第103話:心の隙間・1
文字数 2,702文字
毎日寝る前の少しの時間、東城と春菜はその日の出来事を電話やトークアプリでやり取りする。
1日、1日と近付いてくる再会の日。
東城のスマホから美砂の画像は消え、待ち受けでは春菜の顔が微笑んでいる。
美砂。
彼女に別れの言葉を告げてから、2週間以上。
会っていたのに、毎日何回も届いた彼女からのトークはもう来ることはなく、インスタの更新も花房神社の祠を最後に止まっている。
東城から別れを告げられる直前、その後に訪れる「悲劇」を知る由もなく撮影したものだ。
あんな一方的な別れ方で美砂を捨てたことに罪悪感は今もくすぶっているが、それもこの2週間の間で幾分かは薄くなってきた。
同じ街に住み、同じ学校に通っているのだから、出会わずに済むことはない。
駅で、学校の廊下で、昇降口で、何度か出くわし、そのたびにお互い目を逸らしてきたが、それはこれからも続くのだろう。
だが、最初のころ彼女が目を逸らすときに見せていた、どことなく寂しさを含んだ表情も徐々に消えてきているような気がする。
このまま少しずつ、彼女の傷も癒えていってくれるのだろうか。
そうなってくれればいいのだが…
「きょうは姫高の野球部が初めての公式戦で、みんなで応援に行ったんだぜ。春菜にも見せたかったよ」
「いいなあチアガール」
◇
◇
◇
スタンドはまさに超満員だ…とはいっても、3塁側の姫高応援席だけの話だが。
美咲市民球場で行われた県大会2回戦の姫高対美咲商業の試合。
相手側のスタンドにはわずかなブラスバンドと生徒たち。
姫高の圧倒的な数の応援に押されてはいるが、試合の勢いは、まったくその逆だった。
初の県大会に出場した姫高は、やはり急造のチーム。
2回戦とはいえ初戦の我が校に対し、美咲商はすでに1回戦を戦って文字通り今大会2度目の試合だ。
甲子園にはほど遠いが、毎年1度や2度は試合に勝っている相手だけあって、初回から打者一巡で5点を奪われている。
「予想はしてたが、ここまで酷いとはな」
「まあ、こおんなもんだろ」
ウチワをぱたぱたさせながら、俺と東城はすでに諦めモードだ。
「諦めるな、まだ1回だぞ。我が軍は裏の攻撃。これからだ」
「かっとばせー」
こんな意見を見咎め、後ろの席から穐山が気合を入れてくる。
横では紀伊國が日傘を差して、2人で昼間から相合傘だ。
てか、後ろの客に迷惑じゃねーのか?
しかし、ほとんどすべての生徒が生の高校野球を見るのは初めてとあって、穐山同様、劣勢にも元気は衰えない。
駆けつけた親たちは、大量の飲み物や学校の名前の入ったウチワを配る、応援団の生徒たちもクソ熱い中ガクラン羽織って守り立てる。
まさに、お祭り気分だ。
「1回の裏、神姫高校の攻撃は…1番、セカンド…」
「おおーっ!」「ガンバレー」
盛り上がるスタンド、吹奏楽部とビッグバンド部に軽音楽部混成のブラスバンドは威勢のいい曲を鳴らし、階段状の通路に並んだチアガールは、ポンポンを振りながら曲に合わせ打者の名前を連呼する。
負けてはいるが、やっぱりこういう経験も楽しいな。
1点でも返し、いいところを見せてくれ!
「おい、この曲って響け!なんちゃらってアニメのオープニングのじゃね?」
「おお!これ、ノリがいいんだよな。いい選曲じゃねーか!」
しかし、期待とは裏腹に、三者三振で裏の攻撃は終わってしまった。
そして今は、5回の裏。
2回に2点、3回に1点取られ、よくやく4回は初めて無得点に抑えたものの、1年生投手の頑張りもここまで。5回表に決定的な6点を奪われてしまった。
このままではこの回でコールド負けというわけだ。
しかも、まだノーヒットどころか、四死球やエラーでのランナーも出ていない。いわゆる完全試合。
「神姫ー! ファイトー!」
もはやスタンド最前列に横一線で整列したチアガールが、声を限りに絶叫する。
ワンアウトでランナーはなく、バッターは3年生の5番。
俺たちと同期。こいつもこれが最初で最後の高校での公式戦。
それを思うとなんだか、胸がジーンとくる。
ヘルメットを取って軽く会釈し、バッターボックスに入る彼。
曲に合わせ選手名の連呼が始まる。
一度もしゃべったことない生徒だが、悔いなく頑張れ!
そして、その1球目だった。
カーンという目の覚める打球音とともに、ボールはライナーでレフト前に弾き返された。
姫高記念すべき公式戦初安打だ。
もうこれは、試合に勝ったんじゃないかというぐらいの、地鳴りのような大歓声。
スタンドは総立ちで飛び跳ねる、生徒も父母も教職員も。
ピアッツァ牧師もイタリア語で何か叫んでいる。
ランナーは1塁上でスタンドに向けてガッツポーズ。
それに応えてスタンドから「ウオーっ!」という雄たけびが上がる。
隣が何を言っているのかすら聞こえない。
泣き出す女生徒。
打ち振られる応援の旗。
もう誰も座らない。
ブラスバンドも立ったまま演奏だ。
いつの間にか肩を組み合って、連呼する。
何なんだこの一体感。
俺らの学校って、こんなすげーとこだったのか。
しかし、熱狂もここまでだった。
次の打者が送りバントに失敗し、ダブルプレー。
最後となったバッターランナーはキャーという悲鳴の中、1塁にヘッドスライディングしたまま、動かなかった。
ああーという落胆の声も小さくなってゆく。
あとは、テレビで見る甲子園中継で、負けたチームの応援団が涙に暮れる、それと同じシーンが展開されたのだった。
◇
◇
◇
こうして忙しかった応援と応援までの日々も終わり、学校も今まで何年も繰り返されてきた通常の姿に戻ることになった。
夏休みにはなったが、普段どおり生徒の姿を見かける校内。
教室では補習が行われ、グラウンドや体育館からも部活の元気な声が響いてくる。
どちらにも属さない生徒はアルバイトを始めたり、あるいは旅行や遊びで思い出作りに勤しむ。
セミの声。
青い空。
入道雲。
焼ける路面。
しかし、そんななか、ふさわしくない2人の姿があった。
ふさわしくない組み合わせの2人。
毎日のように会っている2人。
あるときは公園で、あるときは雑木林の中で、またあるときは神社の祠で…
昼間のときもあれば、夜のときもある。
心に空いた隙間に入り込んだのだろう。
最初は拒絶するそぶりを見せたが、相手の目を見つめた瞬間取り込まれてしまった。
そして話す内容にのめり込んでいった。
親身に話を聞いてくれる。
辛い話でも嫌な顔ひとつせず。
だが、心の傷を負っていた彼女は、この親切な上級生の本当の目的を知らない。