第66話:登校拒否
文字数 3,108文字
「こういうときこそ、兄貴の出番じゃないの? 親友なんでしょ? 助けてあげなよ」
美砂は機関銃のようにまくし立てる。
2週間の自宅謹慎が明けても東城が登校してくる気配はなく、今は2月の7日。
昨日もかえで先生は夜遅くに自宅まで訪ねていったが、本人は部屋から出てこなかったという。
玄関先で頭を下げ、申し訳ありませんと恐縮する母親。
さすがの俺も何回かトークで話しかけたり電話をかけてみたが、無視されるか、来てもせいぜい「分かった」「そのうち行くから」と同じ返事ばかりだ。
家出が逆効果だったのはいうまでもない。
あのまま普通に転校の日を迎えていれば良かったのだろうが、謹慎になったせいで春菜には別れの言葉も告げられなかった東城。
謹慎中も春菜には何度もメッセを送ったり電話をかけたに違いないが、通じることはなかっただろう。
春菜の両親はもちろん東城のことを知っており、春菜が東城と付き合うことにも特に反対はしていなかった。
しかし、家出したことで態度が変わり、姫高最後の日、かえで先生が校門前まで送っていったとき、もう娘にはスマホを持たせないと言っていたそうだ。
春菜のスマホは処分されてしまったのだろう。
俺のトークには既読が付かず、メールも宛先不明で戻り、電話をかけても「使われていません」と言う無機質なアナウンスが流れるだけだった。
東城と並んで写っている写真。
お互いにトリミングし、東城の姿を待ち受けにした春菜のスマホ。
東城の待ち受けでは、同じ写真の中で傍らに立つ春菜がVサインをしている。
2つのスマホを並べると、2人の写真が完成する仕組みだ。
だが、もうこの写真が揃うことはない。
美砂は「親友だから助けてやれ」という。
だが、こういうとき一体どう言って慰めればいいのか分からない。
訪ねて行って「元気を出せ」というのは簡単だが、だからって「分かった。元気を出します」なんて言う奴がいたら、世の中の半分以上の問題は解決するんじゃないのか。
かといって、ほかに何かいいセリフや手段があるかというと、思い浮かばない。
東城とは特に美砂のことでいろいろあった。
しかしこのまま放置するのも忍びなく、その日の放課後、俺は奴の家を訪ねてみることにした。
ピンポーン
ドアホンを鳴らしてみたが、案の定、反応はない。
逆の立場だったら、俺も同じ態度を取るだろう。
スマホを取り出し、電話してみる。
10回ぐらい鳴らし続けてるが、出る気配はない。
耳を澄ますと、着信音が鳴っているのが聞こえるから、室内にはいるんだろう。
画面ぐらい確認し、掛けてるのが俺だってことは分かってるはずなのに。
この時間、母親は仕事に出ているはずだから、東城は1人に違いない。
「電話を忘れて外出しちゃったのかしら」
一緒に来たかすみも心配そうだ。
充電をし忘れた俺のスマホはバッテリーが心許ない。
仕方ないので電話を切る。
「東城くん! いるんでしょ?」
今度は、かすみがドアをノックしながら呼びかける。
コンコン。
「東城くん」
ひょっとして、俺ではなく、女であるかすみが呼びかければ奴のことだからドアを開けるんじゃないかと思ったが、考えは甘かった。
交代してもう一度俺がドアホンを鳴らす。
それでもダメで、かすみがトークを送ったが、既読にはなっても返事はなし。
そのまま10分以上。
結局ドアが開くことはなく、俺たちは破ったノートに2人でメッセージを書いて新聞受けに入れて、その場を後にした。
◇ ◇ ◇
翌日も俺たちは学校帰りに訪ねたが、結果は同じ。
そして3日目。
その日、授業が終わった直後から
吐く息は真っ白で、部活を終えてから付き合ってくれたかすみは、結構厚いベージュの指定コートを着ていても体の芯まで冷えそうだという。
建物の下に着く。
誰も寄せ付けないというオーラのようなものさえ感じさせるコンクリートの塊。
下から6階の部屋を見上げても、この位置からはドアも見えない。
顔に冷たい雨粒がかかり、嫌になる。
「きょうダメだったら諦めよう。こんなこと毎日やってたら、俺たちが風邪ひいちゃうよ」
かすみは黙って頷くだけだ。
エレベーターに乗る。
「みんなのエレベーターです。正しく乗りましょう」と書いてあるテープで留めた注意書きは下半分がちぎられ、残った部分にもマジックで落書きがされている。
お世辞にも治安が良さそうには見えない集合住宅。
外の気温と相まって、実に寒々しい雰囲気だ。
乗り合わせた小柄なおばあさんは、俺たちと決して視線を合わそうとはしなかった。
ガクンと揺れて6階に着いた。
何だかここ数日で随分通い慣れてしまい、体は自然に部屋を目指す。
通路に繋がっているホールからは、外の景色が四角く切り抜かれたように見える。
彩ケ崎駅の方向だ。
すでにネオンが灯り、高架線の上を西の方から光の帯が進んでくる。
「あ」
通路に出た瞬間、かすみが小さく叫んだ。
東城の部屋。
今まさに、ドアが閉まったところだった。
「お母さんかしら」
「んー。東城んトコのおふくろさんは、帰ってくるのがいつも9時とか10時だったはずだけどな。東城がそう言ってたし」
「だとしたら、東城くんかもしれないわね。外出してたのかも」
部屋の前に着く。
その誰かは俺たちとは反対側から来たようで、そちらから傘の雫が続いている。
この建物は同じ形のもう1棟とエレベーターホールで繋がっており、両端には階段しかない。
エレベーターを使わず、わざわざ階段で来たのだろう。
部屋に持ち込まれず、通路に面した台所の窓の格子に掛けられたワインレッドの傘からは、まだぽたぽたと水が垂れている。
バラの花や葉っぱがあしらわれたデザインで、内側はグレーのチェックになった、ちょっと高そうなシロモノだ。
ドアはこちら側、つまり俺たちが進んできた方向を遮る形で開くため、この傘の持ち主は完全に隠れてしまい、その姿を見ることはできなかった。
ピンポーン
部屋には確かに人が入っていった。
にもかかわらず反応はない。
ピンポーン
ドアののぞき穴に顔を近づける。
もちろん逆向きだから見えるはずはないが、室内に灯りが点いていることぐらいは分かる。
今度はドアに耳を押し当ててみる。
水道を使っているのか、かすかに水の音が聞こえてくる。
「東城くん?」
ドアを軽くノックしながらかすみが呼びかけるが、やはり黙殺のまま。
部屋に入っていったのが東城なのか、ほかの誰かなのかは分からないが、こうもあからさまに無視されるのは気分が悪い。
もちろん、その「誰か」は自分が部屋に入るところを目撃されたとは知らないだろうから、平気で居留守を使っているのだろう。
にしてもだ。
短い文章を打ち終えたかすみが送信ボタンを押す。
送ったトークの吹き出しが表示されている。
5分たっても既読にはならなかった。
「おーい!」
バンバン。
思わずドアを平手で数回叩いてしまった。
「ちょっ、山葉くん」
俺の行動に焦ったかすみが止めに入る。
いや、これはさすがに拙かったか。
気が付くと、2軒後ろでドアを僅かに開けてこちらを窺っている視線がある。
俺と目が合うと、ドアはすぐに閉まった。
スマホを取り出し、電話をかけてみる。
どうせ出ないことは分かっているが、なんか収まりがつかない。
2、3回呼び出し音が鳴ったところで、向こうから切られてしまった。
「出る気ないってさ」
スマホをポケットにしまい、かすみの方を向き直る。
「…もう、帰りましょう」
さっきからの雨はいつの間にか雪になっており、フィルターがかかったように遠くの景色が霞んでいる。
駅方向のネオンも、目の前の白に覆われて色が辛うじて分かるだけだ。
俺たちは並んでエレベーターホールに向かった。