第8話:御山との一件
文字数 4,799文字
あれは忘れもしない1年の夏休みだった。
夏休みでも文武問わず部活に休みはほとんどなく、学校には普段と変わらず生徒が出入りしていた。
部活に縁のない俺は、東城や春菜と遊んでいたのだが、ある日の午前、学校に旅行の届を出すため元町駅前を歩いていたら、カテリナ組の
こいつが諸悪の根源だった。
クラスは俺たちのナタリエ組とK組と略されるカテリナ組、R組といわれるレベッカ組、エリザベートのE組、S組のジモーネの五つがある。
男子の少なさは各クラス共通で、そのため姫高では体育の授業の一部が週に一度5クラス合同となっている。
このおかげで、ほかのクラスの男子ともだいたいは顔見知りだ。
仁科とはそこで知り合いになった。
俺や東城たちとは違い、
いつも女子生徒をちらちらと目で追っていて、見た目は何か
「山葉じゃん。何してんの?」
「ああ、樺太行くんで書類出しに来た」
「いいな、樺太かよ」
「親父が仕事で行ってんだ。遊びに来いっていうから、ちょっくらな」
「へー。でも何で書類要るんだよ」
「なんか遠くへ旅行行くときは出さなきゃいかん決まりみたいだぜ、書類」
「そんなん黙ってりゃわかんねーだろ」
俺だって面倒だとは思うが、とりあえず守れる規則ぐらいは守っておきたい。
変なことで目をつけられて大学行くときに不利になるのも嫌だからな。
提出が義務になってるのは、大地震や飛行機の墜落、電車の脱線にホテルが燃えたりと、そういった大きな事件・事故が起きた時、生徒の安否確認に役立つからだという。
元はお嬢様学校だ。
それぐらいの管理はありかなと、俺は思ってる。
「仁科は何してんだよ、こんなトコで」
さっさと学校に向かいたくはあったが、このまま「じゃ」では愛想もないかと思い話を向けてみた。
「けっ、補習さ」
「何の補習よ」
「ほ、保健体育だ」
「保健体育の、補習ぅ?」
補習といえば普通は英語とか数学とか、そういう授業を想像するが、仁科は女子の体操服姿が拝める体育はともかくとして、座学の保健がよほど滅茶苦茶な点数だったらしい。
そのため、たった一日だが補習に出る羽目になり、それが今日なのだという。
「あー、くだらねえ」
不快そうに仁科がつぶやく。
書類なんか出さず黙ってりゃいいなどという仁科とはいえ、評価に絡む補習とあっては黙殺するわけにはいくまい。
「でもま、1日で済んでよかったじゃねーか」
一応は慰めの言葉をかける。
「あー、くだらねえ」
仁科の不快さは変わらない。
「なんか、ぱーっと面白いことねーかな」
独り言はなお続く。
「すみませーん」
そのとき、後ろから女の子の声がした。
俺たちがよけると、一人の女子生徒が慌てた感じで坂を駆け上がっていった。
「バレー部の
「ん? よく分かるな。ああ、K組か」
坂を勢い良く走ってゆく久下さん。
さすが運動部で鍛えているからとはいえ、上り坂を走るのは大変だろう。
揺れる短いスカート。
脚はどこかもつれ気味で、ごめん久下さん、ちょっと見えたよ、黒いぱんつ。
左膝にはサポーターが巻かれ痛々しいが、なんというか、そこがまたいい。
仁科に悟られまいと、俺は何も見てませんよという顔で視線をそらした。
「山葉さ」
「あん?」
「補習終わったら遊びに行かね?」
「待つのかよ。書類出すのなんか1分で終わるぜ」
「ちと、探検してみねーか、校内をさ」
「なんの探検だよ。別に怪しいもんなんてないだろ、この学校」
恥ずかしい思いを隠す渡りに船と、俺は会話に乗った。
「プール、見に行かね?」
「プール?」
「水泳部が練習してるだろ。それを眺めるんだ。あそこは女子しかいないぞ」
「んな、部員じゃないやつ、それも男が女子の水着姿を物欲しそうに眺めるのなんて拙いだろ。俺はいいわ」
「久下のぱんつよりは罪ないと思うぜ」
にやりとする仁科。
ここで毅然と断ればよかったのだが、久下さんのぱんつの件が負い目となってしまい、なし崩し的に探検に付き合わざるを得なくなってしまった。
だが、女の子の水着姿がたっぷり見られるかもしれないという、妙な下心もあったのは事実だ。情けない話だが。
◇
◇
◇
仁科が探検の場所に選んだのは、部室棟3階の端にある弓道部の部室だった。
室内は狭く、広さは教室の半分もないぐらいだろうか。
机や椅子があちこち向いて置いてあり、壁の両端を結んで吊るされたロープには洗濯物がぶら下がり、脱いだ制服が放置されている。
エアコンはなく、スイッチを切り忘れた扇風機が虚空に風を送っていた。
この部室棟は体育館と通路1本を挟む形で並んで建っており、プール棟は体育館を過ぎた先に縦に繋がって設置されている。
部室棟の奥の端にあるこの弓道部の部室からは、プールを右斜め前方に捉えることができる。
仁科はこの部室から双眼鏡でプールを覗こうというのだ。
どうしてそんなもん持ってるんだ?
最初っから覗くつもりだったってことが丸バレだろ。
「へへ、よく見えるぜ。でけー胸してんな。あれ、レベッカの成瀬だわ。うわ~」
仁科は部室端の一つしかない窓に張り付き、押し広げたブラインドの隙間から双眼鏡で水泳部員の水着姿を堪能している。
弓道部も部活中だろうが、急に用事のある子が戻ってこないとも限らない。
俺は居心地が悪く、そわそわしていた。
それを早く見たがっていると勘違いした仁科が「お、悪ぃ悪ぃ」と双眼鏡を渡してきた。
「やっぱ、俺いいわ。帰るわ」
「何言ってんだ山葉。ここまで来て戦果なしで帰るのか? ここに来ちまった以上毒皿だぞ。別にハダカ見るわけじゃねーんだし」
なおも、グイッと双眼鏡を押し付けてくる。
俺も仕方なしに覗き始めた。
◇
◇
◇
それから30分以上たっただろうか。
さすがにそろそろ撤収しようとしたとき、下の方から多数の女の子のガヤガヤ声が聞こえてきた。
腕時計を見ると時間も昼近くで、部活の連中が戻ってきたのかもしれない。
「やべっ! オレ消えるわ」
仁科は光のスピードで双眼鏡をバッグにしまうと、さっきまで張り付いていた窓を開け手慣れた様子で椅子を踏み台にひらりと外に脱出。非常階段に飛び移るとさっさと姿をくらました。
あの野郎!
1人で逃げた仁科に怒りがこみ上げるが、それはさて置き俺はどうする。
反対側突き当りの階段を登ってくる女子生徒たちの声は、まだすぐそこという感じはしない。
だが時間がないのは確かだ。
窓から逃げ損ない落ちて怪我する危険より、俺は廊下に出ることを選んだ。
何事もなかったように窓を閉め、さあ脱出だ。
この部室のドアを開けると目の前に非常階段へのドアがある。
そこを使えば安全に、直ちに退避できるだろう。
だが、非常階段のドアは施錠されており開かなかった。
こんなんで非常時に何の役に立つ!
むかっ腹が立ってくるが、そんなことはどうでもいい。
このまま、部室に戻るか、何食わぬ顔で廊下を進むか。
やはり答えは廊下以外にあり得ない。
室内になんか戻っても隠れる場所なんてないばかりか、あったとしても見つかったら袋叩きか、良くて弓道の的にされるのが落ちだ。
「不審者だぁ! 放てー!」
部室の端で穴だらけになる俺。
冗談じゃあない。
部室のドアを急いではいるがそっと閉め、階段の方へ音を立てずに向かう。
が、十数歩進んだとき、一段と声が大きくなった。
ダメだ、来る!
ここまで来ればすました顔で歩いていけばよかったにも関わらず、後ろめたさが後押しし、後先考えずすぐ横の部屋に逃げ込んでしまった。
そこはバレー部の部室だった。
まだ全員揃ってないのか、部員はそんなにたくさんいたわけではない。
数えれば、6人とか7人とか、そんな感じ。
みんなキョトンとしている。
ややあって目が合う。
スカートしか履いてない子がいる。
スカートすら履いてない子がいる。
ぱんつだけの子がいる。
ブラすら外してる子がいる。
御山沙貴子がいる。
身に着けているのはぱんつだけだった。
漫画のように、きゃーという悲鳴が上がった。
他の生徒が駆け込んでくる。
バレー部だけでなく弓道部も、空手部も、剣道部、薙刀部もいる。
顔面にスパイクが炸裂する。
尻に矢が刺さる。
額を瓦のように割られる。
腹に竹刀が突き刺さる。
背中を十文字に切り裂かれる。
まるで小さな虫一匹に戦車や戦艦、戦闘機で総攻撃を掛けたがごとく、俺は粉砕された。
◇
◇
◇
俺の前にはバレー部の3年生が困り顔で仁王立ちしている。
さすがにブルマってことはなかったが、紺色のショートパンツは丈が極めて短く、サイドには白線が入っている。
練習用なのか、チーム名も何も書かれていない水色のTシャツは汗で湿って、微妙に透けた感じだ。
こんな事件があったにも関わらず、この先輩は
さすが男子無縁、高3までお嬢様に囲まれて育ってきただけのことはあるな、などと思ってしまうが感心している場合ではない。
なにしろ俺は彼女らからすればとんでもない不審者なのだ。
服を身に着けてはいても短パンが恥ずかしいのか、シャツの裾を下に伸ばし、少しでも隠そうとしながらも、バレー部室に
ここ、部室棟の3階は運動部の女子専用となっている。
共学になったとはいえ、体育会系の部は着替えを伴うことから、女子は昔からあるこの部室を今まで通り女子だけで使い、新たに加わった男子は2階の使われていない部室を合同の着替え場所としているそうだ。
それ以外の1階や2階の一部は文系の部活が使っているが、そういった部は基本的に着替えは必要ない活動が大半なのでそこは男子もOKだが、男子禁制のままの3階になぜ俺がいて、よりによって着替え中のバレー部室に入ったのか、説明しなければならない。
男子慣れしていないのか、3年生は「ねえ君、ここで何してたのか教えてくれないかな?」と妙に低姿勢だ。
だが、覗かれたバレー部員の動揺は激しく、まだ泣いてる娘もいる。
沙貴子は蔑んだような目で俺を睨んだまま視線を逸らさない。
直ちに先生に突き出そうという声もあったらしいが、まずは事情を聞こうと、木暮先輩が止めたのだという。
数秒が長い。
何でもいいから本当のことしゃべっちまおうか。
でもな、最悪退学かな。
東城や春菜は俺のこと軽蔑するだろうな。
親父には殴られ、母親には泣かれ、私も来年神姫受けるんだと言っていた妹の美砂だって、身内が不祥事を起こした学校なんて行けないと嘆くだろう。
ああ、どうする、どうする…
「すいません。迷っちゃって」
とっさに出たのは、こんなセリフだった。
「迷ったの? ここで? どういうことなの?」
俺はもう思いつくままに言い訳を始めた。
部活に入ってないので部室棟に一度は入ってみたかったとか、どういう部があるのか見てみたい一心で上の階まで来てしまったとか、クラスメートがいるかもしれないので探していたとか、気がついたら3階だったとか、腹が痛くなったのでトイレかと思ってドアを開けてしまったとか、とにかく支離滅裂に。
困り顔のままではあるが、一生懸命聞いてくれる木暮先輩。
その背後では部員たちが「変態」とか「サイテー」とかブツブツ言ってるのが聞こえるが、部室内から紛失しているものはないか、何か不審物が仕掛けられていないか点検し、何もなければ今回は不問に付してくれるという。
当然、不満の声が一斉に上がったが、よほど人望が厚いのか「私が決めたの。分かってくれる」という木暮先輩のひと言で、その場はあっという間に静まった。
もちろん不審物もなければ、なくなった物もあるはずはない。
「こういうの困りますし、お互い。これからは気をつけてくださいね」
先生にはもちろん、この3階にいた生徒全員に他言無用が伝達され、俺は無事解放された。
かすみにバレなかったのだけは不幸中の幸いだった。