第25話:先生の「失踪」
文字数 2,916文字
「起立!・・・・・・・礼っ!」
学級委員の穐山の声はよく響く。
軍隊調の、まさに、こういう号令をかけるためにあるんじゃないかと思えるほどの声質だ。
3時限目の国語が終わり、次の授業まで10分の休憩。
東城は横の席の春菜とじゃれ合っている。
こいつら毎日毎時間ずっと一緒にいて、よく飽きないもんだと感心する。
2学期が始まり、9月もはや15日。
授業は普通のペースに戻り、夏休み気分も抜けて久しい、いつもどおりの毎日。
腹の減りつつあった俺は、昼休みが待ち遠しかった。
トイレに行く奴、席の周りでしゃべる奴、ひたすらスマホをいじってる奴。
相変わらずの光景だ。
「あ、レナーテ。また彫刻刀で鉛筆削ってる。日本の正しい削り方教えてあげる、なんちて」
レナーテの天敵、ジェシカがまたちょっかいを出している。
栗毛に茶色い瞳のジェシカはアメリカからの留学生で、1年のときに入学した。
日本マニアらしく、俺らも行ったことのない場所やしきたりなども知っているし、会話でも「親の七光り」とか「七転八倒」などということわざや四字熟語が出てきたりと、感心させられる。
ただ、情報というか趣味に偏りがあるようで、「フジョシ」とか「シハツデビッグサイト」などとよく分からないことを言っていたりもする。
夏休み中にあった、例の美崎湖花火大会での喧嘩騒動のことも忘れ、何かにつけてレナーテに絡んでいくジェシカ。
本当はジェシカの奴、レナーテのことが好きなんじゃないだろうかとも思えるが、真相はナゾだ。
当のレナーテは、煮え湯を何度も飲まされただけあって完全に黙殺を決め込んでいる。
セミロングの金髪に青い目のレナーテ。
夏だが、白い長袖の中間服を着ている。
日焼けすると白い腕が赤くなってヒリヒリするからだという。
彼女も1年の時からのクラスメートだ。
ジェシカはあとひとこと何か言いたそうだったが、相手にされないと見ると、別の女生徒の方に駆けていって話の輪に加わった。
俺は何気にレナーテが鉛筆を削るさまを見ていたが、視線を感じたのか、目が合った。
「器用だね」
「ヤマハも、やってみる?」
レナーテは彫刻刀の柄の方を俺に差し出すと、にっこり微笑んだ。
彫刻刀は美術の授業で数回使う程度のものだが、レナーテは持ち帰らずロッカーにしまっており、こうして鉛筆を削るのに日々使っている。
俺は基本的にシャーペン派なんだが、緊急時に備えて何本か鉛筆も持っていたので、ちょっと削ってみることにした。
というか、これぐらい楽だろうと思い、レナーテに「いいところ」を見せようという魂胆もあった。
「にしても、かえで先生どうしたのかしらね」
俺の手先を見ながら、レナーテが怪訝そうな声を発した。
「うん。どうしたんだろうな」
さっきの国語の授業は当然、担任のかえで先生の受け持ちのはず。
しかし、かえで先生に代わり、教室に現れた小錦理事長は何も言わず授業を始めてしまった。
ホームルームに先生が来ないことは稀にあるが、授業をすっぽかすことはあるはずない。
勝手に「かえでガーディアンズ」と名乗っている慈乗院の狼狽は激しく、目は泳ぎっぱなしだ。
こんなとき、一緒に住んでいるかなで先生に聞くのが一番なのだが、イギリスの学校との交流のため、生徒10人ほどと現地へ行っており、事情は知るはずもない。
生徒たちは朝からこの失踪の話題で持ちきりだった。
かえで先生の性格を考えれば、連絡もなく無断欠勤などあり得ないからだ。
東城と春菜が寄ってきた。
「にしてもよ、さっきも言ったけどさ、おかしいよな」
東城は腕を組みながら、真顔だ。
「ねえねえ、帰りに寄ってみようよ、かえで先生んち」
春菜もいつになく真剣な眼差しで、俺はこういっちゃ悪いが、春菜でもこんな表情することがあるんだなと思っちまった。
「かえで先生んちに寄る」という会話に敏感に反応したのは、慈乗院だった。
「行く行く、一緒に!」
さっきまで宙を彷徨わせていた視線もやっと安定したようで、俺たちの方を懇願するように見つめている。
「んじゃま、そういうことにすっか」
東城も納得したように何度も頷き、放課後の行動は決まった。
と、そのとき、俺の指に痛みが走った。
話しながら鉛筆を削っていたため、彫刻刀で指をざっくりやっちまったのだ。
「つぁー、いてっ!」
あっという間に机に数滴の血が滴り落ちた。
「ちょっ! 大丈夫ぅ。行った方がいいよぉ、医務室」
絆創膏一枚ではおさまりそうもないことは、ひと目で分かる。
春菜に言われるまでもなく、ちょっと情けない表情を見せ、指を押さえたまま教室を出る。
一応、授業で使う物とはいえ、目的外で使う彫刻刀を貸した手前、さすがに一人で行かせるのは拙いと思ったのだろう、レナーテも追いかけてきた。
「え? いいよいいよ、気にすんなって」
「でも、こんなに血が出てて、早く何とかしないと」
4時限目の開始を知らせるチャイムが鳴り始めたが、俺たちは1階の隅にある医務室へ急いだ。
◇ ◇ ◇
キ・・・
少しきしむ音を立て、医務室のドアを開ける。
カーテンがすべて閉められた室内。
一瞬鼻を衝くアルコール臭。
学校の中でも、ちょっと異質な空間だ。
「…すいません」
俺でなく、レナーテが室内に向かって声をかけた。
誰もいないのか、返事はない。
白い薬品棚や、貧血とかで倒れた生徒を寝かせる簡易ベッドが置いてある。
「あの~」
俺もひと気のない空間に向かい声をかけてみたが、やはり反応はなかった。
「仕方ないね。私がテープ巻いてあげる」
ずっと押さえていたため血は少し止まったようだが、治療しないわけにはいかない。
レナーテは、止血用テープやアルコールなどを探し出すと、俺の指を消毒し薬を塗ってから、器用にテープを巻いてくれた。
「これでたぶん、いけると思う」
「あ、ありがとう。でも、器用だねほんと、レナーテは」
「うん。お父さん仕込みなの」
「へえ、レナーテのお父さん、こういうの得意なんだ」
「得意というか、doctorだから」
「ドクター?」
「ええっと、なんて言うのかな、日本語で…う~ん、軍隊の・・医者?」
「ああ、軍医?」
「そう言うのかな、グン・イ」
「へえ、すごいなぁ」
「キャンプでも役に立つからって教えてくれたの」
傷は痛かったが、こんな感じでレナーテと親睦を深められたような気がして、俺はちょっぴり嬉しかった。
「じゃあ、行きましょうか」
「そだね」
授業には遅刻だが、治療も終わったことで、俺たちは医務室を出ることにした。
と、そのとき、
「ん、ん~ん。ふ」
何だか呻くような苦しい吐息が奥の方から聞こえてきた。
レナーテと顔を見合わせると、視線は声の聞こえてきた方にゆっくり移動する。
さっきは陰になってよく見えなかったが、そこにはカーテンに仕切られた小さなスペースにベッドが置いてあった。
「誰か休んでるのかな?」
気にはなるが授業がある。
特に確認はせず出ようとしたとき、もう一度呻き声がして、カーテンの隙間から腕がぽろりと現れた。
「あ」
レナーテは短く叫ぶと、ベッドの横に駆け寄り、腕を中に戻そうと手を取った。
「あ!ヤマハ、これっ!」
「え、どうした」
驚いた表情でベッドを見つめるレナーテ。
そこには、横たわるかえで先生の姿があった。