第28話:休みだった部活
文字数 3,956文字
今日はあいつが夕食当番だから買い物でもしてるんだろうか。
俺はかすみと帰りに駅前のファッションビルをブラついてから戻ったので、いつもより遅くなったとはいえ、普段の夕食当番の日なら、美砂もとっくに帰ってきてる時間だ。
美砂が夕食当番をやる日は部活がない日ということになっているため、遅くても午後3時半には学校を出るだろう。
今は6時半。
何やってんだろう。
腹も適度に減ってきて、カップラーメンでも食べたい気分だが、いくらなんでも拙いわな。
俺は仕方なしにパソコンでネットでもやりながら時間を潰した。
夜9時になった。
美砂はまだ帰ってきていない。
遅いにもホドがある、というか、何か漠然とした不安な気持ちもある。
美砂のスマホに電話をかけてみた。
「お客様のおかけになった電話は、電源を切っているか、電波の届かない…」
「ち。なんだよ」
案の定、こういうときに限って電話は繋がらない。
とりあえずアプリでメッセを送り、台所で冷蔵庫を漁ろうとしたとき玄関の開く音がした。
「…ただいま」
声の主はもちろん美砂だった。
「遅くなるなら連絡しろよな。一応、心配したんだぞ」
「…ごめんなさい」
見ると、美砂の手には駅近くにある24時間スーパーの袋が握られている。
中身は弁当だ。
遅くなったのは買い物に手間取ったわけではないようだ。
それに、兄である俺がこんなことを言うのもなんだが、美砂は疲れていても極力手料理にこだわるので、出来合いの弁当で誤魔化すような奴じゃない。
「どうかしたのか?」
さっきの不機嫌な声ではなく、少し優しげに尋ねてみた。
わざとではなく、実際、不安な気持ちだったからだ。
「ん? 別に…急に部活があることになっちゃって」
目を合わさず、うつむき加減に横を向いたまま美砂は答えた。
だが、顔はどこか上気しているようにも見える。
「ふーん、部活か。それにしても長い部活だな。ま、いいけど、そういうことなら連絡しろよな。そしたら俺が作るか買うかするし」
「…ごめんなさい」
またさっきと同じ、ごめんなさい、だ。
だが、抑揚はなく、むしろ事務的、いや、心ここにあらずといった感じだ。
何か、隠したいことでもあるのだろうか
それに、どことなく頬を赤らめているようにも見える
しかし、だからといって、根掘り葉掘り聞くのもはばかられる雰囲気だ
「…ごめんなさい。出来合いの弁当になっちゃったけど」
美砂から渡された袋には弁当が1個入っていた、
「あれ? 1個か。お前は食べないのか」
相変わらず目を合わせないまま、さっきと同じ姿勢のままだ。
まるで早く1人になりたいとでもいう、そんな空気を漂わせている。
「…うん。私、食べてきたから…ごめんなさい」
「…そうか」
それ以上は聞いても何も答えないだろう。
美砂の体から、質問を拒絶する一種の「気」のようなものが感じられる。
「あ~腹減った! じゃ、いただくぜ。サンキュー」
俺は務めて明るい声を出し、美砂をその場から解放してやった。
レンジで温めても、さして美味いと思わないその弁当でも腹は充分に膨らみ、俺は1人、居間でテレビを見て過ごした。
シャワーを浴び、部屋に戻る時、美砂の部屋からひそひそと話す声が聞こえた。
誰かとスマホで話をしているのだろうが、内容までは分からなかった。
◇
<翌日>
◇
「じゃあ、今日も部室棟の前で、待ち合わせよっか」
昼休みが終わり、俺はいつものようにかすみと帰りの約束をした。
最近はいつもこのパターン。
別に何か目的があるわけでもなく、かすみと一緒に帰るのが楽しい。
涼子の件があるとはいえ、誘えばかすみは断らない。
かすみにはまだ告白はしてないが、変に恋人になるより、これから訪れるであろうその過程を考えると、ある意味、今が一番幸せなのかもしれない。
この、どことなくワクワクした気分。
見たかった映画を見る前の雰囲気に似ている。
映画を見てしまうと、見る前の期待感は二度と味わえない。
経験してないからこそ得られる、胸の高鳴り。
そういったところだろう。
午後の授業も粛々と進み、今日も解放された。
あとは、かすみの部活が終わるのを待つだけだ。
東城は春菜とさっさと帰った。
最近の俺はこんな感じなので、連中もあえて声をかけてこない。
寂しい気もするが、彼らなりに気を使ってくれているのだろう。
図書館ででも時間をつぶそうと立ち上がると、鶯谷が近寄ってきた。
「ほらよ」
彼女は茶封筒を俺に渡すと、耳元に顔を近づけ「分け前だぜ」と囁いた。
「分け前?」
何だかよく分からないが、俺も小声で聞き返してみる。
分け前って言われてもなぁ。
「昨日の分け前だ」
「はあ? 昨日の?」
「忘れたのか? 恥ずかしいモン拾ったろうが」
「……!!」
「結構な値段で売れたぜ」
「……」
「ま、そういうこって」
渡された封筒の中には、1万円が入っていた。
昨日拾った水着を、鶯谷は本当に売ってきたようだ。
しかも、俺の取り分が1万円って、いったいいくらで売ったんだろうか。
後ろめたい。実に後ろめたい。なんか犯罪しでかしたような気分だ。
しかし、夏休みにバイトを完遂できなかった俺にとっては大金であることに違いはない。
樺太に赴任している親から預かったキャッシュカードを使えばある程度の金はあるにしても、それは生活費だし、親からの仕送りのうち、自由に使える分は微々たるもの。
はっきり言って、助かる。
ひとこと礼を言おうとしたときには彼女の姿はすでになかった。
◇ ◇ ◇
図書館での時間つぶしも終わり、部室棟の前。
午後5時半。
水の流れる音に振り向くと、水飲み場にバレー部の生徒が一人。
上に向けた水道の蛇口から溢れる水で顔を洗っている。
上体を折り曲げているため、短パンの尻がこちらに突き出されているようで目のやり場に困る。
小さなポニー。付け根は赤いゴムで束ねているだけだ。
こりゃ絶対に御山だ。
俺は逃げ隠れはしないが、御山に背を向け、かすみを待つことにした。
部活を終えた何人かの生徒が部室棟から出てくる。
襟につけたバッジで学年が分かるのだろう。
見ず知らずの下級生も俺に会釈をしていく。
なんか気分がいい。
「あ、こんにちわ!」
何人目かの生徒が俺に気付き、挨拶をしてきた。
美砂と同じ家庭部の
美砂と同級でもあり、家がせんべい屋をやっているらしく、美砂も何度かバイトで手伝いに行っている。
うちにも遊びに来たことがあるので、俺もすぐに分かった。
「ああ、タカちゃん。部活、終わり?」
「はい、先輩」
「今は何やってるの?」
「えへへ、おせんべい作りです」
ヒマだったので、少し話をしてみた。
「え? それってまさか。そのまんま?」
「えへへ、そうなんですよ。もう得意技です」
彼女はいつものように笑顔で、こちらも和む。
「タカちゃんのところのおせんべいは美味しいからね」
「えへへ、ありがとうございます」
「家庭部で何をやるかっての、誰が決めるの?」
「そうですね、話し合いですね」
「へえ、課題とかじゃないんだ」
「和気あいあいなんです」
「はは、楽しそうだね」
「そりゃもう。だから昨日みたいに部活が休みだと寂しくって」
「昨日は部活、休みだったんだ」
「そうなんです。もうつまんなくって」
「そんなに楽しいと、休みだとつまんないよね…」
休み…だった?
部活が、休みだった。
美砂は昨日、部活があったと言ってたぞ。
あいつ、部活に行ったと確かに言った。
……なんだ?
「じゃ、私はこれで。失礼しまーす」
タカちゃんの挨拶で考えが中断された。
昨日の部活のことを聞こうかと思ったが、すでに校舎の方に歩いて行ってしまい、呼び止めることはできなかった。
他に知ってる家庭部の子が出てこないだろうか。
そうしたら、さりげなく聞くこともできる。
やはり、美砂に直接聞くのも変な感じだし。
「1年生をナンパしてましたよ」
いろいろ考えていると、後ろで声がした。
振り向くと、バレー部の生徒が数人こちらを見ている。
下級生と思われるその生徒たちは、御山を中心にしてこちらを軽蔑の表情で見ている。
「あれのどこがナンパだ!」
と言いたかったが、やめた。
バレー部とは関わり合いにならない方が得策だ。
だが、ムカついたので睨み付けてやると、その中の1人が「ふん、スケベ!」と捨てゼリフを吐き、揃って体育館に戻っていった。
バレー部のせいで、俺は何を考えていたのか忘れてしまった。
何か重要なことだったような気がするが。
くそ、腹が立つ。
今後は部室棟前での待ち合わせはやめよう。
その方が精神衛生上好ましい。
それだけは間違いない。
バレー部はかわいい生徒が多いだけに、余計ムカつく。
ま、かわいいといっても、ああいう性格の連中だからロクでもない。
正直に言うと、前はバレー部の子をオカズにしたことだってあった。だが、今は違う。というか、オカズにしたこと自体が今となっては恥だ。
ああ、ムカつく!
「あら、どうしたの? あ、遅くなってごめんなさい」
気がつくと、部活を終えたかすみが外に出てきていた。
バレー部の件で、全く気付かなかった。
「あ、いや、何でもない。ちょっと昔のこと思い出してて」
「昔のこと? ふふ、そうなんだ。じゃ、行きましょうか」
ああ、やっぱりかすみはいいな。
御山を覗いた、いや、覗くハメになったことはかすみも知ってるかもしれないのに、そんなそぶりも見せず、普通に、いや、それ以上に接してくれる。
あいつら、かすみの爪のアカでも煎じて飲め!
何ということもない世間話をしながら、俺たちは学校を後にした。
途中、バーガー屋に寄ることになり、何の気なしに俺はかすみにご馳走してあげたのだが、考えてみるとこの金は鶯谷からもらったものだった。
しかも、カネの出どころは…
ありがとうとか、ごちそうさまと言われ、ものすごく情けない気持ちになってしまった。
ま、いいけどね。