第102話:県大会に向けて
文字数 5,727文字
期末試験も終わり、来週1週間登校すれば、あとは夏休みだ。
教室の中は開放感に溢れ、背もたれに体を預け頭上で裏返した両手を交差させ気持ちよさそうに伸びをするする者や、向き直り後ろの席の友人と会話に花を咲かせる者、それぞれにすがすがしい顔をしている。
あと1週間とはいえ、その間の授業は返却されたテストを基にした復習や、学期内で不十分だった部分の説明のほかは、進路指導があるぐらいだ。
基本、半ドンとなるため部活の連中は夏合宿や夏季大会などの準備に忙しい。
また、創立記念祭の実行委員に選ばれた生徒たちは、そちらの打ち合わせや種々の用事に駆り出されるため、それはそれで多忙だ。
今回、10年に1度の記念祭ということで、東城や御山、船橋や俺のように1クラスから正副学級委員と記念祭実行委員2人の合わせて4人が選ばれているわけだが、夏休みも雑用があったりするため、実質休みなんてないといっていいほどスケジュールが詰まっている。
やってられん。
それに輪をかけて、今年は学校始まって以来というイベントが行われることになっており、毒皿でそれの対応も引き受けることになったのだという。
高校野球の県大会だ。
今年になってやっと3学年すべてが共学になった神姫高校。
それまでは部員が足らず同好会扱いだった野球部が、やっと正式な部に昇格したのだった。
なんでも、「部員が少ないから君も即レギュラー」という部活勧誘の宣伝文句が功を奏したらしく、4月に新1年生が7人も入部。
それまで5人しかいない同好会扱いだった野球部が、ようやくチームを組める人数をクリアしたわけだ。
そのため、夏の甲子園を目指す県大会に今年初めて参加することができるようになったという。
出場できると決まったのは別に昨日や今日のことではないのだが、初めてのことなので、やらなきゃならない多くのことが後手に回っているらしい。
ホームルームが終わり、いつもならかえで先生が教室を出て行くはずなのに、まだとどまっている。
部活や帰宅しようとした生徒が、「何で?」という表情をする。
すると、実行委員の船橋が先生からの目配せを受け、黒板の前に進み出た。
「ちょっとみなさん、聞いてください」
席を立ちかけた連中が仕方なしに座り直す。
「東城、あんたも来なさいよ」
船橋は例によって呼び捨てで、東城も前に出てくるよう促した。
そういえば東城が学級副委員長だったのを忘れてた。
正副委員長も実行委員会に組み込まれているのだ。
「実は、みなさんにお願いがあります」
咳払いをすると、船橋が教室の端から端まで
それは、高校野球の県大会についてのこと。
大会自体はすでに始まっているが、わが神姫はくじ運が良かったのか、2回戦からの登場となる。
これはまあ、校内の張り紙にも書いてあるから見てる奴は見てるんだろうが、16日の土曜日に試合があるのだという。
くじ運がいいといっても、2回戦なんてのは言葉のアヤみたいなもんだし、初戦には変わりないわけで瞬殺されるんだろうけどな。
で、相手は同じ市内の美咲商業で、まさにご近所対決。
場所や、試合開始時間の説明とともに、東城が同じことを黒板に書いてゆく。
これももちろん、例の張り紙にも書いてあったのと同じ内容だ。
知ってることばかりで、早く席を立ちたそうにしている生徒もいるがお構いなしに続く船橋の説明。
しかし、張り紙に書かれてなかったある内容を告げられると、男子からも女子からも、どよめきに近い声が上がった。
「チアガールを各クラスから最低5人募集します!」
相手がどこであれ、初戦で、しかも1年生のおかげで出られるようなチームには、意気込みがあろうが勝ち目はないだろう。
美咲商もさして強いチームではないというけれど、毎年、初戦や第2戦ぐらいは勝っているところなんだし、それに商業とか工業ってつくとそれだけで強そうじゃねーか。
つまり、とにかくめでたい初の公式戦なので、負けるの承知で精いっぱい応援しましょうと、そういうことで今回の計画が進んでいるらしい。
にしても、あと1週間しかない今になって、チアガール募集とは何たる付け焼刃。
走りながら考えましょう、ってやつか。
「衣装はどうするんですかー」
当然の質問が出る。
各クラス最低5人ってことは、1学年に5クラスだから…75人!?
75人分の衣装を、まさかな…
「作るわよ」
「ええ~っ!?」
これもまた当然の反応だ。
出来合いの…チアガールの衣装があるかどうかは知らないが、それを買って学校名とか入れるのか?
Tシャツやトレーナーにプリントするわけじゃあるまいに、そんな簡単にいくものなのか。
しかし、俺の危惧なんてのは、足元にも及ばない次元のものだった。
「OGや大学、保護者、裁縫のできる生徒を総動員して用意します」
もはや驚きを通り越しその無謀とも思える計画に、ひそひそと隣同士話し合ったり、こいつ頭は大丈夫か? という視線を向ける者までいる。
そりゃそうだろう。
残り1週間。
コピー機で紙を複写するわけじゃあるまいに、デザイン考え型紙作って材料買って、サイズだってさまざまだろうに、誰が着るのかすら決まっていないんだ。
だが「用意する」というからには、それなりの計画はあるんだろう。
「大丈夫です。半完成品がすでに手配してあります。胸のマーク、スカートの裾にラインを縫い付ける作業が残っているだけで、これを手分けしてこなします」
状況を察してか、船橋がすかさず補足した。
しかし最大の問題は、誰が着るかだ。
「時間がなかったのでサイズは7号と9号だけです。サイズが合う人でチアガール希望の人は挙手してください。希望者多数の場合はじゃんけん、希望者がいない場合はアミダになります」
そんな、アミダでチアガール決めるなんて…
女の服の大きさはさっぱり意味不だが、そもそも揉めたりしないのか?
「はいっ!」「はーい」
否定的なことを考える間もなく、あちらこちから希望者の手が挙がった。
その数、ぴったり5人。
まず織川。
彼女はモデル体形で、街角美少女なんてティーンズ雑誌にも写真が載ったんだから大丈夫だろう。
目立つことも好きそうだし。
ついで、来栖。
論評は避けるが、何かしでかすに違いない。楽しみだ。
レナーテとジェシカ。
2人ともアメリカ育ちなんだし、本場のパワーって奴は強い味方になるだろう。仲は悪いけどな。
そして5人目は、
か、か、か、か、か、かすみぃ~!?
その瞬間、俺の頭の中では煩悩が炸裂した。
あのかすみが、どういう風の吹き回しなのか、自らこういった目立つことに参加するとは。
野球なんかどうでもよくなってきた。
かすみの、かすみのチアガール姿が見られることになるなんて、何て果報者!
その後も説明は続き、衣装ができるまでの間は体操服で特訓。
吹奏楽部とビッグバンド部、軽音楽同好会の連合チームが演奏を担当し、きょうからすでに練習を始めたことが告げられた。
ちなみに衣装の製作は美砂のいる家庭部が中心になり、船橋が言ったように中等部やOG、保護者なんかも随時応援に入り特急で仕上げるという。
せっかくの半ドンだが、かすみが応援の練習に残るのだから、俺も喜んで実行委員会に参加していこう。
そうすれば、誰よりも早く、かすみのチアガール姿が拝めるかもしれない。
げしししし♪
最初の迷惑そうな空気は消え、にわかに活気づいてきた教室で、俺は誰よりも期待に胸を膨らませるのだった。
◇ ◇ ◇
「春菜にチアガールのことを伝えたら、えっれえ悔しがっててさ」
「確かに、こういうのやりたがるだろうしな」
あれから数日。
約束どおり、衣装もほとんどが出来上がり、きょうは衣装が配布される日だ。
俺は実行委員会の作業部屋で、東城と世間話をしながら応援メガホンに校章シールを貼っている。
「あー!斜めになっちゃう」
向かい側で船橋が目を光らせている。
「あ、ごめんごめん」
このシールはパソコンが得意な船橋が用意したもので、スキャンした校章がただシール用紙に印刷してあるようなシロモノではなく、稲妻とかボールのマークなんかがあしらってあり、円錐形のメガホンに過不足なく貼れるよう工夫されている。
相当力を入れて作ったものだろうということは素人目にも分かり、だからこそ、ついつい声も出てしまうんだろう。
「野球以外にもやらなきゃならないことがあるのに、時間が全然ないわよ」
愚痴を言ってはいるが楽しそうな船橋。
「船橋さあ、衣装何時に来るん?」
東城はシールを貼り終わったメガホンを点検しながら段ボールに詰めている。
「あと1時間ぐらいで全員分持っていけるって、家庭部から連絡あった」
「そうかそうか♪」
それを聞いてにんまりする俺。
「山葉、あんたの目の前で着替えるわけじゃないんだからね。勘違いしてニヤついてもダメよ」
シールを貼っているくせに俺のにやけ顔に気付いたか、船橋に突っ込まれる。
「船橋先輩。音楽祭のパンフなんですが…」
「それは、K組の吉田さんに担当変わったから」
「ネコミミはどこにしまえばいいですか?」
「ああ、それは…」
その間にも、ひっきりなしに1年や2年がやってきて質問を浴びせる。
別に実行委員長というわけではないのだが、3年生ということもあり後輩にてきぱきと指示を飛ばすので慕われてもいるようだ。
こういうことが結構好きなのかもしれない。
だが、シール貼りの作業にも少し疲れたのか、目の前のメガホンの山に手を伸ばすのをいったん休め首を曲げながら右手で自分の左肩を揉んでいる。
「揉んでやろっか?」
「いいわよ。彼女もち」
船橋ももちろん春菜が戻ってくることを知っているので言った言葉だが、以前東城に告って断られたことを根に持ってるふうでもなく掛け合いのようだ。
「にしても、御山さん、どうして来てくれないのかしら」
今度は左手で右の肩を揉みながら、つぶやく。
N組で学級副委員長の東城と、正委員長の御山は、この実行委員会にも強制参加となっている。
しかし、最近は何かと理由をつけて途中で帰ったり、そもそも参加しない日も多いといい、そこが船橋には不満なんだろう。
現に、俺をはじめ、各クラスの実行委員だけでなくボランティアまでが毎日来ても仕事がちっとも減らないぐらい忙しいのだから。
作業内容を知っている彼女が来てないのは確かに痛手だろう。
「あんた、理由知らないの? 昔の女でしょ」
「知らないのって言われても、ってか昔の女っていうのやめてくれ」
東城だって聞かれても困るだろう。
「ほんと、困るのよね。だいたいさ、委員長が……」
それからしばらくは、船橋の愚痴に付き合わされることになった。
船橋の目の前に積まれたメガホンの山は、俺と東城の手伝いもあって、やっと姿を消した。
ほかのクラスの連中が貼った分も含め、全校生徒や保護者の分のメガホンすべてが揃ったことになる。
というか、いつの間に応援は全校生徒の参加が義務になっていたのやら。
納入されたときの段ボールに詰め直し、いったん室内の端に積み上げ、そのそばから手の空いた生徒が体育館に移動させている。
それほど重くはないが数があるだけに結構な作業だが、バケツリレー方式で運んでいるためスピードは速い。
これも船橋が考えたらしい。
あっという間に段ボールは消え、各クラスの委員やボランティア連中も一息ついている。
しかし汗の乾く間もなく、今度は例のブツがやってきた。
「おじゃましまーす!」
野球部には悪いが、試合そのものより期待が集まっているであろう、チアガールの衣装だ。
製作の中心になった家庭部の女の子たちが段ボールを運び入れる。
入り口近くに立っていた連中も手伝い、船橋の指示の元、箱から出された1着1着が作業台の上に並べられる。
その周りに集まる生徒たち。
「ええ~!結構いいじゃん」「カワイイー!」「私も立候補すればよかったぁ」
ちょっとした騒ぎ。
女生徒に押し出されてしまった俺や東城は、後ろから眺めるしかない。
「ちょっとちょっと、ぐしゃぐしゃになっちゃうから袋から出さない」「そこの男子! においかいでもまだ何もついてないわよ」
衣装の入った袋には、それを着る女生徒の名前を書いた紙片が入れられており、それを名簿と照らし合わせる船橋に忙しさが戻る。
仕上げた家庭部の子たちも満足そうだ。
その中に、美砂と仲のいいタカちゃんの姿もあった。
「あ、こんにちわ」
目ざとく俺の姿を見つけると寄ってくる。
「よく短期間で間に合ったね」
「OGや腕に覚えのあるお母さんたちも手伝いに来てくださったり、家に持ち帰って作業したり、突貫作業でしたけど楽しかったです」
言うように、タカちゃんの顔にも充実感が満ちている。
そういえば、家庭部といえば美砂も所属しているはずだが、姿が見えない。
あいつもこの作業をやったのだろうか。
相変わらず家ではあまり話をしないが、最近は遅く帰ってくる日もあったしな。
「美砂ちゃんもいてくれればよかったんですけど…」
タカちゃんがちょっと寂しそうな顔で、ぽつりと漏らした。
「どうしても外せない用事があるって言って、来なかったんです……って、あ! 私がこんなこと言ったなんて、言わないでくださいね!」
はっとしてタカちゃんは俺の顔を見る。
「あ、言わないから、うん、大丈夫」
焦って返事をしながら、東城の方に視線を向ける。
東城も「オレは何も知らないぜ」という感じで視線を返す。
そりゃそうだろう。
東城はもう美砂と別れ、ここのところ毎日俺や船橋と作業して帰りも一緒だから、美砂と再び…なんてことは物理的にも時間的にもあり得ないだろう。
帰るといっても、俺と一緒だとついつい遊んでしまい、ゲーセン行ったりファミレス寄ったり、あるときはかすみと船橋の4人でカラオケ行ったりで、家に着くのは夜の9時とか10時。
美砂の「外せない用事」が何かは知らないが、俺が家に着いたときは、いつも先に帰っていたのだし。
いったい何なんだ。
「きゃー! かわいい~っ」
いつの間にか、実際に衣装を身に着けるチアガールに選ばれた女生徒たちが室内に集まり始めていた。
人口密度が増し、蒸し暑くなる作業室。
すぐに試着するということで、俺たち男は部屋を追い出され、そのまま解散となった。