第76話:連休の2人
文字数 4,848文字
「東城さんごめんなさい、待ちましたか」
駆け寄って腕を絡める美砂。
「ぜんぜん待ったよ」
「え~、どっちなんですか、いじわるですよぉ」
じゃれあう2人には笑顔しかない。
右の胸を摺り寄せて東城の腰をがっしり掴んだ上目遣いの美砂と、左肩に回した腕で美砂を引き寄せる東城。
こんな
萩窪の駅前。
地元の彩ケ崎を避け、わざわざ別々のバスでやってきた2人は、仲のいい子犬のように改札を通っていった。
渋谷の街は連休初日からごった返し、駅前のスクランブルも気を抜くと意図せぬ方向に向かわされてしまう。
交差点内に取り残された数台の車が、人の洪水で没した島のようだ。
道路を渡り、目的の建物に向かう。
入り口で人待ち顔の若い男や女の子。
一瞬目が合うが、すぐに向こうから逸らされる。
微妙な優越感。
10Qの店内。
美砂の年頃からちょっと上までをターゲットにした店の数々。
胸にあてがい、鏡の前で財布と相談する。
これもいいなと履いてみる、あれもいいなと腕を通す、これはどうかなと着けてみる。
場所を変わって別のファッションビルでも同じよう。
さっきの店の方が良かったと、また振り出しへ…
振り回されるが楽しい時間。
あしたも休みで気兼ねもない。
「でも美砂何も買ってないじゃん。いいの?」
「お金あんまり持ってこなかったし。それに、一緒にいるだけで楽しいから」
これが美砂の本当の気持ちなんだろうな。
別に渋谷でなくっても構わない。
普段できない、一緒に外で戯れること。
それだけで幸せだ。
手をつなぎ、両側にアクセサリーショップや雑貨屋の並ぶ細い坂道をゆっくり上る。
「あ、このスニーカーかっこいい! 東城さんに合いますよ、絶対」
ダブダブヒップホップのブラザーが白い歯を見せながら流行りのシューズを見せてくれる。
「写真撮っていいですか?」
自分を写すのだと勘違いしている兄貴がポーズを決める。
オープンカフェでは、ちょっと年上のお姉さんが煙草をくゆらせ、絵になっている。
ちょっと田舎の入った彩ケ崎周辺では味わえない、賑やかな一日。
「彩ケ崎にもあるのに、わざわざマッキントッシュってのもなかったか」
「いいんですよ、場所が渋谷なんだし」
少し遅めの昼食はつつましくもバーガーで。
シェイクを飲みながら2階席の窓際で、道行く人波を眺めている。
ユーズド感のあるデニム地のプリーツスカート。
銀色の大きなボタンがフロント寄りの両サイドに2個ずつ。
かなりのミニで、薄ピンクの春ブーツによく合っている。
上は黒のキャミソールで、その上に白のチビパーカー。
いつもの美砂よりも、2、3歳成長したようなその雰囲気に、思わず見とれてしまう。
「樺太は、行かなくていいの?」
「え?」
「いや、山葉が連休で行くって言ってたからさ」
「ああ…。私、行かないですよ。切符ちゃんととってあったみたいですけど、断っちゃった」
「怒ってなかった?」
「記念祭のことで部活の子と前から約束してたって、適当なこと言っときました」
「大丈夫?」
「なら仕方ないかって」
「じゃあ、連休中はこの前決めたように、心置きなく一緒にいられるね」
美砂は東城の左手に右手を重ね、きゅっと握り締める。
「じゃあ、もう少し回りましょうか、東城さん」
「ん。何か買ってあげるよ。買えればね♪」
「え、ホント? やったぁ♪」
店を出た2人は再び雑踏の中に消えていった。
◇ ◇ ◇
やっぱり彩ケ崎や元町とは品揃えが違うわね。
大型書店で目当ての本を見つけた沙貴子は、会計を済ませると大事そうにトートバッグにしまった。
記念祭の参考になる本を探しにやってきた渋谷の街。
あまり遠くまで出歩かない彼女にとって、久しぶりの都会だ。
本当は東城と一緒に来たいと思っていたのだが、誘ったメッセに返事はなく、同じことを聞き直すのもどうかと考え、1人で来てしまった。
「ねえ、1人?」
ナンパされるが前を見据えて無視。
周りはカップルや、そうでなければ女の子同士の楽しげなグループ。
寂しいなとは思うが、学校では毎日会えるわけだし、会ったときの話題づくりにはちょうどいいかも。
渋谷に行くなら帰りに新宿伊勢旦のお茶屋に寄ってきてほしいという母からの頼まれ事もあるが、もう少しこのへんをブラついてみよう。
記念祭のいいアイデアも浮かぶかもしれない。
10Q。
ここは、違うわね。
コルパ。
ここもちょっと。
アーケードの中も、こりゃ。
アイデアとはいっても、ファッションビルを回ってもいいものは思い浮かばない。
記念祭で服やアクセサリーを売るわけじゃないし、こんなのだったら彩ケ崎や元町の駅周辺でも同じだろう。
あ、そうだ。
放送局。
JHKが近くにある。
そこの展示を見てみよう。
見終われば
いいことを思いついたとばかり、坂道を上り始める。
少し離れただけで落ち着いた構えの店もあったりして、この方が自分の雰囲気には合っている。
右手に見える緑が風にそよいでいる。
線路を挟んだ向こうに見える銀色のビルにも緑が映って、涼しげだ。
環状線の電車が枝の間を見え隠れしながら走り去る。
消防署の前を過ぎる。
確かまっすぐ行くと体育館になっちゃうはず。
ここらへんで左に曲がって、あ、見えた。あれね。
「写真と映像で振り返る昭和の日本」
まさに自分の趣味や考えにぴったりの催しをやっているようだ。
沙貴子は期待に胸を躍らせ、門をくぐった。
◇
◇
◇
出る前にもう一度シャワーを浴び、かいたばかりの汗を流し落とす。
2人並んで頭から浴びているが、不意に美砂の胸にシャワーヘッドを向ける。
きゃっ、という短い悲鳴をあげ「やだ、東城さん、エッチです!」と抗議を受けるが、もちろんそんなこと言った本人だってこれっぽっちも思っていないし、思う必要もない。
そのままじゃれあい、キスもする。
結局、脚が疲れたという美砂を休ませるため2人が行った先は、繁華街を少し離れた場所にある、ご休憩3500円の一室。
いつもと違ういでたち、いつもと違う場所という開放感で、部屋に入るなり美砂を押し倒してから、かれこれ1時間ちょっと。
シャワーを浴び、スッキリしてから再びショップ巡りを再開することにした。
「やっぱり、最初に見たのが欲しいな」
ドライヤーで頭を乾かしながら美砂がねだるような顔をする。
「最初って、10Qの?」
「そう。七分袖のジャケット前から欲しかったんですよ。それに色も綺麗だったし」
「じゃあ、服着たらすぐに出ようか」
「そうですね。でも、別の道を通っていきませんか? まだ歩いてないトコいろいろあるし」
「そだな」
時間はまだ16時にもなっておらず、日はまだ高い。
ホテルを出た東城たちは、来たときと同じようにお互いの腰に手を回し、体を密着させたまま細い道を繁華街の方に進み始めた。
◇ ◇ ◇
入ってからほぼ1時間。
資料もいろいろ収集できて、どことなく得した気分。
これで学祭に提案する出し物のプランもあらあらではあるが、ひとつはできた。
あとは、クラスのみんなが乗り気になるか、どうか。
もう少し、ほかのネタも捜して第2、第3の案も出さないと。
なにしろ自分は学級委員なんだから、怠けるわけにはいかない。
しかし、疲れちゃったかな、少し。
連休ということで、東京市内はもちろん、他県からも来たのであろう子供連れなどで放送局の館内は、まるで小学校の教室みたいだった。
お目当てはどうやら、JHKの公式キャラクター「まいどくん」が絡んだイベントのよう。
自分が見た「昭和の日本」は幸か不幸か不人気で、それがおかげでゆったり見ることはできたのだけれども。
しかし、子供というのはどうして無駄にパワーがみなぎっているのだろう。
走ってきてぶつかる、謝らない、ぐずる、大きな声を上げる…
私の子どものころって、どうだったのかな。
お母様は厳しいから、きっとそんな真似は見せなかったはず。
「ずいぶんおとなしい子でしたよ」と聞いたこともあるし、自分でも活発な方じゃなかったと記憶している。
入り口にはこれから見学する親子連れの行列が続いており、すでに体力の限界か、つき合わされくたびれ果てた父親の姿もちらほら。
つくづく、小さな子のいる家庭は大変だなと思ってしまう。
見ているこちらまで疲れが倍増する。
さっさと新宿に回って、伊勢旦に行こう。
新宿なら火の国屋書店の大きなのもあるから、そこに寄るのも楽しみね。
ここを左に曲がって、突き当たりの道を右に行けば渋谷の駅。
左に向かえば原宿の駅だけど、どっちが近いのかしら…
どっちも人は多そうだから、ちょっと人通りの少ない道を歩きたいな。
線路沿いの道なら風通しもよさそうだし、左に曲がって、
「さ、沙貴子」
「御山・・先輩?」
瞬間、ぱっと離れる2人。
「え”?」
思いがけない場所での遭遇に、沙貴子は思わず素っ頓狂な声をあげる。
「お、おう」
「こんにち‥ゎ」
美砂は焦った表情で、最後の「わ」はほとんど聞き取れない小さな声になってしまった。
なぜ、こんなところで。
お互いそう思っている3人は妙に顔が赤くなってしまい、気まずいのではなく、何というか、いや、やっぱり気まずいのか。
3人は3人とも、目を合わそうとせず、思い思いの方向に視線を走らせている。
狭い路地。
渋谷とはいえ、駅前界隈とは違ってやや落ち着いた感のある
地元の繁華街でさえ知った顔に出会うことはそうそうないっていうのに、よりによって渋谷の小さな三叉路で同じ学校の3人が出くわしている。
しかもそのうちの2人はクラスメートどころか、席だって並んで座っている間柄なのだ。
挨拶はしたものの、次の言葉が出てこない。
「お、お茶でも、どうですか?」
沙貴子はワケ分からず、とりあえず思いついたことを言ってみた。
「そ、そうだな」
◇
◇
◇
「…というわけで、東城さんにアドバイスしてもらってたんです」
シックな喫茶店の中。
3人は向き合って談笑している。
東城と美砂はコーヒーで、沙貴子は紅茶。
美砂はクラスメートの男子が今度誕生日なので女子の何人かでプレゼントをあげようと思うが、何をあげたら喜ぶか分からない。
アドバイス受けるにしても兄じゃカッコ悪いので、東城を連れてきたんだと説明。
「こんなのどう思いますか?」と言いながら、さっき撮ったスニーカーの写真も見せている。
こんなところで役に立とうとは。
「私、その子のこと知らないから」
「あ、そうですよね」
「でも、優しいのね山葉さん」
沙貴子は鉢合わせしたときとは打って変わってニコニコしながらカップを口に運ぶ。
東城もうまい具合にアドリブで口裏合わせをし、ついでに美砂の買い物にも連れ回されてヘトヘトだなどと場を盛り上げた。
「せっかく渋谷に来たんだから、いいじゃないですか東城さん」
「まあ、美砂ちゃんと出歩くのも久しぶりだしな。高校入って初めてだよな」
「そうですよ東城さん。いっつも兄さんとばっかり遊びに行ってるんだからぁ」
「2人とも仲いいのね」
「おてんばなだけ」
東城は顔の前で手を振って見せた。
「私、御山先輩のこと、尊敬してるんですよ」
「え?」
「落ち着いてるし、きれいだし」
「そんなこと、ないわよ」
沙貴子は少し照れた表情で、美砂を見る。
「東城さんの言うとおり、私おてんばだし。先輩のようになれたらな」
「山葉さんだって、とてもかわいいじゃない。魅力あるわよ」
「いえ、そんな。御山先輩なら東城さんともお似合いですよ。私、応援してますから」
「…ありがとう」
「ごめんな、沙貴子。そういうわけだから、今日は美砂ちゃんと約束してたんだよ。返信しようと思ってたんだけど、悩んでるうちに出しそびれちゃって」
「ごめんなさい、先輩」
「ううん、気にしてないから。東城さん、今度埋め合わせしてね」
「分かった。任せとけ」
結局、3人はその後も和気アイアイとしたときを過ごし、一緒に揃って彩ケ崎に帰るのだった。