第30話:妹の嘘
文字数 2,335文字
「あ…」
美砂は明らかに焦っている。
俺が家にいることは分かっていたはずだ。
だが、よもや玄関で鉢合わせするとは思わず、心の準備ができていなかったのだろう。
「ご、ごめんなさい。遅くなっちゃって」
「いや、俺もすっかり忘れてたから。でも、どこ行ってたんだ」
「兄貴遅いからさ…外に、食べに」
「1人でか?」
「ん、友達…と」
「友達って」
「部の」
「こんな時間までアレだろ。俺にも責任があるから、今度学校で詫び入れとかないと。誰だよ、名前は」
「いや、そんな詫びなんていいよ、そんな」
「じゃあ、名前だけ教えろよ」
「え、いいよ、そんな。どうしてそこまで」
「言えないような、相手じゃないよな?」
「ん……」
「お前、最近変だぞ。この前も、部活、本当は休みだったんだろ」
「……」
「お前さあ…」
「いいじゃない、そんなこと!」
美砂が突然切れた。
「いいワケねーだろ! 何でウソつくんだ。ウソついてまで、どこほっつき歩いてんだ。いいか、この家に親がいない以上、お前の身に何かあったら困るんだよ!」
「何よ、それ? 自分のメンツのこと考えてるの? それともシスコン?」
痛いところを突かれた。
確かにそうかもしれない。
つい勢いで親のことを持ち出してしまったが、そんなことはどうでもいい。
美砂が何をしているのか、この俺が、知りたいのだ。
ここでやめてもよかったが、止まらなかった。
「何だその言い方? じゃあな、はっきり言ってやる! 春菜から聞いたぞ、全部! お前、まだ東城と付き合おうって気ぃ持ってんのか」
春菜、東城。
この言葉が出たとたん、美砂は横を向いてしまった。
「おい、どういうつもりなんだ。何とか言え」
横を向いたまま答えない。
「あの2人のことを壊すな」
美砂は黙っている。
「俺はシスコンじゃない。恋愛するなとか言ってるんでもない」
美砂は黙ったまま背を向けると、玄関から出ようとした。
俺は肩をつかみ、部屋に引きずり戻そうとした。
美砂は俺を振り払うと向き直り、怒りのこもった口調で言い放った。
「…いいでしょ、誰と付き合ったって。東城さんだって私のこと好きだって、言ってくれたんだから!」
◇ ◇ ◇
公園に呼び出した東城は口から血を流し、顔を押さえ砂場にうずくまっている。
聞く耳を一切持たず、いきなり叩きのめした。
追いかけてきた美砂を振りほどき、東城の顔面にパンチを食らわせたのだ。
美砂は今、泣きながら東城の血を拭いている。
俺が呼び出した春菜も一緒にハンカチで血をぬぐっている。
なぜ殴られたのか、東城もよく分かっているだろう。
殴られた理由が分かれば、後は東城、あいつが考えることだ。
気の済んだ俺は一言も発せず、3人に背を向けるとひと仕事終えた映画のヒーローのように体を翻し、その場を立ち去ろうとした。
しかし、その直後、
突然腰に蹴りこまれ、思わず前のめりに倒れてしまった。
蹴ったのは春菜だった。
「どうして薫をこんな目に遭わすのよ。薫だけが悪いんじゃないじゃない。だいたい、あなただってかすみと涼子と二股かけて、偉そうに人のこと言えた義理なの!」
春菜は機関銃のようにまくし立てた。
「あんただって、かすみ、かすみって言いながら、いまだに涼子には何にも言ってないじゃない。知ってるの? 涼子、本気なんだよ! だけどあんたに嫌われたくないからって我慢してるんだよ。それをそのまんまほったらかして、かすみがダメになったときの安全パイにでもしようって気? サイテーだよ、そんなの! それなのに、どのツラ下げて薫のこと殴るわけよ!」
春菜はなおもまくし立てる。
「…そうだったの」
美砂も呆然と俺の方を見ている。
「…べ、紅村のことは」
俺は何か言おうとしたが、春菜に遮られた。
「だいたい、こういうところに私を呼び出して、薫のこんな姿見せ付けてさ。それで何? 何なの? 私を呆れさせて薫と別れさせようってでもいう気?」
「いや、そうじゃなく…」
「こんなことになったのは、私にだって責任があるんだよ、きっと。美砂ちゃんにたぶらかされてさ。薫、勘違いしたんだよ、優しいから」
春菜は東城をかばっている。
倒れている東城の上体を抱き起こすと「ごめんね」と言いながら血をぬぐっている。
黙っまま見続ける美砂。
「でもな、春菜。美砂がたぶらかしたって、そういう言い方、ないじゃないか。東城だって…」
俺は躊躇したが、続けた。
「…東城だって、美砂に好きだ、って言ったんだぞ」
俺は3人の関係を壊したくなかった。
壊したくなかったのに、自分から壊すようなことを、言ってしまった。
美砂はうつむいている。
「だから何? 私がもっと薫のこと大事にしてあげなかったからそうなったの。薫は悪くないの!」
春菜はきつい表情で、俺と美砂を睨みつけた。
東城は何か言おうとしているが、口の中が切れているためしゃべれない。
「…ごめんなさい…あれ、ウソ…だったの」
うつむいていた美砂が、消え入りそうな声でつぶやいた。
「美砂、それって」
「ごめんなさい。東城さんに好きって言われたっていうの、ウソ…だったの」
「私が一方的に好きになっただけで、東城さんが困ってたの知ってたの。でも、諦められなくって、それで…春菜さんの邪魔をしたりしてたの…うう…悪いのは、私…なの」
そんな。
そんな。
俺は、いったい。
これじゃ俺はピエロじゃねーか。
美砂に踊らされて、美砂の言うことだけを鵜呑みにして、1人で勝手に噴火しちまってたっていうのか?
それで東城をブチのめして、春菜に憎まれ、2人の前で美砂は醜態を晒し、俺は…
俺はどうしていいのか分からなくなった。
「薫、行こ」
東城に肩を貸し、春菜は2人で帰っていった。
美砂の鼻をすする音だけがする。
後味の悪さが残る夜の公園で、俺は立ち尽くすしかなかった。