第17話:快晴の朝
文字数 2,829文字
目が覚めた。
先に涼子が起きていたようで、部屋のテレビがついている。
「おはよう。着替えも必要だし、いちど戻らないと。電車、動いてるって」
テレビでは暴風雨から一夜明けた街の様子を中継している。
ヘリの映像を見ると、玉川が決壊したようで、水浸しの街が目に飛び込んできた。
あまりの姿にすぐには分からなかったが、これは…美咲元町駅の周辺じゃねーか!
台風本体は南の海上を通っただけだが、流れ込んだヤバい雨雲が未明まで猛威を振るったようだ。
今はもう東の方にスピードを上げて離れていったので、関東全域陽がさしている。
画面が駅前からの中継に切り替わった。
男のリポーターの声とともに映し出されたそれは、ある意味、別世界だった。
ヘルメットをかぶった人たちがボートで街中を進んでいる。
水没した車の、銀色の屋根だけが見える。
あ、あの看板は…Vipバニーズだ。店内が水浸しになってる。
美咲の街には玉川の支流があり、この川の上に架かっているのが学校と市街地の間にある早苗橋なんだが、この川が氾濫したらしい。
駅周辺の市街地はやや土地が低いので、冠水したんだろう。
「こりゃ、授業ねーぞ」
美咲元町より土地が高いところにある彩ケ崎周辺は水没しなかったようで、甲武線の電車はそこで折り返し運転してるという。
「ま、とりあえず帰るか」
「そ、だね」
身支度を始めようとしていたら、スマホがバイブレーションを始めた。
「やべ! 連絡してねー」
俺は大慌てで電話をとった。
画面には着信やトークアプリの未読が50件以上、果ては久々の個人メールまで来ている。
「もしもし」
「おおい、山葉かっ!」
それは東城からだった。
「てめえ、なんで電話に出なかったんだ! …まあよ、無事か? で、何してたんだ? 今、どこよ?」
「は、萩窪のあたり」
「萩窪ぉ? そか、電車、止まったんだな」
「ああ、酷え目に遭った」
「大変だったな。ま、無事でよかった。紅村も無事なんだろうな? それよかよお前、美砂ちゃんになんで連絡しなかったんだ?」
「い、いや…」
「お前なあ、心配して一晩中泣いてたんだぞ! だいたいな…」
「ちょっ、兄貴?」
「え、美砂?」
「バカーっ!」
俺に連絡のつかない美砂は心配して東城に連絡したのだ。
奴からも俺に何度も電話やメッセを送ったという。
履歴を見れば分かる。
美砂、美砂、東城、美砂、東城、父親、東城、春菜、非通知、母親、美砂、母親、かえで先生、母親、母親、美砂、かえで先生、美砂、非通知、美砂、母親、非通知、東城、かえで先生、東城、かすみ…
あらゆるところから電話がかかってきていた。
トークだけでなく、インスタのDMまで届いている。
俺が帰らないのを心配した美砂がパニックになり、あちこちに連絡したらしい。
電話口で泣かれ、心配した東城が家を訪ねて、一晩中美砂に寄り添っていてくれたという。
「おい、山葉」
電話口には再び東城が出た。
「あ、ああ」
「今日、ガッコ休み。駅が使えんから授業ねーってさ」
「そうか。今から帰るわ」
俺は電話を切ると、洗面台に向かった。
学校が休みなら、極端に急ぐ必要もない。
歯を磨いて顔を洗い、制服に着替えて家に帰るだけ。
あとは…美砂に説教されるのか。
どれだけ寝たのか分からない。
ホテルに入ったのは午後10時過ぎぐらいで、風呂に入ったりしてベッドに潜ったのは日付が変わったころぐらいだったろうか。
仕方なしに涼子の横で寝たのは覚えてる。
朝までそのまま熟睡したはずなのに、やけに体がだるい。
何か生気を吸い取られたような、そんな感じだ。
大荒れ天気と馴れないベッド、そして涼子と一緒ということで、いろいろ緊張したんだろう。
洗面所でそのまま服に着替え、部屋に戻った。
俺の目に飛び込んできたのは、着替え真っ最中の涼子だった。
「つ!」
俺は顔をそむけると、洗面所にUターンした。
わざわざ洗面所でゆったり歯を磨き、着替えたりしたのは、その間に彼女が着替えを済ませられるようにという、俺なりの気遣いだった。
なのに、何やってんだ、あいつは。
バスローブを脱ぎ、ブラとショーツだけの姿で、ベッドの上に腰掛けてゆったりとテレビを見ながら髪を整えてやがる。
まるで、見られるのを待っていたかのようだ。
俺は無性に腹が立ってきた。
「おい! 早く着替えて、行こうぜ!」
洗面所から怒鳴るような声で急かした。
「あ、ご、ごめん」
結局ホテルを出たのは起きてから1時間たった午前7時過ぎだった。
ホテルを出ると風はやや強いが、中継で見たのと同じ青空だった。
美咲元町の駅は水浸しだっていうのに、この辺りは道路も乾きつつあり、商店街や役所の人たちが集まり、風で吹き飛んだ看板やゴミをせわしなく集めている。
それなりに勤め人や生徒たちも出勤や通学で歩いており、それを見た瞬間、俺はぱっと涼子から離れた。
いくら顔見知りがいないとはいえ、朝っぱらから高校生の男女が2人揃ってラブホから出てきたトコ見られるのは拙いだろ。
つか、俺と涼子がそんな関係であると思われること自体、心外だ。
どうやらここは東花岡駅の近くらしい。
勤め人の向かう方向はだいたい同じなので、それについていけば駅に着くだろう。
俺は涼子の3歩ほど前を駅に急いだ。
彩ケ崎なんていう中途半端なところで折り返しているため、新宿から来る電車はガラガラだ。
反対側のホームはいつも以上の混みようで、なんか俺たちだけが学校休めるという嬉しさを増幅させる。
東花岡は彩ケ崎の二つ手前の駅なので、すぐに着く。
これでやっと涼子とおさらばだ。
俺は極力関わり合いにならないよう、スマホでトークを読むフリをした。
「あれ、美砂のお兄さん…ですよね?」
向かい側の席から不意に美砂のお兄さんといわれ、思わず顔を上げると、姫高の制服を着た小さな女生徒の姿があった。
今日、休校になったことを知らないのだろうか。
というか、電車が彩ケ崎どまりになってることで気付くだろうに。
「え…っと、ああ、国分ちゃん」
「おはようございまーす!」
これは幸いだ!
涼子としゃべらなくて済む正当な理由ができた。
彼女、
俺は彼女の横に移り、さも親しげであるように話し始めた。
彼女は学校の裏手でヤミ飼育している動物が心配で、とりあえず見に行くのだという。
彩ケ崎から住宅街や林の中を抜けて学校近くに出る俺も知らないような細い道があり、それを伝って向かうのだという。
1時間以上かかるらしいが、どうしても見に行くそうで何とも頼もしい女の子だ。
そんな話をしていたら、あっという間に駅に着いた。
「じゃあ、私はこれで」
「うん、気を付けてね」
「じゃ、帰るね」
「ああ」
武蔵花岡で降りればいいものを、かすみへ冊子を届けるため律儀に彩ケ崎までついてきた涼子だったが、そっけなく追い返す。
かすみの家には俺一人で行き、電話に出なかったことを詫びた。
その後はコンビニで朝飯のパンと牛乳を買い、家に帰った。
なんかすごく久しぶりに見るような感じがした。