第57話:試験勉強
文字数 6,267文字
「さ~てと、どうすっかな。全然勉強してねーし」
東城がへらへらしながら、独り言ともつかぬ言葉を発した。
金曜日。
学校帰りに寄ったファミレスの店内。
週末。明日は休みということで、姫高だけでなく他の学校の生徒も含め、店内はそこそこ混んでいる。
右から左から、前から後ろから、甲高く話す声に包まれ、休み時間の教室にいるのと何ら変わりはない。
というか、それ以上かもしれない。
「月曜から期末テストだな」
俺は野菜サンドに付け合せのポテチを頬張りながら相槌を打った。
11月も間もなく終わろうとしているが、修学旅行、体育祭そして文化祭と続いたイベントで腑抜けてしまい、まだいいさ、まだ間に合うさなどと心の中で勝手な言い訳を並べているうちに迎えてしまった期末テストってわけだ。
「ねえ、勉強しないとヤバいよね。みんなしてるよねえ?」
春菜も言葉とは裏腹に緊張感なんてまるでない様子で、東城の皿から当然のような顔でピクルスを取り、頬張りながら相槌を打っている。
「してる奴はしてんじゃねーの」
東城もまるで他人事だ。
「しょーがねーから、帰って勉強すっかな」
俺もまるでその気が湧かなかったが、言うだけ言ってみた。
「家に帰ってもなぁ…」
東城が気乗りしない雰囲気で言うともなしに言ったが、次の瞬間、目を輝かせて言葉を継いだ。
「お前んチに集合ってのはどうだ! みんなで勉強しねーか? な、いいだろ」
「あ、それいいよ! さんせー!」
「いや、ちょっと待て、いきなり来られても…」
「いいじゃない、何言ってるのよ山葉ぁ」
「そうだぞ、山葉。こういっちゃ何だが、お前のうちは両親が不在だろ。だから俺たちも変に気を使わなくて済むんだ。な、頼むよ」
「いや、今は母さん戻ってきてるし」
「ん? そういやそうだったっけ。 でも、もう行く気になっちまったし」
「うう、う~ん、分かった」
こうしてなし崩し的に俺のうちで3人集まって試験勉強をすることになってしまった。
勉強なら図書館みたいな静かなところでした方がずっと効率的だと思うんだが、なぜそういう発想にならないのか。
まあ、静か過ぎて逆に落ち着かないのかもしれないが、決まっちまったものは仕方ない。
まるで合宿にでも行くような雰囲気で100円コンビニで飲み物や菓子を買い込み、俺たちは家に向かった。
「お帰り。あら、薫くん! 春菜ちゃんも」
「お邪魔しますっ」
「お邪魔しま~す」
「いらっしゃい。久しぶりねえ。薫くんもイケメンになっちゃって。春菜ちゃんも見ないうちに磨きかかったわネ」
母は久しぶりに顔を見た東城と春菜にゴキゲンだ。
2人は中学の時からうちにはちょくちょく来ていたが、両親が樺太に赴任してからは会うのは初めてだろう。
自分たちも若くして結婚したので、東城・春菜のカップルには好意的で、むしろ応援していると言ってもいいぐらいだ。
俺をそっちのけで2人と話が弾む、なんてことも何度かあった。
「あの2人、ほんと似合ってるよね」
彼らの話をすると必ずこう返される。
「結婚したらいい旦那さん、いいお嫁さんになるよ、きっと。それに引き換えジョージはいつになったら彼女に会わせてくれるのかしらね?」
と、決まって同じ落ちになってしまう。
しかしきょうは勉強だ。
「飲みもんと菓子は俺たちで買ってきたから」
そう言って部屋のドアを締めた。
◇ ◇ ◇
どうせはかどらないと思っていたのだが、意外にも真面目な雰囲気でお互いの苦手な部分を教えあいながら、勉強はそれなりに進んでいった。
ひょっとしてやればやれるのか、俺たちって?
始めてからかれこれ2時間。
「う…う……きゅうううううう」
東城が両腕を突き上げて伸びをすると、とたんに疲れが押し寄せてきた。
「流石にちょっち疲れね?」
東城が聞くともなしに聞いた。
「そうだよ~。気分転換しよっ」
春菜がそれに同調し、俺も同じように伸びをした。
「でもさぁ、突然来た割には部屋、綺麗にしてるじゃん、山葉ぁ」
あくびをしながら春菜は部屋の中を眺め回し、俺の方にニヤッとした視線を送った。
「俺は意外とマメなんだよ」
「うん、そうみたいだね……ん?」
「どうかした?」
「ねえ山葉、あそこに積んである雑誌見せてもらってもいいかな?」
部屋の隅に平積みにしてある雑誌の山を春菜が指さしている。
ほとんどがメンズノンノンみたいなファッション誌や漫画雑誌だが、一番上に載っているのは流行りモノを集めた「MOMOマガジン」だった。
「へえ山葉、おめえも結構チェックしてんじゃん」
東城も断りなしに雑誌の山に手を伸ばすと、パラパラとめくり始めた。
だめだなこりゃ。
俺もそうだから分かるが、雑誌を見始めたら勉強に復帰する気なんてとたんに消えちまうんだ。
まあ、2時間やって、それなりの成果はあったといえばあったわけだが、ここまでか?
仕方なしに俺もその中の一冊を手に取ると、読みふけり始めてしまった。
なんか、みんな勉強してた時よりも真剣で、無駄口も叩かない。
それから30分ぐらいたっただろうか。
夜の7時が近くなってきたころ、部屋をノックする音がした。
部活に復帰した美砂が帰ってきたようだ。
「あ、いらっしゃい。集まってどうしたの?」
美砂は部屋を覗きこむと、いたずらっぽく笑った。
普段、施錠していることもあり、勝手に俺の部屋のドアを開けることはないが、玄関に脱いである靴で、この部屋に東城や春菜がいると分かったのだろう。
「よ、美砂ちゃん」
東城が軽く右手を上げて挨拶した。
何が「美砂ちゃんだ」と思ったが、そんなことは口に出せない。
至って平静に、話題を変えるため「美砂、お前は勉強どうなんだ?」と振ったのがそもそも誤りだった…
「勉強? ああ、みんなで試験勉強してるんだ」
美砂はニコニコしながら、当然のような顔で部屋に入ってきた。
「…」
雑誌を両手で開いたまま春菜は無言だ。
美砂は例の「暴漢事件」のあと、しばらくは部活を休み、東城と春菜の3人で帰っていた。
春菜にしてみれば、せっかくの東城との下校デートに美砂がついてくるのだから面白いはずはなかったろう。
だが、事情が事情だけにムゲに断ることもできるはずはなかった。
その間の美砂はどんな態度だったのか俺は直接は知らないが、たまたま元町駅近くで何度か目撃したクラスメートの話によると、「怖い目に遭ったとはとても思えぬ、まるで東城にじゃれつく仔犬のようだった」という。
春菜は数歩離れたところで、まるで置いてきぼりを食らったかのように2人を眺めていることもあったという。
そんな美砂だったが、部活の先輩から彩ケ崎の駅まで毎日送ってくれると言われ、断るに断れず、家庭部に復帰した。
春菜にとって、やっと戻ってきた東城との平穏な日々。
ところが、またぞろ美砂がこうして「乱入」してきてしまい、いい加減うんざりで返事もしたくないという気持ちは痛いほど分かる。
「美砂ちゃんは、ばっちりなんでしょ?」
雑誌からは視線を逸らさず、春菜は極めて事務的に、棒読みのような抑揚のない声で問いかけた。
黙ってるのも空気が悪くなると思って彼女なりに気を使ったつもりなのか、あるいは「ばっちりなんだろうから、さっさと自分の部屋に行けば」という思いもあったに違いない。
だが、お構いないしその横に座ると、美砂は「そんなことないですよぉ」と軽く返事をしているが、みんなは知っている。
美砂は結構勉強ができる。
正確には、勉強ができるというより試験の点数がいい、ということなのだが、まあ、そんなことはいい。
とにかく、中間や期末といった定期試験が終わると、姫高の悪しき伝統で、学年別の結果が玄関に張り出されてしまうのだ。
そして、1年生のトップ20以内にはたいてい美砂の名前がある。
それは別の学年の連中、つまり東城や春菜といったクラスメートも知っていて、それを見ると決まって、
「お前とは出来が違うな」
と、ムカつくことを言われるのだ。
各学年とも1クラスに40人程度。
それが五つあるから、学年全体では約200人ほどだ。
そこでの20位以内というのが、特段いいのかそうでないのかは分からないが、俺が1年の時よりも美砂の方がはるかに上位にいるってのは間違いないことだ。
ちなみに俺たち2年生はどうかというと、毎回1位から10位の常連は、男子なら村本と山本、女子なら穐山と特待生の吉村だ。
俺と東城は似たようなもんで、中の下。
120位から130位ぐらいだろうか。
御山とか、かすみは俺たちよりちょっと上で、100位前後。
で、問題の春菜はというと、来栖や柏木と一緒に150位のあたりをさまよっている。
こいつら結構かわいいから、これで勉強ができたら鬼に金棒なんだろうけど、天は二物を与えずとはよく言った。
慈乗院は以前は俺たちと同じランクだったが、20位以内に入るとナイショでかえで先生にキスしてもらえるという、出所不明のワケ分からんウワサを聞きつけ、今では30位以上にたどり着き「悲願達成」に向け着実に前進している。
美砂を追い出したいという気もあり、俺は2人にもう少し勉強を続けようと提案した。
「んじゃあ、9時までガンバっか」
「うん、そうだねぇ。あと少しだから9時までには終わるよ」
2人は同意し、再び勉強を始めようとした、そのときだった。
「私もここでしよ」
と言い終わらないうちに、美砂はカバンから教科書や参考書を取り出し、広げ始めた。
「美砂、お前は自分の部屋でやれよ。狭いんだからよ、この部屋ぁ」
嫌な予感がする。
不快になった俺の口から、そんな言葉が飛び出したが、そんなことで美砂が引き下がるわけはない。
「え? いいじゃない。別に邪魔するわけじゃないんだし。分からないことがあったら、聞きたいんだし」
「お前、学年違うのに一緒にやっても意味ねーだろ。行った行った」
俺は手の甲を美砂に向け、追い払う仕草をした。
むっとした表情で睨む美砂。
だが、ゴタゴタを避けたいと思ったのか「いいんじゃない。一緒にやっても」という春菜のひと言で免罪符を得たと思った美砂は、俺の方を勝ち誇った表情で見ると、空いている東城の横に移動し、座ってしまった。
春菜もあれだけ嫌な思いをさせられてどういうつもりなのかは知らないが、これ以上、こんなことで空気を悪くするわけにもいかず、俺はぐっとのみ込んだ。
俺たちは古いこたつ用の机で勉強している。
分からないところがあれば、分かる、あるいは分かりそうな誰かがヒントを出して、肉付けしていく感じだ。
俺の向かい側には東城がいて、東城の左には春菜。
東城の右で、すなわち春菜の真正面に美砂が座っている。
ちょうど4人で雀卓を囲んでいるような感じだ。
「東城さん、これ意味知ってます?」
カリカリとシャーペンが紙の上を走る音だけがしていたとき、唐突に美砂が東城に話しかけた。
開いて示している冊子は教科書ではなくサブ教材で使っているアメコミだ。
「え? えっと、単語は簡単だけど…辞書には『くびったけ』とか『好きでたまんない』って出てるね」
「あ、『くびったけ』なんだぁ」
美砂は納得したような表情で続けた。
このアメコミは英語のかなで先生が「教科書よりも英語が身につきやすい」との理由で読ませており、俺たちも別のコミックを使っていた。
「I am crazy about you 私はあなたにくびったけ。ふふ」
美砂は一人悦に入り、さらに続けた。
「じゃあ、東城さん is crazy about Harunaさん.ですよね?」
「…うん」
それを聞いた春菜は、
「じゃあ、美砂ちゃんは誰にcrazy aboutなの?」
と、しれっとして尋ねた。
やめろ。
春菜、お前、嫌なこと経験しただろ。
なんでそんなこと聞くんだ。
こいつを調子付かせるな。
美砂が勉強にカコつけて、余計なことを言ったらどうする。
焼け棒杭に火がついたらどうする。
はっ!
俺はそこまで考えて悟った。
美砂は意味を知っててわざと東城に尋ねたな。
俺は首は動かさず、目だけで美砂の方を見た。
そんなこと知ってか知らずか、美砂はシャーペンを握り締めた右手を頬につけ、かみしめるように英単語を並べ始めた。
「I am
東城も春菜もうつむいたまま、目だけを美砂に向けている。
「I am crazy…
俺も鉛筆を握り締めたままだ。
「…crazy about」
じらされてたまらず、春菜が口を挟んだ。
「譲二!」
それは変な緊張からお互いを逃れさすために言ったのだろう。
春菜の心の中を思うと、それはよく分かる。
むしろ感謝したいほどだったのに。
しかし、美砂の次のひと言が余計だった。
「ええっ? 兄ですかぁ? あっはははははは! 冗談じゃありませんよぉ」
「うるせえよお前!」
俺は急にブチ切れてしまい、両手で机を思いっきり叩いてしまった。
「俺たちは一応にも勉強してんだよ。邪魔するんだったら出てけ」
「ちょ、ちょっと山葉ぁ」
自分にも責任があると思い、焦った春菜がフォローに入ろうとしたが手遅れだ。
「春菜、お前もお前だ。余計なこと言うなよ。俺たち勉強してるんだぜ」
春菜に文句を言う気なんてなかった。
なかったのに。
ごめん、春菜。巻き添えで怒鳴っちまって。
「そ、そうだけど…ど、どうしてそんなに熱くなるのよ。余興じゃない! 応用じゃない! 新しい表現を知って、それを試しに使ってみようとしただけじゃないの」
だが春菜よ、お前は何にも分かっちゃいないよ。
「山葉さ、そうカリカリすんなよ。落ち着けよ、な」
今、一番割り込んで欲しくない東城も口を挟んできた。
「そうだよ、兄貴変だよ。何、一人でキレ散らかしてんのよ」
そこに美砂が畳み掛けた。
おお、そうかい。
3対1かよ。
分かったよ。
上等じゃねーか。
もうやってらんねーよ。
何だよお前ら。
やめだやめだ!
「もうやる気なんか消えたぜ! お前ら帰れ! 部屋から出てけ! とっととうせろ!」
俺ってどうしてこういう性格なんだろう。
いつもこうだ。
止まらなくなっちまうんだ。
分かっちゃいるけど、それは頭の中だけの話で、口も、手も冷静じゃない。
「美砂、お前も出てけよ」
そうだ。諸悪の根源はお前だ、美砂。
それまでは平和だったのによ。
俺が猛然と立ち上がると、美砂も身構え慌てて立ち上がる。
そして、そのままの勢いで思わず肩を強くつかんでしまった。
「いた、痛い。ちょっと!」
「おい山葉、お前やめろって! 痛がってんだろ」
「ちょっと山葉やめなよ!」
東城と春菜も立ち上がって、俺を制止しようとしている。
東城なんかは、美砂の肩をゆする俺の腕をつかんで離そうとしている。
ふーん、そうですか。
結構でござんすね。
俺の気も知らねーで。
「何つかんでんだよ、東城ぉ!」
俺の腕をつかむ東城の腕を引き離そうと、力任せに振りほどいた。
「ああっ! った!」
「きゃあっ!」
東城と美砂、2人は短い叫び声を上げると、体勢を崩して折り重なって倒れてしまった。
倒れるときに美砂をかばったのか、東城はしっかり美砂の頭と体を両腕で抱いて下敷きになっている。
「か、薫…大丈夫?」
駆け寄った春菜は、かがんで2人を助け起こそうとしながら、今まで見たこともないような怒りの視線を俺に向けた。
ばさばさばさ…
倒れた時の振動で、積んであった雑誌が3人の方に崩れた。
一番見られたくないエロ雑誌が、美砂の目の前に飛び出している。
ページがめくれ、大股を開いている女のグラビアがあらわになる。
東城に覆いかぶさったままの美砂は、俺の方にゆっくり顔を向けた。
「…ふ」
聞こえるか聞こえないかというぐらい小さな声だった。
嘲りに満ちた美砂の声。
いたたまれなくなり、俺は家を飛び出した。