第65話:別れの9文字
文字数 2,358文字
「では、きょうはここまでね」
ホームルームが終わり、教科書や筆記用具を片付けるガタガタした音が響き始める。
「あ、そうだ、佐伯さん。転校手続きの書類ができたので職員室まで取りにきてちょうだい」
「は~い、分っかりましたー」
かえで先生は努めて明るい。
教師が一緒に悲しんで、春菜をますます落ち込ませてはいけないという配慮からだろう。
それに、系列校だから安心ということもある。
授業道具を小脇に抱えると、そそくさと教室を出て行った。
しかし、あっという間に春菜は元の春菜に戻った。
「分っかりましたー」と、まるで行楽にでも行く雰囲気だ。
「ねえ、マリ子、帰りにマッキントッシュ行かない?」
「いいですねー。限定メニューが食べてみたかったんですよ~」
「じゃあ春菜、職員室の前で待っててやっから、さっさと来いよ」
「オッケー!」
あれから2日後。
転校話なんて本当にあったのかと思うぐらい、日常が戻っている。
俺の予想では、きっと当日まで2人のジメジメした日々が続き、最後のホームルームではクラスメートとの涙の別れで、俺までもらい泣きするんじゃないかと思っていた。
それがどうだ、あの明るさ。
吹っ切れるというコトバがあるが、まさにそれだ。
辞書を引けば「今の東城と春菜のこと」と例にすらなりそうだ。
わいわいと、教室を出て行く。
廊下からも嬌声が続き、掃除中の教室でもうるさいと思うほどだった。
3日後。
昇降口のところでもきゃーきゃーと話が途切れない。
来栖や織川、涼子までも誘って帰って行く。
きょうは、すかいあ~くに寄るとか言っている。
4日後。
相変わらず賑やかだ。
東城がバカを言って周りに集まった連中を爆笑させている。
春菜も手を叩いて大笑いし、勢い余って席から転げ落ちている。
あの穐山と紀伊國までが話に加わり、春菜を助け起こしている。
5日後。
土曜日で半ドン。
歌い初めと称してカラオケに繰り出すようだ。
引っ越しの準備で子供のころの恥ずかしい写真が出てきたといって、みんなに見せている。
それをネタに盛り上がる。
「かわいい」とか「信じられない」と一斉に声が上がる。
6日後。
きょうは日曜。
関東特有の冬の青空。
おだやかな一日。
7日後。
週明けの月曜。
東城と春菜はともに欠席した。
休み時間、来栖が転げるように教室に駆け込んできた。
「は、春菜さんと、と、東城さん、はあ、はあ、い、家出したらしいって!」
教室の全部の窓が砕け散るんじゃないかと思うほどの驚きの声。
直後、収拾のつかない喧騒の渦となった。
「来栖さん、詳しく教えて!」
あの御山が来栖につかみかかり、肩を揺すっている。
さっそくメッセを飛ばしている奴がいる。
「そんなそぶり、なかったじゃん!」
慈乗院は誰に聞くともなく、周りの連中に問いかける。
トークでは飽き足らず、電話をかける奴がいる。
「駆け落ちとは、なかなかやるな」
穐山は言うと、ちらっと紀伊國の方を流し見る。
隣の教室に駆け込んだ奴もいる。
「イエデって、何?」
意味の分からないジェシカが隣のレナーテの肩をつつく。
廊下に出ていた連中を呼び戻す奴がいる。
「あんなに明るかったのに、どうして…」
かすみは右手を口にあて、狼狽している。
答えは、これだろう。
明るかったのは、家出をする決心をしたからだ。
家出という目標ができた2人。
悲しさから一転、2人でどこかに逃げて一緒に暮らすという明るい未来を思い、逆に元気になったのだ。
吹っ切れたと思っていたが、まさか本当に吹っ切っていたとは。
「ちょっとみんな、静かに。静かにして。・・・いいから静かになさいっ!」
バンっ!
両手を机に叩きつける大きな音。
ホームルームの時間でもないのに、騒ぎを聞きつけたかえで先生がやってきた。
我に返った生徒たち。
まだ休み時間は続いているが、無言で席に着く。
ふだんは早く話が終わらないかという態度の連中も、興味津々、真剣そのものだ。
「いい、あなたたち。落ち着きなさい」
かえで先生の説明によると、2人は日曜の朝にはすでに姿を消していたらしい。
書き置きなどはなく、いないことに親が気付いたのは昼過ぎだったそうだ。
2人とも高校生だからそれぞれ部屋を持っている。
日曜だし普段より遅くまで寝ていてもおかしくない。
気付くのが遅れるのも当然だ。
朝からいなくなっていたというのが分かったのは、ほとんど始発のような時間に、よく似た2人が改札を通るところを彩ケ崎の駅員が見ていたから。
警察からの情報では、その朝の1番目か2番目の電車に乗ったらしいという。
両方の家では旅行バッグがなくなっており、着替えだけでなく保存食なんかも持ち出されたらしい。
だがすでに捜索願が出されており、あちこちの警察に連絡がいっているという。
「くれぐれも、あなたたちが動揺しちゃだめよ。必ず無事に見つかるから」
そう言い残し、かえで先生は教室を出て行った。
入れ違いに、廊下で待っていた宗教のピアッツァ牧師が教室に入り授業が始まったが、生徒たちのヒソヒソ話がやむことはなかった。
そして、その4日後。
東城たちは、あっさり捕まった。
逃げた先は
人が多いので見つかりにくいという考えだったという。
小石隠すにゃ砂利の中ってやつだ。
安ホテルを転々としていたそうだが、4軒目で不審がられ通報された。
ホテルを出たところで待ち構えていた私服警官に声をかけられ、荷物を投げ出し春菜の手を引いて逃げたという。
しかし、地の利も何もない。
数十メートルも走らないうちに回り込まれ、警察へ。
迎えにいった両方の親とかえで先生にこっぴどく叱られ、その日の夜には自宅に戻った。
2人は自宅謹慎に。
東城は見送りに行くこともできないまま、春菜はこの街を去った。
「絶対忘れない 大好き」
春菜からの短いメッセ。
9文字だけの別れの挨拶を残して。