第1話:帰り道
文字数 4,179文字
酒が飲める歳になっていたわけでもないので、菓子の代わりに供えるのはソフトドリンク。
カードを差し込めば骨壷や位牌が目の前に現れる屋内霊園。
線香は焚かない。
花も持ってこない。
小さなフォトフレームに入った妹の遺影の前に、紙コップを置きジュースを注ぐ。
写真の中の妹はどこか挑発的な表情で俺を睨む。
一人で寂しくしてないだろうか。
そちらではきょう、どんなことをしているんだろう。
呼び出して邪魔しちまったかな。
数珠もなく、ただ手を合わす。
ほんの数秒。
自分で注いだジュースを喉に流し込み、小さな扉を閉じた。
「じゃ、また来月な」
もう、あれから30年か…
◇
◇
◇
◇
◇
高校2年生。6月。
「山葉くん、なんか元気ないねぇ。どうしたの?」
周りには下校中の生徒がたくさんいるにもかかわらず、涼子は、そう聞きながら俺の右手首をぎゅっと握ってきた。
「いや、そんなことはないけど…」
生徒の中に同じクラスの、特に女生徒がいないか気が気じゃない。
ただでさえ女子の比率が高い
どこかですでに、俺と涼子が一緒にいるところを見られてるんじゃないだろうか。
醸し出される居心地の悪い雰囲気。
だが、もちろん涼子はお構いなしだ。
いやむしろ、彼女は俺の手を握っているところを他の女生徒に見られたいと思っているに違いないのだ。
一応、手を抜こうとしてみた。
しかし、完全にロックされた状態で、しかも涼子は寄りかかってきているので無駄だった。
諦めにも似た境地で視線を右に向ける。
つむじは右回りだ。
サイドの髪が歩に合わせて揺れている。
赤いバッジの3人組が横目でこちらを見ながら追い抜いていく。
1年生だ。
先の方で1人がちらっと振り向くと、ひそひそ話をしているのが分かった。
もう1人も確認するように振り向く。
完全に見せ物状態だ。
どこかで見たような顔だ。
「…よねえ」「ほんと…」「わあ…」
何か言ってやがる。
「…ちっ」
思わず舌打ちする俺。
「ん? どうしたの?」
それに反応したのか、右手を掴んだままの涼子は少し首を曲げると上目遣いで俺の方を見た。
イントネーションが関東とは微妙に違う、いつもの涼子の話し方だ。
「…いや、別に」
もうずっと、毎日毎日こんな感じだ。
ここできっぱりと体を引き離して逃げるなり、断るなりすればいいのかもしれないが、いまいち行動を起こす勇気が出ない。
「俺は本当はかすみが好きなんだ」
そう言えればどんなに楽か。
しかし言えないまま、毎日が過ぎてゆく。
なぜ言えないのか自分でもさっぱり分からない。
確かにかすみとは幼馴染で、他の男子に比べれば親密さでは一日の長がある。
かすみも俺に対する態度は、他とは違っているように感じる。
感じるのではなく、きっとそうだという根拠のない確信じみたものまである。
なにしろ彼女とは小中、そしてこの高校でも同じ学校なのだから。
しかし、かすみが本当のところどう思っているのか、聞く勇気がないというのも事実だ。
もし、俺の思っていることと違う事実だったら…
確かに、かすみが他の男子と笑顔で話している姿を見ると、何となくイラっとする。
違う事実。
それが怖いから、かすみにも確認することなく、だらだら過ぎてしまった。
そんな隙間に一瞬とはいえ入り込んできたのが涼子だった。
先週の放課後。
その日は
暇だったので南口商店街をブラブラしていると、ある書店から若い男が猛烈な勢いで飛び出していくところだった。
「待て!」と、店員とおぼしきエプロン姿の男も続いて飛び出す。
どうやら万引のようだ。
だが次の瞬間、逃げた男は歩いていた女の子に真正面から衝突。
女の子は吹き飛ばされ、その場で仰向けに倒れてしまった。
男は一瞬つまづいたものの振り向きもせず走り去り、俺はその女の子に駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
店員や通行人も寄ってくる。
「ここは俺がやりますんで、追いかけてください」
なぜだか妙に冷静な俺は店員にそう告げると、倒れた女の子の背中に手を回し「大丈夫? 起きれる?」と声をかけた。
制服から、この女の子はうちの生徒だと分かった。
バッジも青。同じ学年だ。
「だ、大丈夫」
自力で上半身を起こすも、何が起きたのか飲み込めないようで、少し震えている。
「あの、これ、あなたの?」
別の学校の制服を着た女生徒が落ちていたメガネを差し出してくる。
「あ、どうも」
受け取った女の子は立ち上がると、その女生徒にお辞儀をしてメガネを掛け、こちらに顔を向けた。
「ん? あ? 紅村さん?」
メガネを掛けた顔でやっとわかった。
ぶっ倒されたこの女の子はクラスメートの紅村涼子だった。
メガネを掛けている人のことは、その顔をメガネと一体で認識している。
家族や友達みたいに四六時中一緒にいる相手ならともかく、そうでもない相手はメガネを外した顔なんてそうそう見る機会はないから紅村だなんて、これっぽっちも気づかなかったのだ。
「あ、山葉くんだったっけ。その、ありがとう」
なんか、顔が火照ってくるような感じ。
「お、おう、大丈夫、みたいだね」
と言うと急に恥ずかしくなり、半歩離れる。
近くの店の人が救急車か警察呼ぼうかというのを断ると、俺たちは足早にそこを離れた。
その翌日の放課後、俺はお礼がしたいという涼子に校舎の階段踊り場に呼び出され、告られたのだ。
涼子は俺たちと同様、高校から入学したくちだ。
家族の転勤で、小5のときに関西方面から
俺は彩ケ崎中だが、彼女は東中だという。
東中出身者は少なく、高1のときからあまり話す相手もいなかったという涼子。
1年から2年にクラスごと持ち上がった俺たちだが、確かに彼女が誰かと親しげに話している姿は記憶にない。
「付き合って、もらえませんか?」
いつもは微妙に
「幼馴染とはいえ、かすみが彼女になってくれる保証はないぞ」
「いやいや、あなたはかすみじゃなきゃ駄目よ」
「おまえ、このチャンス逃すのか?」
「かすみともチャンスは必ずあるわ」
「これでお前にも春が来る」
「春はかすみと迎えるんでしょ!」
悪魔と天使の攻防が頭の中で一進一退を繰り広げたが、天使が一瞬気を抜いた瞬間、
「う、う・・・・・ん」
と、
たった1週間前の出来事だったのに、まるではるか以前から恋人であったかのごとく、下校時の俺の横にはそれ以来、涼子がピタリと張り付く日々になってしまった。
右側の車道を勢いよく自転車が走り抜けていった。
「じゃあね~!お二人さん、ひゃっは~!」
ああ、椎名に見られた。
クラスでも元気娘で知られる
椎名なので、「しー子」とか「しーちゃん」、しーをアルファベットのCに当てはめ、なぜか「B子」とも呼ばれている。
が、そんなことなぜ冷静に考えてるんだ俺は。
今はそれどころじゃねえ。
だいたい、ひゃっは~じゃねえだろ。
俺は違うんだっての。
だが、心の中で叫んだって誰もわかっちゃくれない。
「またプール行こ」
俺の心にはお構いなしに、涼子が行き先の希望を告げる。
6月もまだ始まったばかりだが、太陽がギラついている。
暑いのでプールに行くのもよいだろう。
だが、なぜ涼子となのだ。それも再び。
先日、涼子に懇願され駅近くのスポセンに行った。
彼女はあんまり泳ぎが上手じゃなかったので、浮いた体を両腕で支え、前に進む練習をしたり、両手を引っ張って手助けしたりした。
それまで、自分の周りで気軽に話せる年の近い女の子といえば、かすみ以外は妹の美砂や東城の彼女の春菜ぐらいだった。
だから、泳ぎの練習とはいえ、合法的に女の子の体に触れて、ムラムラっとしなかったといえば嘘になる。
それどころか、相手が涼子なのに、水着姿の女の子を間近で拝めるという下心、プールにいる他の男どもに「俺にはプールに一緒に来てくれる女の子がいるんだぜ」という顔ができるという、歪んだ優越感があったのは認めよう。
しかし、このままでいいんだろうか。
今のまま涼子と一緒にい続ければ、彼女はますます本気になり、さっきの椎名ではないが、勝手に周りから外堀を埋められ、引くに引けない状態になってしまうような気がしてならないのだ。
それはすなわち、かすみを諦めなければならないということだ。
かすみは、俺が涼子とこんな時間を過ごしていることを知っているのだろうか?
もし、知られてしまったら…
もう、知っているのか?
何とかしなくては。
「なあ、紅村」
坂を下り、左手に
「どうしたの、下の名前で呼んでくれていいのに。ん? プール行く気なった?」
「いや、プールじゃなくって」
「なら、ファミレスにでも行って時間つぶす?」
「あ、いや、何も食べたくないし」
「わたしね、もうひとつ水着買おうかなって思って。付き合ってくれる?」
「なんでそんな脈絡ないことを…」
「夏休みに海でクラスの合宿があるじゃない。それに持って行きたいなって」
ああ、そうだった。
8月には恒例のクラス合宿があるんだった。
3年生は進学や就職に備えて行われないが、1年生は山、2年生は海に行くことになっていたんだ。
1学年に5クラスある神姫高校では、日にちをずらし、各クラスごとに2泊3日の日程で夏合宿を行う。
クラス替えがないから、去年、1年生だったときは今と同じメンバーで山へ行ったっけ。
水の綺麗な渓流で、魚を捕まえようとした
かすみや
あのころは、御山とも普通に話せたのになあ。
夜は案の定、花火大会があって楽しかったな。
春菜や
涼子は…?
1年生のときも涼子は同じクラスだった。
しかし、あの合宿のときの彼女の印象はやはり残っていない。
いや、合宿だけでなく、普段のクラスにおいても、その存在をほとんど覚えていない。
あのころは、どんな娘だったんだろうか…