。
確かめようと前に進みかけたとき、「美砂」の横に歳の近そうな男もいることが分かった。
日没後とはいえ駅前は明かりがあふれている。
それでも陰になってしまい肝心な顔はよく見えない。
が、何となく誰かに似ている。
「美砂」は驚くでもなく、にこやかに二言、三言話している。
今この場所で出会ったわけではなく、同じ電車に乗ってきたか、電車に乗る前から行動をともにしていたという感じだ。
男はそのまま「美砂」の腰に手を回し額にキスをすると、こちらに背を向けたまま駅の反対側に向かっていく。
彩ケ崎の駅は改札を通らなくても駅の反対側に出られる南北通路がある。
そこを通るのだろう。
駅の出口周辺にはなおも人が溢れ、このままでは見失ってしまう。
俺は遅れまいと、2人を追った。
しかし、人の多さに思う方向に進めない。
イラつく。
人ごみの中、背の高い男が俺の前に割り込んできた。
邪魔だ。
顔を斜めに向け、2人の姿を探す。
辛うじて「美砂」の姿は見えるが、距離は開くばかりだ。
何なんだ、この焦り。
何でこんなに人がいるんだ。渋谷のスクランブルじゃあるまいし。
走りたい。
かき分けたい。
でも、目も一瞬たりとも離せない。
高架ホームから、また電車が到着した音がする。
ここにまた人の群れが加わるのか?
このままでは絶対に見失う。
体をひとつ前に出そうとした瞬間、正面から割って入ってきた人影とぶつかった。
「よお、山葉。何やってんだ、こんなトコで」
聞き覚えのある声。
大柄だが男ではない。
それは
「なんだ、鶯谷、お前かよ。悪いな。急いでんだ」
鶯谷ってのは同級生の女生徒だ。
下の名前はミドリ。
高校生にはあるまじき、ヤバいことをいっぱい知っており、理事長の
ワルといってもどんなワルなのかはよく知らないが、盗撮したとしか思えないクラスメートの女の子のパンチラ写真をもらったことがあるし、ウワサでは試験問題なんかも事前に盗み出しているらしい。
それが証拠になるのかどうか知らんが、鶯谷はいつも試験の成績はいい。
背が高く、よく見れば美人の部類に入るのだろうけど、学校の男子生徒は怖がって近づかない。
だが、どういうわけか、俺とは比較的よく口をきく方で、教員の家庭事情から激薬物の見分け方、大型トレーラーの運転テクニックまで、あらゆる分野の情報や裏ワザなんかをさりげなく教えてくれたりする。
そういう話に特に興味があるわけではないんだけれど。
「どうしたんだよ、顔が険しいぞ」
そのまま「美砂」たちを追おうとしたが、いつの間にか腕をつかまれ足止めを食ってしまった。
「お、おい、離せ。俺は…」
「何だよ、つれないこと言うなよ」
鶯谷はピチピチのジーンズに、真っ白なタンクトップだ。
タンクトップは薄手で、黒いブラがうっすらと見える。
スラリと伸びた脚は、肌が直接見えるわけでもないのに体の線がはっきり分かるため、かえって扇情的ですらある。
素足に履いた緑色のハイヒールがとても高校生とは思えない。
てか、なんで鶯谷が俺たちの地元・彩ケ崎駅前にいるんだ。
こいつは…あれ? 出身、どこだったかな?
内部生でもなかったはずだが…
人ごみから連れ出され、駅出口の階段横にある自販機のそばまで来ると、鶯谷はそれにもたれかかって缶コーヒーを口に運んだ。
屋台でたこ焼きを作っているテキ屋の男と「よお」などと挨拶まで交わしている。
「……」
俺はむっとしていた。
もちろんそれは「美砂」を見失ったからだ。
「誰か探してたみたいだな」
不機嫌そうにしている理由を知ってか知らずか、鶯谷は「美砂」たちが姿を消した方向を見ながら話しかけてきた。
「もういい」
俺は横を向いた。
だが鶯谷はそんなことで遠慮するようなタマじゃない。
「気になる女でもいたのかい?」
「違うって」
「ふ~ん。あの目は結構マジだったけどな」
「るせーよ」
「ほ~らな」
これは鶯谷の直感なんだろう。
「好きな女」というのも、相手が妹だからそういう意味ではあり得ないが、全くの的外れということもない。
「何なら調べてやるぜ?」
「いいよ」
こいつの調査能力をもってすれば、美砂と東城の本当の関係なんてのは、いともたやすく炙り出すことができるだろう。
だが、そんなことを頼むわけにはいかない。
「ていうか、鶯谷、お前なんで俺を呼び止めたんだ」
「ああ、いや、気まぐれでね」
「気まぐれって、お前なあ」
「悪かったよ。恋路の邪魔しちまったみたいで」
「だから恋路じゃねーって」
「いや、黄色いブラウスの娘にご執心だったみたいだからさ」
「!」
「お前も顔に出やすい奴だねぇ」
そんなことを言いたげな顔で鶯谷はほくそえんでいる。
残りのコーヒーを一気飲みすると、ハイヒールで缶を踏み潰した。
「じゃ、あたしは行くよ」
「…ちょっと待て」
「ん?」
「お前、その…黄色いブラウスの子っての…顔、見たのか?」
ニヤリとして、鶯谷は続けた。
「さあ」
「なんだよ、気ぃ持たせやがって」
「調べてやろうか?」
「ん…」
鶯谷は左手の親指から順番に関節を鳴らす。
「ま、気が向いたら調べといてやるよ」
「あ、ああ」
「どんなことでもあたしは調べられる。何ならお前の妹、美砂ちゃんだっけ? そのこともな」
「な!」
知りたいが知りたくない。
知りたくないが知りたい。
俺は、どうすべきなのか…