第47話:沙貴子、馴れ初め~その4
文字数 4,123文字
6月になって行われた、地元・美咲商業との練習試合。
3セット制の試合はすでに神姫が2セットを先取し、勝敗は決している。
だが、沙貴子は精彩を欠いていた。
「御山。お前きょうどうしたんだ。体調でも悪いのか」
腕組みしたコーチは不審そうに尋ねる。
昨年のブロック大会で奇跡の4回戦進出を目の当たりにした学校が、今年度から契約した外部のコーチだ。
「いえ。大丈夫です」
「大丈夫に見えないな。あんな凡ミス、らしくないぞ。プレーに雑念が入ってるように見えるが。どうした」
確かに、プレー中も頭の片隅にはバレー以外のものが入っていた。
今までできた集中が、きょうの試合ではできなかった。
私は、どうしたんだろうか。
「3セット目は休め。来週の練習試合までに元に戻せ」
「…はい」
だが次の練習試合でも沙貴子の調子が戻ることはなかった。
◇
◇
◇
スポーツに限らず、スランプは必ずやってくる。
好調時には何をやってもうまくゆき、ミスさえもチャンスに変えてしまう「引き」の強さまで呼び込める。
それが一点不調になると、今までできた簡単なことも失敗し、アイデアは何も浮かばず、余計なことばかり考えるようになる。
今の沙貴子が正にそれだ。
その原因は自身でも分かっている。
沙貴子は中学時代、ある先輩に告白された。
かっこいい男ではあったのだが、潔癖症が災いし手を握るようなこともないまま、別の女に横取りされてしまった。
これが一種のトラウマになり、恋愛とは距離を置くようになっていた。
それ以降も告白されたり、靴箱にラブレターを入れられたりしたことはあったが、どんな言葉も文章も美辞麗句が並べられているだけで全く心に入らず、ことごとく即断で振っていった。
それは高校に入ってからも変わらず、男子と会話をするときも妙に硬い態度や話し方に現れた。潔癖症というよりむしろ「男性拒絶症」にでもなったような感じで。
それは相手が東城であっても同じだったのだ、当初は。
そもそも東城は高校に入ったときからすでに中学時代から付き合ってる春菜という恋人がいて、対極の存在、いや敵みたいなものだった。
朝出会っても挨拶をほとんどしなかったのは、そのためだ。
ところが、あの日、電車の中で助けられ、意図せず話す機会に恵まれた。
バスの中では、ちょっと特殊なケースではあったが、東城の体に触れてしまった。
しかもその東城とはバレーという共通の話題があった。
その後も偶然が重なり、人となりが分かってきた。
今まで散々避けていた異性。
その異性に心が向きつつある沙貴子。
もっとあの人のことを知りたい。
私にもあんな彼氏がいれば、バレーにもっと力が入るかもしれない。
応援に来てもらいたい。一緒に一喜一憂したい。
そんなことを悶々と沙貴子は考え始めるようになってしまっていた。
相手に彼女がいようが関係ない。
「きょうは帰って休め」
「大丈夫ですか? 御山先輩」
練習試合の翌日。
この日も気持ちだけが空回りし、ミスを連発。
見かねたコーチに言われ帰途に就いた。
「外はこんなに明るかったんだ」
早苗橋の河川敷にあるベンチ。
気がつくと座っていた沙貴子は、川面に映る空を見ながらつぶやく。
橋を渡っていく生徒の姿が見える。
ため息をつく。
こんな時間に帰るのは久しぶりだが、母親への説明が億劫で駅に向かう気力がわかない。
なぜこんなことになったんだろう。
分かっているのに自問する。
馬鹿みたいだなと思う。
さっさと忘れたいとも思う。
今夜寝ればあすの朝には吹っ切れているだろうか。
だったら今すぐにでもベッドに入りたい。
でも、吹っ切れるわけなんてない。
きっとあすもあさっても同じ状態は続くだろう。
私はそういう性格だ。
どっちつかずは許されない。
沙貴子は小さいころから、些細なことが尾を引いて忘れられない
その些細なことも曖昧にできず、必ず答が出るまでいつまでも諦められない性格。
答が出るまで寝ても覚めても忘れない。
相手がとっくに忘れていることも追及していく。
小学校ではこれで喧嘩になったり、相手を泣かせたこともある。
根気がいい、という言い方はあまり相応しくなく、むしろ執念深いと言った方が腑に落ちる感じだ。
しかも答が出る前からその答は自分で決める。
白でもいい。黒でもいい。
「こうでなくてはならない」と。
その自分の望んだ理想の答えが出るまで諦めない。
灰色の答はあり得なかった。
だから、こんな思いをするぐらいなら、いっそのこと東城を忘れよう。さっさと告ってふられた方が気が楽だという結論に達する。
待っていても答が向こうからやってくるわけないのだから。
これ以上、部のみんなに迷惑かけたくない。
そうだ、ふられよう。ふってもらおう。
私が恋愛だなんて、何考えてたんだろう。
かかなくていい恥をかくなんてばかみたいだけど、そうしよう。
これが私のため。部のためなんだ。
今回彼女が選んだ理想の答えは、「東城に告白してふられること」に決まった。
この答を得るのは簡単だろう。
なにしろ相手は彼女持ちだ。OKなんてするはずない。始まる前から結果が見えてる試合と同じだ。
こう考えると一気に気が楽になる。
さっそく連絡を取ろう。
今夜にでも時間をつくってもらい、どこかで会えないだろうか。
スマホを取り出す。が、トークアプリの友達リストに東城の名はなかった。
こんな、連絡先も登録していない相手に心を乱すとは。
なんか、今まで悩んでいたのがバカみたいだ。
仕方ない。あす直接伝えよう。
◇ ◇ ◇
翌日。
朝練では久しぶりに動きが良かった。
この後得られるであろう望みどおりの答の効果が早くも出たのだと思う。
「御山さんおはよう」
教室に向かう途中、階段で東城がいつもの笑顔で挨拶をくれた。
いきなりで心の準備ができていなかったが、ちょうどいい。
「昼休み、時間つくってもらえる」
挨拶も返さず要件を伝える。
「昼休みに?」
「そ、そう…昼…休みに」
どうしたんだろう。
忘れるためだというのに、いざ本人を目の前にしたら、勢いが…しぼみそうだ。
「いいけど。昼とかも練習してる子いるけど、御山さんは大丈夫なの」
「だ、大丈夫なの。昼練は任意だから、その、大丈夫」
なんだかしどろもどろになってきた。
「場所はどこ?」
「体育館で…一人で…来て。すぐに、済むから」
「んー…分かった」
『これで、楽になれるんだ』
◇
◇
◇
昼休みの体育館は基本、出入り自由だ。
食事が終わった辺りからは、体をほぐす部活生や食後の腹ごなしなのか、体育会系でない生徒もバドミントンで遊んだり、2対2でビーチバレーもどきみたいなことをしていることもある。
「今は誰もいないわね」
先に着いた沙貴子は館内をチェックすると、入り口近くの水飲み場で待つ。
東城はすぐにやって来た。
「お待たせ」
「ごめんなさい、時間取らせちゃって」
「で、体育館で何かあるのかな?」
「ちょっと、こっちに来てもらえる」
沙貴子はバレー部が毎日練習しているコートの辺りに立つと向き直った。
目の前には東城がいる。
顔がなんか火照ってきた。
『焦るな沙貴子。これで楽になるんだから落ち着いて』
「あの」
「練習、付き合えばいいのかな」
「え、違うの。その」
「?」
「東城くんのこと…好きになっちゃった」
「え?」
「最近、東城くんのことばかり考えちゃって、練習とかミス増えちゃって、東城くんがその、見守ってくれれば、もっと上手くいきそうな気がするの。それで、東城くんがよければ、わたしを、好きになってくれて
『あ、あれ? わたし何言ってんだろ』
その、見守ってくれたら、わたし嬉しいし。東城くんに彼女いるのは分かってるんだけど、邪魔しないから。でも、東城くんのこと思ってる人がほかにもいたっていいよね。わたしも、わたしを見守ってくれる人がいればもっと力が出せるし、東城くんのこと好き。わたしのことも好きになってほしくって
『まずい。こんなこと言うはずじゃなかった』
東城くんがいないと、わたしダメになっちゃいそうで。わたしを助けてよ。ねえ、だめかな」
気がつくといつの間にか東城の両肩を掴んで、うなだれたまま一方的に伝えていた。
ああ、どうしよう。
こんなこと言うなんて。
§
「東城くん、わたしと付き合って」
「え? 駄目だよ。オレには春菜がいるし」
「そっか、そうだよね。ごめんね。今言ったこと忘れて」
「じゃ」
§
たったこれだけで儀式は終わるはずだったのに。
そういえばわたし、告白されたり手紙もらったことはあったけど、自分から動いたこと、なかったな。
でもドキドキしてる。
ふられるの、嫌だ。
ふられたくない。
せっかく初めて告白したのに。
好きなのは、きっと本当なのに。
嫌だ。ふられたくない。ふられたくない。
なんか涙が出てくる。
ふられた私を想像して泣けてくる。
コートに涙がぽたっと落ちた。
ねえ、好きって言って。
わたしのこと、受け入れて。
君のことが欲しいんだよ。
「…でも、オレは春菜がいるし」
「それでもいい」
「…」
「わたしを力づけて、弱ってるときは助けて、守ってほしいの」
「…」
「デートしてとか、キスしてとか、そういうことじゃなく」
「…」
「わたしのこと好きだという気持ちを持ってくれるだけでいいから」
「…御山」
「わたしの味方してくれて、一緒に泣いて一緒に喜んでくれるだけでいいから」
沙貴子の本音がほとばしった。
試合や練習で上手くいかず、悩んでいた沙貴子。
ふられて吹っ切るのではなく、本当は心を支えてくれる人に近くにいてほしかったのだろう。
「分かった」
「!」
「言ってくれてありがとう。オレ、頑張ってる御山好きだから」
「…」
「オレでいいなら御山の力になるよ」
沙貴子を抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「迷惑じゃない?」
「そんなことないよ」
「わたし、好きになってもいいの?」
「…いいよ」
「わたしのこと、嫌いじゃない?」
「嫌う理由なんてないよ」
『よかったのかな、これで。でも、何だろう、この幸せな気持ちは』
沙貴子は人生で初めて、決めた答以外を選んだ。
だが、後悔はこれっぽっちもなく、暖かな羽毛ような感触に包まれていた。
◇
◇
◇
「御山、きょうは見違えるな」
放課後の練習。
そこには前にも増して磨きの掛かった御山沙貴子の姿があった。