第31話:妹の復讐
文字数 3,548文字
「と、東城くん、どうしたの?」
月曜。
春菜とともに教室に現れた東城を見て、かすみが驚きの声を上げた。
東城の左の頬には大きなガーゼがあてがわれ、顔の側面を一周するように包帯が巻かれている。
「うわ、どうしたの? 痛そう」
レナーテや御山、他の生徒も東城と春菜の周りに集まり、騒々しい。
「薫ったら、階段から落ちそうになった私を支えてくれて、下敷きになっちゃったのよ。その時、顔を打っちゃってさ。あはは、大丈夫だから」
春菜は明らかなウソをついている。
しかし、そりゃそうだろう。
あんなこと、言えないよな。
俺だって言えない。
言えばまた、今度は全く関係ない連中の前で傷口を広げるだけだ。
だが、俺は俺で、本当のことを言わなかった春菜に感謝したい気持ちでもあった。
俺は普段ならこの2人と揃って登校するのだが、土曜の晩にあんなことがあって、普通の神経じゃそんなことできないだろう。
というか、普通じゃなくってもできない。
それどころか、俺は2人と駅で会わないようにするため、いつもより30分以上も早い電車に乗り、登校した。
こんなことで教室一番乗りを果たすとは。入学以来初めての経験だった。
「しゃべれないもんだから、授業でも当たらないって喜んでるんだよ、薫ったら。あはは」
明らかにカラ元気って感じもするが、春菜は女生徒の中央ではしゃいで見せた。
春菜も東城も教室に入ってきても、一切俺の方は見なかった。
俺は騒々しい塊から視線を逸らすと、窓の外を虚ろに眺めた。
たぶん、俺たちの関係は終わった。
前のように3人でつるむこともなければ、ひょっとしたら事務的な会話すら、もう持てないのかもしれない。
美砂と2人で、壊してしまった親友関係。
あまりの気の重たさに、かすみのことを考える気にすらならない。
「山葉くん。東城くん、ほんとに階段から落ちたのかなぁ」
不意に涼子に話しかけられた。
「え?」
『え?』しか適当な答えが思い浮かばない。
他に何を言ったらいいのか。
2学期に入ってほとんど教室では話しかけてこなかった涼子が、よりによってこんなときに話題を振ってくるなんて、何てタイミングの悪い女なんだ。
「ケンカして、殴られたんじゃない? 山葉くん、知らないの?」
「さあな」
「山葉くん、いつも東城くんや春菜さんと一緒だったじゃない」
「…だから?」
だんだん俺は不機嫌になってきた。
「まあ、知らないならアレだけど。 気にならないの?」
「……」
「親友じゃないの」
「うるせー!」
俺は机を両手で叩くと、立ち上がって涼子を睨み据えた。
ああ、やっちまった。
相手が涼子とはいえ、さすがにこれは拙いだろう。
東城と春菜の周りに集まっていた連中だけでなく、教室内のあちこちに散らばっているクラス全員の視線が俺と涼子に集中した。
一瞬にして静まり返る教室。
東城と春菜だけは、こちらを向かなかった。
「な、なんなの、突然」
涼子は一歩後ずさった。
「いいだろ! 余計なお世話だ」
「クラスで仲のよい3人」でとおっていた俺たち。
東城は怪我をし、春菜は教室でも側にいる。
そして、本来ならいるはずのその輪から離れ、一人で大声を出した俺。
クラスの大半は、この一瞬で何かを悟ったに違いない。
嫌な沈黙が流れる。
時計の秒を刻む音さえも聞こえてきそうだ。
「みんなおはよう……って、どうしたの?」
ホームルームのため教室に入ってきたかえで先生が目を丸くしている。
急に時間が動き出し、生徒たちはそれぞれの席に着いた。
東城のことをさっきと同じように春菜が説明し、かえで先生は納得したようだ。
かえで先生からは数件の連絡事項が伝えられ、入れ替わりに入ってきた金村の数学の授業となった。
◇ ◇ ◇
その日、俺は教室の出入りをすべて後ろの扉からしていた。
東城と春菜は比較的前の席なため、そちらの扉を使うと、どうしてもこの2人の前を通ることになる。
それが嫌だったからだ。
昼休み。
東城は固形物が食えないらしく、パックの牛乳をストローで飲んでいる。
春菜はパンを小さくちぎって、東城の前に並べている。
そんな姿をちらっと眺め、俺は屋上でパンでも食べようと思い、後ろの扉を開けた。
目の前に美砂の姿があった。
「!……」
「……」
ちょうど美砂は扉を開けようとしていたようだ。
教室にいる東城の姿を確認したかったのだろう。
土曜日の晩に公園で東城を殴り、俺は1人で帰った。
美砂はその後、しばらくしてから戻ってきた。
日曜日は互いに部屋にこもりっきりで、俺は今朝早くに家を出たので、美砂の顔を見るのは、あの時以来ということになる。
「と、東城…さん、は」
「来てる」
「大丈夫…なのかな」
「元気だ」
「顔、見える…かな」
そういうと美砂は開いた扉から教室の中を覗こうとした。
「帰れ」
俺は美砂の左肩を軽く押し、扉から離れさせた。
これ以上、教室でのゴタゴタはゴメンだ。
美砂が東城の顔を見て、どうしたいのかは知らない。
ごんめんなさい、とでも謝ろうというのだろうか。
そんなこと、今さらやめてくれ。
東城や春菜も困るだろう。
「お前、帰れよ」
俺は小声で諭した。
「……」
諦めきれない表情ではあったが、美砂はうつむいたまま戻ろうとした。
「あ、美砂ちゃん。久しぶりだね」
また涼子かよ。
涼子が例の花火大会のとき以来、美砂の顔を知っているのは分かっている。
だが、よりによってなんでこんな時に声をかける。
その声に気付き、東城と春菜の動きが一瞬止まった。
「ど、どうも」
突然のことに、美砂も動揺している。
俺と涼子のことを、少しとはいえあの晩に聞いてしまったのだから無理もない。
「わ、私、失礼します」
普通なら、こんなセリフを残して美砂は去っていくはずだ。
ところが、その予想は見事に外された。
「あの。紅村さんは、兄のことどう思ってるんですか?」
な、何を言い出すんだ、この女!
「え? 山葉くんのこと? そりゃ、好きよ」
「そうですか」
「おい、やめろよ、こんなトコで!」
俺は極めて小さい声で叫んだ。
他の連中には聞こえなかっただろう。
「大雨の時も、ファミレスの時も助けてもらったし。感謝してるよ。あれで好きにならなかったら、おかしいよ」
「そうですよね」
「だから、やめろって」
大声を出したいのを必死にこらえる。
「兄も紅村さんのこと、好きだそうです」
「!!」
それだけ言うと、美砂はさっさと廊下を歩いていってしまった。
涼子の目がぱあっと明るくなる。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
勝手にそんな、あることないこと本人無視して言いやがって。
俺は、かすみなんだ。
俺が涼子に断らなきゃならないのは、美砂もこの前聞いて知ってるだろ。
なのに、なんでこんなことをする。
否定することができないような、こんな場所で!
これは、美砂による、俺に対する復讐なの…か?
「べ、紅村、ちょっと待ってくれ」
「ん?」
「今日、授業終わったら時間あるか?」
「うん。いくらでも」
「ちょっと話したいことがある」
「うん、分かった」
とりあえず、火は今日中に消さねばならぬ。
俺は放課後に涼子に決別の挨拶をすることに決め、時間をつくらせた。
◇
◇
◇
6時限目の授業が終わった。
俺はさっそく涼子の机に行くと、外に出るよう促した。
しかし、涼子は掃除当番だった。
「ごめん。30分ぐらいかかるから、どこかで待ち合わそっか?」
「……う~ん」
こういうとき、急に場所なんか思いつかない。
どうしようか思案していると、涼子の方から場所を指定してきた。
「じゃあ、体育館裏なんか、どうかな?」
「体育館裏?」
涼子があの場所を知っているのは意外だった。
あそこは、俺と東城、春菜の指定席のはずなのに。
だが、まあいい。
あのような人目につかず、誰も来ないことが分かっている場所なら好都合だ。
今は15時半。
俺は承諾し、16時ちょっと過ぎに会うことにした。
廊下に出る。
30分とはいえ、どこかで時間をつぶさねば。
図書室にでも向かおうとしたとき、今度はかすみに声をかけられた。
「今日も、一緒に帰ろっか」
「う…」
「何か…都合でも悪い?」
「いや…」
朝方あんなことがあったにもかかわらず俺を誘ってくれるかすみ。
俺の頭の中では高速で複雑な計算が始まった。
涼子と会って、別れ話を切り出す。
それだけなら、ものの2、3分だろう。
もし、涼子が嫌だといったら。
涼子にちゃんとワケを話したとしても、それなりにこちらも気分が重くなるだろう。
そんな状態で、かすみと帰っても楽しいだろうか。
そもそも、涼子との話が長引いたら、かすみとの待ち合わせに間に合うだろうか…
「うん。じゃあ、部活が終わったら、校門のところで」
結論も出ないうちに、言葉が勝手に出てしまった。
「じゃあ、校門ね。待っててね」
かすみは微笑むと階段の方に歩いていった。
まあ、何とかなるさ。
いや、何とかするさ。