第77話:疑惑
文字数 3,394文字
朝から浮ついた気分で、授業なんか早く終わらないかと、そればかり考えている。
こういう日に限って、1分1秒がやたら長い感じ。
荷物なんかは駅のロッカーに放り込んできたから、終わったら速攻バスに乗り込もう。
ホームルームが終わるのは15時10分だから、ダッシュで15分のバスに乗って、駅に着くのは道さえ混まなきゃ30分だろう。
羽根田行きの快速が41分だったから、ロッカーから荷物出しても余裕だな。
羽根田着が16時50分だから18時の便には・・・
ロクに授業も聞かず、数日前からとうに決まっていた計画をノートに書いて、ついうっとりしてしまう俺。
先生も真面目にノートを写してると思ってるのか、注意もしてこない。
「…ということになる。だからこれの答えも簡単だろ。山葉、答えはなんだ」
「えっ? お、応仁の乱です」
一瞬ぽかんとしてから大爆笑が起きる。
これは化学の授業だった。
「じゃな、行ってくるぜ」
「ああ、土産忘れんなよ」
「気をつけてね」
午後の授業が終わり、かすみや東城の声に送られ俺は学校を後にした。
「いいなぁ、山葉」
船橋が羨ましそうにつぶやく。
「ま、オレらもさっさと片付けて帰ろうぜ」
きょうも記念祭の準備委員会。
連休前最後ということで、休み明けに学校側に提出する書類を整理したり、月末から始まる交流プログラムの冊子編集が内容だ。
週に何度か行われているので、他の学年や別のクラスの連中とも顔見知りとなり、冗談を飛ばしながらも作業はスムーズに進む。
共同企画があると隣の中等部の子たちもやってきて賑やかだ。
にしても中学生ってわずか数歳しか違わないのに子供っぽいな。
というか、こっちがおっさんにまた一歩近づいたのか!?
ぎこちない動作で指示を受けている中1の生徒たち。
先日までは小学生だったのだから、そりゃしょうがないだろうなとは思う。
これが中2あたりになると後輩もできたことで落ち着いてくるわけだ。
そんな中学生の姿を何気なく見ながらも東城は作業を続けていた。
「東城、クラス紹介の冊子に載せる生徒ひと言集だけど、何人分集まったの?」
「やっと30人ってとこだな」
「え~っ!休み明けにはほかのクラスの分と合わせて編集だよ。どうなってんのよ」
「どうなってるって、これ山葉の仕事だし」
「あいつ、さっさと逃げやがったわね、もぉーっ」
船橋がパソコンを前に怒り心頭だ。
クラス紹介の冊子は全校生徒に配布するほか、交流でやってくる系列他校の生徒に渡すもので、各クラスが同じ書式で編集し、揃ったところで全学年、全クラスの分を合体して一冊に仕上げる。
担任を交えた集合写真と、全員の顔写真が名前付きで載っていて、それぞれに生徒のショートコメントが付くという内容。
言ってみれば全学年版の生徒カタログといったところだろうか。
40人学級が15だから、ざっと600人分。
楽しみにしてる連中も多い。
「まだ書いてないのって誰よ?」
キーボードをせわしなく叩きながら、船橋が眉間にしわを寄せている。
「ええっと、女子は椎名、柏木、ジェシカ、来栖、御所、五丁田、丹生川、番匠、御手洗。男子は…」
「男子は?」
「や、山葉っ」
「なんですってえ? あの男わぁ、死なす!」
船橋はチェックリストを奪い取ると、それぞれの名前を睨みつけている。
ちょっと太めの船橋。
セーラー服のソデをまくり眼光鋭い様は、なかなかの貫禄だ。
親父が前に「会社には社長も逆らえない事務の怖いお姉さまがいる」って言っていたが、きっとこういうタイプを指すんだろう。
「あの」
沙貴子が何か言おうとしたが、船橋は頭が沸騰してるのか全く聞こえていない様子だ。
「船橋さん、あの」
沙貴子がもう一度話しかける。
「何?」
ギロっと睨む船橋。
一瞬ビビッた感じの沙貴子。
こんな姿を見ると、本当にバレーの主将をやってたのかと思ってしまう。
だが、彼女はひるまず続けた。
「その人たちの何人かは掃除とか部活でまだ校内に残ってるはずだから…」
「それよぉっ!」
バンっと机を叩いて立ち上がる。
驚いた他のクラスの連中が一斉にこちらを見る。
「東城、行くわよ」
「え、行くって?」
「決まってるじゃない、ひと言コメントを集めるのよ」
「いや、オレはオレでやることあるし」
「そんなの、あとあと! いるうちに捕まえないと、私の仕事終わんないのよ」
「お前の仕事が終わっても、オレの仕事が」
「ぐずぐずしないで、さあ、東城っ」
「つか、なんでオレが呼び捨てに…いてててててててて」
船橋は問答無用で東城の腕をつかむと、ズシズシ引っ張っていく。
「あ、船橋さん、私も」
「ああ、御山さんは仕事続けてて」
振り向きざま、一緒に来ようとした沙貴子を制すると、なおも抵抗する東城をねじ伏せるように、船橋は廊下に出ていった。
「あ! 来栖さん、ちょっとぉ!」
たまたま通りかかった運の悪いクラスメート。
「はい、船橋さん、なんですかぁ?…ぎぐゃあっ」
ドタドタ走る音と物が倒れる音に続いて一瞬、鶏が絞め殺されるような悲鳴が上がり、また静かになった。
合掌
「おっかしい‥船橋さんは、もう」
苦笑いをしながら、自分の仕事に戻る沙貴子。
彼女の分担は「美咲の四季」。
学校や周辺の風景、街の様子などを写真で綴る学校案内の作成だ。
最終的なレイアウトは新聞部の連中がやることになっているが、沙貴子は全学年から上がってきた要望をまとめ、各シーズンの写真を選別することになっている。
1人でやるには持て余す作業だが、やはり連休前ということで山葉のように用のある生徒も多いのか、相方の2年生が不在。
きょうは沙貴子1人だ。
使う写真は1シーズンにつき5、6枚。
採用する写真は左の箱へ、残りは右の箱へ。
春は入学式、夏は合宿、秋は文化祭や体育祭、冬は雪景色。
そんな感じでまとめていく。
それ以外は何気ない普段のひとコマや駅周辺の様子なんか。
いつの間に撮っているのか、写真部員の力作ばかりで、全部使えないのが口惜しい。
「これ、なんかすごくいいな」
つい、独り言が出てしまう。
その写真は、学校前のバス停に佇む1人の女生徒。
部活帰りとおぼしきその子は、通学カバンとフルートが入っているケースを左手に持ち、右手で髪をかきあげながらバスの来る方向を見ている。
少し風があるのか、紺色のセーラー服の襟元で紺色のスカーフがなびいている。
舞い散る落ち葉と夕方のオレンジ。
背後に見える美咲の街並みと絶妙のバランスだ。
丘の上にあって見晴らしの良い姫高ならではの、秋の1枚と言えるだろう。
絶対の自信を持って、採用する。
「これは、登校風景か」
初夏を思わせる青空の下を、白い夏服の生徒が坂を上ってくる。
道路わきには緑の街路樹。
2、3人ずつのかたまりがいくつも連なって、後ろの方まで伸びている。
みんな笑顔で楽しそう。
中には撮影してるのに気付いたか、Vサインをしてる女生徒もいる。
それは、春菜だった。
隣にはもちろん、あの彼の姿。
去年、2年生のときに写されたものだろう。
離れ離れになるなんて夢にも思わず楽しそうな2人。
にっと笑う東城は、幸せそのものだ。
しばし眺めた後、沙貴子は迷わず右の箱に入れた。
「さて、次はと」
ぶーん、ぶーん
もう一枚の選別を始めようとしたとき、不意に机の上で振動が始まった。
あれ? スマホ? 私は出してないし。
見回すが姿は見えない。
写真の下にもあるはずない。
隣の、さっきまで東城が座っていた席で、5、6枚重なった紙が震えている。
あった。
紙の下に隠れていたのは、カモフラ柄の手帳式カバーで、すぐそれと分かった。
彼のスマホだ。
「メッセとか、来てるの?」
「うん。毎日来る。元気にしてるってさ」
数日前の屋上。
昼食中のかすみと東城のやり取りが、頭をよぎる。
…春菜さん、かな。
なおも振動をやめない端末は、机の端で危なっかしく震えている。
あ
咄嗟に手を伸ばしたのが拙かったのか。
指先が触れた途端、端末はバチャっという音を立ててフローリングの床に落ち、こと切れた。
「…」
慌てて沙貴子は机の下を覗き込む。
落ちた衝撃で手帳の表紙部分が開いてしまった彼のスマホ。
しゃがみこみ、片膝をついて手を伸ばす。
壊れてないだろうか。
手元にたぐり寄せ、もう片方の手で申し訳なさそうにちりを払う。
閉じようとしたとき、彼女の目に入ってきたのは、頬をくっつけ満面笑顔の2人の姿。
美砂と東城のツーショットだった。
「‥な!」