第99話:吉報
文字数 2,892文字
駅で出迎えた俺に晴れやかな表情を見せる。
樺太を発つその日の最終便は、こちらから出発するのと同じ午後6時。
羽根田から9時過ぎの電車に揺られ、着いたのは10時ごろ。
時間が時間だけに、待っていたのは俺だけだ。
わずか2日間だったが、ずいぶんと長かったように感じる。
「山葉」
「良かったな、東城」
春菜は、再び姫高へ転校することになった。
◇
◇
◇
北麗で起こした自殺未遂騒ぎ。
もちろんこれは佐々木玲子たちが「落ちそうになったのを助けた」と報告しているので、学校側には事実が伝わっていない。
しかし、その日遅く、泣きながら帰ってきた娘に春菜の両親も驚き、初めていじめの事実を知ったのだという。
春菜は正直に、今までのことすべてを話し、衝動的に死のうとしたことも両親に伝えたという。
だが、翌日、怒り狂って学校に説明を求めに行っても、学校側は自殺未遂のことは信じようとしないばかりか、むしろ、ふざけて落ちそうになった春菜のことを逆に責め、さらに風紀を乱す問題児で他の生徒にも悪影響を及ぼしていると言い放ったのだという。
それどころか、春菜を救ったことになっている佐々木は「私にも責任があるから佐伯さんを罰しないでほしい」などとデタラメを校長に言ったらしく、人命救助で今度、表彰されるんだそうだ。
どこまで腐ってるんだ。
こんな学校にいては、娘の人格が破壊される。
いや、物理的にも危険だ。
親もさすがにそう思ったんだろう。
親父さんは単身で残る決心をし、母親とともに春菜を彩ケ崎に戻すことにしたという。
そしてその晩、やってきたのが東城だ。
東城のことは春菜の両親ももちろん知っている。
というか、例の家出騒動で2人の間を裂いたわけだから、知っているレベルの話じゃない。
しかし東城は、両親に会うなり土下座した。
まず、家出騒ぎのことを詫び、
春菜がいなくなってからほかの女に走ってしまったことまで正直に謝り、
このままでは春菜が本当に殺されてしまう、
ここには春菜を連れ戻すためにやってきた、
自分には春菜しかいない、
春菜のことを一生をかけて守ってゆくから、
姫高になんとしても戻してほしい、
そのためにはどんな約束でも守ると、
伝えたんだそうだ。
娘の転校のことはともかく、東城に不信感を持っていた両親もさすがに折れ、最後には
「娘のことを頼む」
とまで言われたという。
さらに、今回の旅費はクラスメートが作ってくれたということを知ったのも、姫高に戻す最後の背中を押したんだそうだ。
そういう仲間がいる学校なら間違いないと。
床にしゃがみこみ、泣きながら聞いていた春菜。
だが一夜明け、春菜は胸を張って学校に向かった。
「私はもう負けないから」と。
両親や東城も休むよう勧めたが、ゴールが見えたことで完全に吹っ切れたんだろう。
気になった東城は授業が終わるのをずっと学校の近くで待っていたらしい。
そして終業のベルが鳴ってほどなく、春菜は姫高にいたころと同じようなニコニコ顔で校門から出てきた。
春菜はその日、午後から学校を訪れた両親とともに、姫高へ戻ることを学校側に伝えた。
樺太の学校は冬休みが長い分、夏休みは短いため、1学期は7月いっぱいある。
来月いっぱいは北麗に通い、8月になったらすぐに美咲へ戻ってくるという。
新しい学期は姫高で、9月から迎えることになるわけだ。
その後はずっと夜まで東城とデート。
春菜の家でもう一泊させてもらった東城は、彼女の両親の説得もあり、帰ることにした。
東城は後ろ髪を引かれる思いだったそうだが、今朝、春菜を学校まで送っていった。
佐々木のこと、学校の春菜への風当たりなど、ニコニコ顔とはいえ、やはり不安だらけだったからだ。
しかし、そんな不安など一瞬で吹き飛んだという。
送っていったとき、偶然にも校門近くで佐々木に出くわしたんだそうだ。
それを見ても春菜はひるむことなく、佐々木とその取り巻きの連中に明るく挨拶。
今学期いっぱいで学校を去ることを告げると、
佐々木たちの前で東城と別れの挨拶をし、喜々として校舎に入って行ったそうだ。
◇ ◇ ◇
「みんな、お前のおかげだよ山葉」
駅前のファミレスでコーヒーを飲みながら、話は続く。
「いや、俺は…」
あの東城に面と向かってお礼を言われると、なんか複雑な気分になる。
何といっても、今回の行動、春菜のことがかわいそうというのはもちろんだが、腹の底には、美砂と別れさせる好機という思いが起爆剤としてはあったわけなのだから。
美砂のことさえなければ万々歳で、この場で東城を路上に押し倒すほど祝福してやりたい。
だが、春菜の不幸に乗じたような後ろめたさが、一種のしこりのように胸の中の一部に残っている。
それが、いやな感じでたまらない。
それにしても東城は、美砂から連絡とかはなかったのだろうか。
美砂は東城がわずか数日とはいえ急に学校を休んだことは知っているはずだ。
休んだ理由を知ってか知らずか、旅立ったあの日もその翌日も、帰ってくるのは遅く、しかも荒れた雰囲気だった。
昨日も教室の外から窺っていたぐらいだから、休んでいる理由は知らないんだろう。
「なあ、東城」
俺は思わず切り出す。
こういう話題の後で相応しいとは思えないけれど。
しかし、そんな気持ちを察してか、機先を制したのは東城だった。
「山葉、お前の妹とはちゃんと別れるよ。謝って済むもんじゃないのは分かってるけど…ごめん」
「……」
「行ってる間、何回もメッセや電話があったんだ」
「……」
「全然、返事しなかったし、電話にも出なかった」
「……」
「でも、あす、伝えるよ。伝えなきゃならないし」
残ったコーヒーを一気に飲み干す東城。
しばしの沈黙。
東城は俺から目を離さない。
今までのことが頭の中を駆け巡る。
なじられたこともあった。
雑木林の中で殴りあった。
校門で、包帯だらけの姿を見られ、学校中に知れ渡ってしまった、あの日。
だが、今度の東城は本物だ。
信じていいだろう。
あす、きっと美砂は東城との間で修羅場になり、美砂は泣きわめくはずだ。
その場に俺がいることはできないが、もう大丈夫だろう。
「分かったよ」
そう短く伝えると、俺たちは店を出て家路を急いだ。
「それはそうとさ、東城」
気が緩んだ俺は、どことなく饒舌になった。
「お前、家の人心配してねーか?」
「心配? 何が?」
「何がってお前、黙って家を空けたんだから、普通心配するだろ、親なんだからよ」
「ああ、それか。ない」
「何?」
「書き置きしてきたんだよ、オレ」
「書き置きだってぇ?」
立ち止まり、素っ頓狂な声を上げちまった。
「いや、さすがに一度やってるだろ、家出」
「ああ」
「オレの知らねートコで勝手に警察沙汰にでもなると、春菜のところに行けなくなるからさ」
「ああ」
「正直に手紙を置いといた。春菜を助けに行くって」
「へえ~。お前もちゃんと頭回るんだな!」
「なにおう!」
笑いながら、ボクサーの真似をして喜ぶ東城。
俺も対抗して構えると、「やるじゃねーかよっ」っと、パンチを空振りさせた。
ああ、やっと、以前のような日々が戻ってくるんだな。
しみじみと感じる夜だった。