第32話:体育館裏の惨劇
文字数 3,523文字
図書室での時間つぶしは、いつものかすみとの待ち合わせの時とは違い、落ち着かないものだった。
適当につかんできた本を開きながらも活字を追うことはなく、涼子に何て切り出そうかと、そればかり考えていた。
頭の中で想定問答をやってみるが、自分に都合のいい考えしか浮かばず、予期せぬ反応をされた場合は一体どうなるのか、考えれば考えるほど不安になってくる。
これがもし、ある程度の準備期間を経て今日に至ったのなら、まだ落ち着いていられたのかもしれないが、全く予期せぬ形で「この日」が訪れてしまったのだから仕方ない。
しかも、考えているうちに美砂への怒りみたいなものもこみ上げてきて、ますます考えがまとまらなくなってしまった。
16時になった。
そろそろ体育館裏へ向かおう。
16時過ぎという、やや曖昧な時間設定だが今行けばちょうどいいかもしれない。
こんなとき、先に行って待っているのと先に待っていてもらうのと、どちらが気が楽なのだろうか。
体育館の前を通ると、相も変わらず中からはボールの跳ねる音が聞こえてくる。
いつもはバレー部の連中が気になるが、今日はどうでもいい。
建物の角を回り、いつもの裏手に足を踏み入れた。
そこには、東城と春菜がいた。
「!」
草を分け入る音に気付き、はっとした表情で2人ともこちらを向いたが、気まずそうに横を向いてしまった。
それはこちらも同じだ。
2人は、俺が自分たちに会うためにここに来たと思っているに違いない。
俺は奥に進むこともできず、立ち往生してしまった。
涼子はまだ来ていない。
来てさえいれば、手招きして呼び、さっさと別の場所にでも移れるのだが…
春菜は俺の方に向き直ると、こちらに進んできた。
俺はどうしていいか分からず立ち尽くした。
目の前3メートルぐらいのところで立ち止まると、春菜は両手を腰に当て、黙って俺の目を見据えた。
まるで、これ以上前には行かせないというような表情をしている。
「謝ってよ」
突然、春菜が口を開いた。
「私、全部薫から教えてもらったよ。大雨の日に何があったか。それと、この前の土曜の晩に薫と美砂ちゃんが公園で会って、薫が美砂ちゃんに断ったって話も」
「公園で?」
「そう。美砂ちゃんに呼ばれて、薫、あの日、公園で告られたんだよ」
「……」
「でも、薫、私がいるからって、美砂ちゃんに断ったんだよ」
「…そうだったのか」
「それなのに、薫に何も聞かずに殴ったんだよ、山葉は。だから、謝ってよ」
「……うう」
こんなことは俺の想定問答集にはなかった。
まさか、涼子ではなく、東城と春菜が現れ、しかもこの前のことを詰問されるとは。
頭の中が混乱してきて、どう返事をしていいものか分からない。
「ねえ、山葉。私、こんなのヤだよ。前のような3人に戻ろうよ。でも、謝るだけは謝って…ほしい」
ぽん。
いつの間にか立ち上がった東城が春菜の後ろに歩いてきて、彼女の肩に手を置いた。
「え?」
東城は口が開けないため、春菜の顔を見て2度3度、頷いているだけだ。
やがて、こちらを向くと、片目をつぶって右手で丸をつくった。
「と、東城さ」
俺は何か言おうとした。
それを制して、東城はノートを取り出すと、ボールペンで字を書いてこちらに向けた。
「気にするな」
そう書いてある。
「もう、甘いよ薫わぁ。あんた、悪くないのに殴られたんだよ」
春菜は口を尖らせて東城を睨んでいる。
東城は、そんな春菜の肩をまた、ぽんぽんと叩くと微笑んだ。
俺は、東城と春菜に頭を下げ、ごめん!と謝った。
一歩前に出ると、東城に「俺も殴ってくれ」と頼んだが、ニヤニヤしながら顔を左右に振って断られた。
「もう、しょうがないなぁ」
それを見て、春菜がこちらを向いて続けた。
「じゃあ、代わりに私が殴ってもいい、山葉ぁ?」
春菜の目が妙に輝いている。
「え? ああ、そうしてくれ」
東城は笑いながら、頬を押さえている。
笑いたいのに、傷口が開きそうで痛いのだろう。
「じゃあ、いくよ」
春菜は握り拳をつくると、東城と同じ左の頬に殴りかかってきた。
俺は、こういうのは軽く殴るだけの、一種のセレモニーみたいなものだと思っていた。
しかし、甘かった。
春菜のパンチは本気だった。
相手が女の子とはいえ、ノーガードで食らったため、思わず地べたに腰から崩れ落ちてしまった。
口の中は切れなかったので血は出なかったが、結構効いた。
「大丈夫?」とも言わず、春菜は腰に手を当て、こちらを真顔で見下ろしている。
短いスカートの中に、ぱんつがちらりと見えた。
「ちょっと、春菜さん、何するの!」
何たるタイミングだろう。
涼子が現れた。
涼子は駆け寄ると俺を助け起こし、そのまま春菜に迫った。
「なんで、わたしの山葉くんのこと殴ったのよ!」
わたしの山葉くん?
「…そ、それは」
さしもの春菜も何と答えていいか分からず、狼狽し、後ずさりしようとしている。
東城は口が開かないため説明のしようがなく、首を激しく左右に振り誤解を解こうとしているが、涼子には分かるはずもない。
「春菜さん、説明してよ!」
涼子はなおも食って掛かる。
このままでは、混乱に拍車をかける恐れがあるため、俺は涼子の腕をつかむと、体育館裏から出ようとした。
「ちょっと山葉くん!」
「いいんだ、いいんだ。後で説明するから。とにかく、他の場所へ行こう」
「そんな、ここで説明してよ! ここじゃあ説明できないの?」
「いいから行こう」
涼子の腕を引っ張り戻ろうとした時、下草に足を滑らせ、涼子を上にして折り重なって転んでしまった。
どさっと音がして、青空を背景に涼子の顔が目の前に迫っている。
脚を開いた涼子の下腹部が俺の下腹部に密着し、何とも言えない体温が伝わってくるのが分かった。
俺はとりあえず涼子にどくよう伝えたが、
「山葉くん。何…してる、の?」
倒れたまま、声のする方向を見ると、そこにはかすみが佇んでいた。
「きゃ、きゃすみ! 部活じゃないのか?」
「教室に忘れ物を取りに行って、戻ってきたら体育館裏から声がするから…それで、気になって、見に…来たの。そしたら、山葉くん、紅村さんと」
「ち、違う! かすみ、これは違うぞ!」
俺はもがいた。
しかし、上に重なっている涼子はどく気配を見せない。
「ちょっと、紅村、離れろって!」
「山葉くん、大丈夫?」
全く聞いちゃいませんね。
「東城くん、春菜、これ、どういうことなの?」
かすみは、2人にも意見を求めた。
「え、こ、これは…いろいろ、あって…え、わ、私に聞かれても困るよぉ」
春菜に聞いたところで要領を得るはずもない。
左手を弱々しく顔の前にかかげると、後ずさりを始めた。
それどころかむしろ、「いろいろ」などという曖昧な答え方が、かすみの疑念をさらに増幅させてしまった。
「山葉…くん。紅村さんと…付き合ってる…の?」
かすみが悲しげな表情で俺の方を見た。
「ち、違う、って、おい、だから紅村、離れろ」
「わたし、山葉くんのこと好きなの、一ノ瀬さん」
この野郎!
涼子を押しのけようと両手を伸ばしたら、あろうことか両胸をむんずとつかんでしまった。
「ああああ! 胸を触った!」
かすみの後方で悲鳴に近い声が上がった。
見ると、バレー部の連中だった。
「げええええ! ば、バレー部っ」
「先輩! 御山先輩! みんなー! 山葉が体育館裏で女生徒を襲ってます!」
山葉っておい、呼び捨てかよ!お前1年生だろがっ!
だいたい襲ってるなんて人聞きの悪い!
襲われてるのは、この俺だぁ。
て、そんなこたぁ、どうだっていい。
この状況を何とかせねば。
しかし、その声に御山を初めとするバレー部の連中がわらわらと集まってきてしまった。
「ちょっと! 神聖な体育館の裏で、何やってるのよ!」
「こんなところで白昼堂々、女の子を犯そうとするなんて!」
「サイテー! 変態性欲男! バイアグラ!」
「すけべ! 強姦野郎!」
「インポ野郎!」(意味分かってんのか?)
バレー部員が口々に叫んだ。
中にはスマホで撮影してる奴までいやがる。
「拡散~♪」
こいつらぁ!
騒ぎに気付き、部室棟からも生徒が飛び出してきた。
その中には美砂の姿も、あった。
「あ、兄……貴」
「み……さ」
もうダメだ。
これは、洗いざらい、東城と春菜に説明してもらわないと、この窮地を脱することはできない。
俺は、2人の方を見て、声をかけようとした。
しかし、東城と春菜はさっさとフェンスをよじ登り、とっくの昔に外へ脱出した後だった。
す、捨てられた!?
「これは小錦理事長に報告するしかあるまい」
いつの間にかフェンシング部の穐山まで現れ、腕を組みながら、そこらへんの下級生に指示を飛ばしている。
「私が知らせてきます!」
バレー部の1年生が目を輝かせ、校舎の方に走ってゆく。
俺の学校生活は、ここで終わるの…か