第29話:先生とのデート
文字数 3,936文字
帰り際のホームルーム。
かえで先生からの「お願い」は、楽しげな内容だった。
「各教室で使う備品を選ぶために新宿へ行くんだけど、生徒の意見も聞きたいから、今度の土曜に誰か一緒に来てくれないかしら」
おお~!
かえで先生と新宿。
かえで先生と一緒。
かえで先生とデートっぽい!
男子生徒を中心に、一種のどよめきに近い声が上がった。
しかしそれも一瞬。
どうせ、慈乗院が真っ先に手を挙げて、あっという間に人選は済んでしまうのだろう。
白けにも似た、誰もがそんな雰囲気だった。
しかし、慈乗院は手を挙げなかった。
かえで先生も意外といった表情で慈乗院の方を見た。
しかし、慈乗院は心ここにあらずといった表情で、教室前方の壁面を虚ろに見つめたままだ。
何かあったのだろうか。
そう、何かあったのだ。
俺は、知っている。
この前の放課後、俺は見たんだよ。
学校の端っこの方にある、人目につかない発電機室の裏で。
ありゃ、いわゆる告白ってやつだろう。
慈乗院は呼び出されたんだな。
手紙を受け取ってた。
渡した方の女の子も顔が真っ赤だったな。
しかし、慈乗院も意外にもろかったのかな。
かえでオンリーで、他の女は目に入らないという風に見えたのに。
やはり、告白されるってのは効果絶大なんだな。
そう思うよ。
吉村は人前に出したって何ら恥ずかしいことのない、いや、むしろあれは美形と言っても問題ない子なんだから。
そんな娘から告られりゃ、俺だって危ないかもしれない。
かえで先生との千載一隅のデートチャンスを断ったんだ。
慈乗院もその気があると考えて間違いないだろう。
頑張れよ!慈乗院。
にしてもなあ、吉村が慈乗院に告るとは。
吉村とは、以前屋上の階段室のドアを開けたときにぶつかった、あの吉村莉緒だ。
世の中面白いわ。
ということで、慈乗院が参加しなくなった、かえで先生との合法デート。
男どもが互いに牽制しあい、なかなか決まらなかったため、どういうわけか俺にお鉢が回ってきた。
かすみも大事だが、俺だって男。
年上のひととデートしたくないと言ったらウソになる。
かすみ。今回だけは許してくれ。
◇
◇
◇
そんな土曜の昼。
彩ケ崎から乗車した俺は、元町から乗ってきたかえで先生と車内で合流し新宿の東横ハンズへ向かった。
校内で使ういろんな備品を見るだけなので楽だろうと思っていたが、これが結構手間取る。
普段、消耗品などを納めている業者にも見積もりを頼んだようだが決め手に欠き、とりあえず店の多い新宿で現物を見ていろいろ比較しながら絞っていこうということになったのだが、これが難しい。
俺は生徒として、使い勝手なんかを意見する役目だったんだが、いつしかかえで先生と一緒に計算するハメになり、本来の目的は果たせないまま、備品候補は次々と決まっていった。
「悪いわね、山葉くん。でも、おかげで助かったわ」
所期の目的を果たすことができ、かえで先生はご機嫌だ。
「どうかしら。よかったら晩ご飯、ご馳走するわよ」
「えっ!本当ですか?」
時計を見ると夕方の6時半を回ったところだ。
かえで先生と晩ご飯!
かえで先生と2人だけで晩ご飯!
俺は舞い上がった。
俺は今日、夕食当番ということも忘れ、有頂天になってしまった。
そして、かえで先生と駅ビルの食堂で夕食をともにした。
夕食をしながら、学校の話や悩みなんかを聞いてもらい、ちょっとした個人面談の風味。
美人のかえで先生は目立つ。
店内でも、そして帰りの電車の中でも、ちらっとこちらを見る男どもも決して少なくない。
何ともいえぬ優越感に浸り、俺が彩ケ崎の駅に着いたときには時計は21時を回っていた。
気分の良さですぐに帰る気にならなかった俺は、何を買おうという気もなく、駅前のコンビニに立ち寄ってみた。
雑誌を数冊立ち読みし、かれこれ小一時間。
ふらっと弁当のコーナーに回ったそのとき、不意に思い出した。
「今日は俺が夕食当番だった!」
美砂は、晩飯どうしたんだろう。
怒ってる…かな。
今日、かえで先生と出かけるとは言ったが、遅くなるなんて伝えなかったし。
とにかく連絡しよう。
カバンの中のスマホを探す。
ない!
家を出てからカバンは一度も開けなかったので落としたとは思えない。
どうやら家に忘れちまったようだ。
最悪だ。
公衆電話を探す。
ない。
ケータイが普及して以降、街中の公衆電話が少なくなっている。
コンビニの前にも以前は緑色のが置いてあったが、撤去されちまったようで台しか残ってない。
とりあえず手近な弁当を1個買い、店を出た。
「まあ、でもな。この前は逆に俺が弁当だったわけだし。あの時も美砂は連絡よこさんかったから、チャラといえばチャラだよな」
急ぎながらも、適当な理由を並べて開き直ってみる。
人通りの少なくなった道を家に向かう。
途中の小さな公園の横を通り過ぎようとした時、それが目に入った。
ちょっと遠いが、薄暗がりの公園のベンチに並んで座る二つの人影。
この公園でカップルを見かけることはよくある。
どうせ、そんなところだろう。
ここからは顔は見えない。
たぶん女の方だろう。男の方に寄り添い、腕にしがみついている。
男も女の髪を撫でてやり、どこからどう見たって恋人同士だ。
「夏とはいえ、こんな時間に長々とそんなとこにいたら風邪引くぞ。さっさとホテルにでも行っちまいな」
心の中で捨てゼリフを吐き、コンビニの袋を揺らせながら玄関をくぐった。
◇ ◇ ◇
美砂は家にいなかった。
部屋にも、風呂にも、居間にも、そしてダイニングにも美砂の姿はない。
玄関に戻ると、さっきは気付かなかったが、美砂の靴がない。
出かけてるのだろうか。
「怒って外メシか、友達の家にでも行ってるのかな」
自分の部屋に戻り、机の上に忘れていったスマホを確認する。
着信はなかった。
メッセは数件届いていたが、どれも他愛のないものばかり。
美砂は俺に夕食の件で連絡は入れなかったようだ。
スマホを手にしたところで、東城に連絡するヤボ用があったことを、ふと思い出した。
電話してみる。
呼び出し音が鳴っているのに出る気配がない。
一度切り、もう一回鳴らしてみたが、今度は留守電サービスに回されてしまった。
「なんだぁ?」
まあいい。
何か出られない事情でもあるんだろう。
どうせ、春菜といちゃついてんだろう。
今度は美砂に電話してみる。
呼び出し音は鳴らず、電話会社の自動メッセージが流れただけだった。
「なんだよ、美砂もかよ。東城といい、美砂といい…」
東城と美砂。
ふ。な、わきゃないよな。
あの2人が付き合ってるはず…
「だから昨日みたいに部活が休みだと寂しくって」
この前の、タカちゃんの言葉が予期せず頭の中に浮かんだ。
そういえば、部活が休みだったはずの日に、美砂は「急に部活になった」と言ってたな。
そうだ、思い出した。
俺はそのことを誰かに聞こうと思ってたんだ。
美砂はあの日、俺にウソをついたのだろうか。
ウソをつき、帰りが遅くなってまで、あいつはいったい…
俺の指は、アドレス帳から春菜の番号を選ぶと呼び出しボタンを押していた。
呼び出し音が2回鳴っただけで、春菜はあっさり出た。
「どうしたの、山葉? こんな時間に珍しいね」
「ああいや、ちょっとな。あのさ、東城いる? そこに」
「いないよ。夕方まで一緒だったけど、帰ったよ。どうして?」
「いや、電話通じなくってさ」
「ふ~ん。薫んちは電波悪くないから通じないわけないんだけど。出かけてるんじゃない。あ、ちょっと待って………あ、ごめんごめん、お待たせ。部屋の明かり、消えてるよ。どっか行ってるんじゃない?」
春菜の部屋からは道路を挟んだ斜向かいにある東城の部屋の窓がよく見える。
「そっか。分かった。ありがと」
礼を言い、俺が電話を切ろうとしたとき、春菜が話を続けた。
「あのさ、山葉。ちょっと聞きにくいんだけど…」
「ん、何?」
「……美砂ちゃんてさ…どういうつもりなのかな、と思って…さ」
「え? 美砂?」
「……うん。なんかさ、薫に馴れ馴れしいっていうか。……以前から知り合いだったじゃない。だから知ってて当然なんだけど、なんか、前と違うっていうか」
「どういう…意味?」
「この前、私たち駅前のファッションビルに2人でいたのね。そしたら偶然会ってさ。そしたら寄ってきて、それは別にいいんだけど、前と口のきき方とか違うわけよ。甘えた声…出してさ。で、なんかあれが食べたいとか、これが欲しいとか言って薫の腕とかつかんでさ…なんか、ごめん、ちょっと…ムカついた」
あいつ…
俺は務めて冷静に「で、東城は、どうだったわけ?」と聞いてみた。
「薫は、まあ、いつもどおりかな。でも、私が薫としゃべろうとすると、わざと割り込んでくるのよ、美砂ちゃん」
「…そうなんだ」
「何か、知ってるかなと、思って。あ、いや、ごめん、あはは。ごめんね。美砂ちゃんや薫には私がこんなこと電話でしゃべったって、言わないで。ごめんね、あはは、どうしちゃったんだろ、あたし。ごめん、寝るね。じゃあ」
俺は続けて何かしゃべろうとしたが、電話は春菜の方から切られた。
美砂。
あいつ、俺の知らないところで、そんなことやってたのか。
東城とはその後、何もないように見えたが。
美砂のやってることは、事実だとすれば、はっきり言って春菜への嫌がらせだ。
東城も俺に何も言わないし、あいつも何を考えてやがるんだ。
そしてこの前の、ウソの部活話。
帰ってきたときの、どこか火照ったような顔。
さっきの、通じなかった2人への電話。
今、東城は不在で、美砂も同じく家にはいない。
まさか、あいつら。
猛烈な不快感がこみ上げてくる。
スマホを握り締めたまま、俺は玄関に向かった。
靴を履いて出かけようとしたそのとき、美砂は帰ってきた。
俺と不意に鉢合わせし、顔色が変わるのが、分かった。