第52話:文化祭~前夜
文字数 4,732文字
予鈴が鳴っている。
東城と春菜がドタドタと駆け込んでくる、いつもの朝。
2人は俺の席にやってくると、「きょうも早いな」と声をかけてきた。
かすみと一緒に登校している毎日。
彼女は茶道部に出るため朝が早い。
そのため俺も早く登校するようになったからだ。
かえで先生の家庭訪問に同行して以来、続いている。
御山の件でクラスの連中とはギクシャクしたが、今思えば、あの家庭訪問同行はかえで先生の作戦だったんだろう。
家庭訪問についていったおかげで、俺を避けていた生徒たちとも前のように普通に話せるようになった。
こんなにまでして生徒のことを考えてくれるかえで先生。
感謝してもしきれないぐらいだ。
春菜はかすみの両肩に手を載せると、軽く肩を揉むような仕草をして笑っている。
「にしても楽しみだよねぇ、文化祭。ねえねえ、かすみは回るとこ目星つけた?」
以前の春菜は「一ノ瀬さん」と呼ぶこともあったが、最近は「かすみ」だ。
春菜は来週ある文化祭の話題で目を輝かせている。
まあ、文化祭が楽しみっていうより、授業がないから嬉しいと、そういう感じもあるんだろうけど。
「なんかさあ、家庭部ってあるじゃない。あそこ、イタリアンレストランやるんだってぇ」
「イタリアン?」
もうそろそろ先生がやってくるころだが、教室内はまだざわついている。
かすみは春菜のイタリアンという言葉にそれほど興味があったわけでもなさそうだが、相槌を打っている。
「そうそうイタリアン。なんかね、パスタ食べ比べってのをやるらしいのよ」
「え、食べ比べ?」
だが、食べ比べという言葉に、にわかに反応を示した。
「そうなの。なんか、それぞれは少量なんだけどぉ、それを好きな種類食べられるって話なのね。プログラムって今週末に配布じゃない。それ隣のクラスの菊名さんが実行委員で印刷の係なもんだから刷っててさ、ちらっと見せてもらったのよ。そしたら書いてあってさ♪」
「へぇ、面白そうねぇ」
「でしょでしょ、かすみぃ♪ ねえねえ、よかったら一緒に行かない?」
「山葉くん、どうする?」
「ん~、行ってもいいよ、俺も」
「よっしゃ、じゃあ4人で食いまくるか!」
東城が締め、話がまとまったところで、ホームルームの時間となった。
◇
◇
◇
昼休み。
中庭。
真ん中に欅の大木のあるそのエリアは生徒たちにとって、格好のお弁当スポットだ。
ふだん、学食に行くこともあるが、たまにこうしてかすみが弁当を作ってきてくれることもあり、そういうときは決まってこの辺りで食べる。
今日の弁当は昨晩の残りのハンバーグと、今朝作ったという玉子焼きなどだ。
「相変わらずおいしいよ」
俺はハンバーグの半分を口に含んだまま、思わず声に出してしまった。
「そう? でも、残り物でごめんね」
「いいって、いいって。そうやって無駄なくするところがかすみらしくって、俺、感心してるんだよね」
もう秋だってのに、最近はちょっと気温の高い日が続いていて、外にいても肌寒さはない。
毎日一緒に登校し、たまにとはいえ、昼は昼でかすみの手作り弁当。
何かバチが当たってしまいそうなぐらい幸せだ。
「あっ、かすみぃ~」
そんなことを考えていたら、向こうから、ちょっと大柄だがスレンダーな女の子が手に何かを持って走ってきた。
クラスメートの
香澄庵の近くにある小料理屋の娘で、商売柄親同士も仲がいいらしい。かすみの幼馴染だ。
俺も同じくかすみの幼馴染とはいえ、小中学校でクラスが別だった柏木とはほとんど接点はなかった。
高校に入ってから初めて同級生になったとはいえ、ふだん教室でも話をすることはほとんどなく、今ここでも柏木はかすみの方だけ見てしゃべっている。
「ああ、お弁当ぉ。いいなぁ」
立てた右手の人差し指を口の端に当て、弁当箱の中を覗いている。
「踊子もよかったら食べる?」
かすみはニコニコして弁当箱を差し出したが、柏木は「え~、悪いよぅ」と断ると手に持っていた焼きそばパンのラップをむき、頬張り始めた。
「ねえねえ、かすみはどうするの、文化祭。回るとこ決めたぁ?」
どうやらこの学校で最も旬な話題は文化祭のようだ。
さっきの春菜もそうだが、プログラムも出来ていないうちから、その内容はほとんど筒抜けになっている。
そりゃまあ、クラス単位の出し物にしても、クラブの出し物にしても、ダブらないように各クラスや部から選出された委員が調整して配分してるわけだから、漏れない方がおかしいが。
「え? 回るところ? パスタ食べ比べ、かな」
「あ、かすみ、ポイント高ぁ~い! なんか、今からすごい人気なんだよ、それ。当日は並ばないと無理じゃないかって言われてるんだぁ」
「そうなの」
「でねでね、もうひとつすごいのがあってぇ。えへへ」
「何よ踊子。もったいぶらないで教えてよ」
「和菓子食べ放題」
「和菓子?」
「食べ放題?」
俺も思わず反応してしまった。
「そうなの。隣のR組は和風喫茶店やるじゃない。そこの隠しメニューって話だよ」
「なんで隠しメニューを踊子が知ってるのよ?」
「K組の菊名さんて、実行委員でプログラム作ってるじゃない。でね、ナイショで見せてもらったの。えへへ」
K組、正確にはカテリナ組だが、そこのクラスの文化祭実行委員は
プログラム印刷が担当ということだが、にしても情報漏らしすぎだろ。
プログラムができる前に、普通の内容どころか隠しメニューまで漏れ伝わってくるとは、何だかなぁ。
ちなみに、メーンはみたらし団子だそうで、軽食で焼きそばとかもやるらしい。
俺たちのクラスは「ハイカラ喫茶」をやることになっているんだが、この分じゃあ全校生徒のほとんどがサービス内容を知ってるだろうな。
こうして、来週の文化祭ではいろんなイベントが行われるため、それぞれのクラスでも部活に参加していない生徒を中心に、放課後には準備作業が行われている。
喫茶なので、カップや皿、紅茶やコーヒー、クッキーといったものは直前に運び込まれる予定で、今週中にやることは、チラシ作りやテーブルクロス、壁の飾り付けの準備など。
それと並んで重要なのは制服の調達だ。
ハイカラ喫茶とは、大正時代のハイカラ女学生のような和服と袴姿で喫茶店をやるというコンセプトで、発案したのは何と紀伊國だった。
衣装は流石にレンタルだが、紀伊國家と懇意にしている呉服店が用意してくれるのだそうだ。
サイスや着付けのこともあるので、今日は衣装合わせをするという。
ウエイトレス役の女の子は希望が殺到したためくじ引きで、春菜、織川、柏木、来栖、穐山、椎名、花家、それにかすみとなった。
着物は
この衣装。
クラス以外の人間には当日お披露目ということで、それまでは秘密にしておかなければならない。
そのため、ウエイトレス役の女生徒たちは今日、来栖の家に集まって最初で最後の衣装合わせをすることになっているそうだ。
つまり、きょうはかすみとは一緒にいることはできない。
残念だが、当日のかすみのハイカラ姿を楽しみに待つことにしよう。
◇ ◇ ◇
「ああ~っ!かすみさん、踊子さん、すごく似合ってますよ。いいなぁ~」
彩ケ崎駅から北に抜ける大通り。
南武デパートの隣という一等地にある来栖のマンション。
ここの一室では、衣装合わせのための最終調整が行われている。
「本当ですね。板についてるって言うか、用意した甲斐があります」
衣装を担当した紀伊國も、うっとりした表情で見つめる。
お揃いの着物とはいっても、矢絣の色や大きさは微妙に変えてあり、かすみのは濃い赤だが、柏木のは
髪飾りを頭に付け、2人ともまんざらではない様子。
「ちょっと、息が苦しいかも」
「じゃあ、少し緩めましょう。お待ちくださいね」
柏木のアンダーバスト付近を確かめながら、着付けのできる紀伊國が帯を締め直す。
「うわぁ、編み上げブーツって初めて履いたけど…なんかカッコいいわねえ」
春菜は姿見の前で、袴も履かずに右脚を前に、左脚を前にと、交互にポーズを取りながら興奮状態だ。
上半身にはブラしか着けておらず、そのままのポーズでなぜだか両手で乳を持ち上げたり寄せてみたりと忙しい。
「あの、佐伯さん…佐伯さん。その、そろそろ着てみていただけませんでしょうか」
紀伊國は遠慮がちに話しかけるが聞いちゃいない。
途中、さまざまなハプニングはあったものの、衣装合わせは和気あいあいと進んでいった。
2時間ぐらいがたち、最終の調整も終わって全員が大正女学生姿で勢揃い。
あまりの決まりように、着ている全員も見惚れてしまうほどだった。
「これで男子もイチコロよぉ!」
柏木は裾を持ち上げて、回転しながら上機嫌だ。
「ふん、男子の視線など取るに足らぬ。こういうものは、同性に認められてこそだぞ」
「きゃああ、穐山さん素敵ですぅ~」
来栖は隣に立っている穐山に抱きついた。
「あ、こら! やめんか来栖。放さぬか。蓮花が見ておるではないかっ」
「え? 紀伊國さんに見られちゃ拙いんですか、穐山さん」
紀伊國は顔をみるみる真っ赤にさせて下を向いてしまう。
「い、いや…」
穐山は続けようとしたが、来栖はお構いなしに続ける。
「あ~っ、分かったぁ♪ 穐山さんと紀伊國さんって、できてるんだぁ! ひゅ~ひゅ~っ」
椎名も来栖に呼応してはやしたてる。
「ええっ! でもそれって、結構似合うかも~」
そこに春菜も乱入。
「抱き合って、キスしてたりしてぇ♪」
穐山と紀伊國が女同士なのに付き合っているのは事実だ。
でもこの2人が付き合ってることを含め、体育館の更衣室の中だけでなく、それぞれの自宅の部屋など、あちこちで会っていたり、夏休みや冬休みには2人だけで泊りがけの旅行にも行ったりしてるなんてことは、鶯谷を除けば誰も知らない。
もちろん、穐山も紀伊國も、この事実は2人だけの秘密にしていた。
だから、来栖たちがはやし立てたといっても、その場の雰囲気で、冗談のつもりだったのだが…
穐山も紀伊國も、その場でうつむき硬直してしまった。
紀伊國が黙ってしまうのは分かる。
だが、普段の性格を考えれば、穐山は当然「なに少女漫画のようなことを言っておるのだ」と反応するものだと、反応してほしいと、みんなは思っていた。
しかし、今の穐山にはそんな様子はまるでなく、両手で拳を握り締め立ち尽くしている。
紀伊國に至っては両手で顔を覆って、しゃがみ込んでしまった。
えっ? という表情で顔を見合わせる来栖や柏木たち。
「ね、ねえ、なにマジになってるのよ」
恐る恐る、春菜が問いかけるが返事はない。
いや~な沈黙が部屋を支配し、それまでのお祭りムードは一瞬にして凍り付いてしまった。
だが、ややあって穐山は達観したような表情で背筋を伸ばす。
「今まで隠していて申し訳なかった」
紀伊國の肩を支えるように立ち上がらせると、2人が付き合っているということを包み隠さず春菜たちに話した。
ぽかーんと口を半開きにしたまま、春菜は腰を抜かしている。
「みなのことだ、薄々は知っているのではないかと思っていたのだがな。見守ってもらえれば幸いだ」
穐山が締めの言葉を述べるころには、春菜や来栖たちの表情は驚きというよりも一種の羨望のような表情に変わり、胸の前で両手を絡ませ、まるで祈るような目つきの者までいる。
「よろしくお願いいたします」と紀伊國も頭を下げる。
やがて、全員が拍手で祝福。
頬を赤らめるセーラー服姿の紀伊國を袴服の穐山が抱き寄せた。
こうして期せずしてカミングアウトしてしまった穐山と紀伊國。
晴れて公認のカップルとなった瞬間だった。