第4話:悪魔の囁き
文字数 2,450文字
「ねえねえ、知ってる?」
春菜の声は、これ以上面白いネタはないとばかり、嬉しさで上ずっている。
「ん?」
「山葉ってさ、涼子と付き合ってるらしいのよぉ」
「んなにぃ~!」
掃除が終わった教室から山葉が涼子に半ば拉致られて駅前のスポセンに連れて行かれたころ、下駄箱で待ち合わせた東城に、春菜は開口一番、さっき教室で目にしたことを教えた。
「奴にもついに、春が来たかっ!」
東城も満面に笑みをたたえ、春菜の報告に酔いしれた。
「で、どんなふうだった?」
「そりゃあもう、腕を絡み合わせて、肩寄せ合って!」
「す、すでにそこまで!」
「挨拶もソコソコに、帰っていったわよぉ」
「ぐむぅ、やるな!」
誰だってそう思うだろう。
腕を絡ませたというのは誇張だが、一緒に学校を後にしたのは事実だ。
いや、ここ数日ずっとそうだったのだが、ただの偶然で東城、春菜を初めとするクラスの連中には、ほとんど知られていなかっただけのことだ。
そしてこの日、東城と春菜だけでなく、御山、来栖、穐山に韮崎と、一気に6人に知られてしまったのである。
かすみや、ほかの連中に知られるのは時間の問題だろう。
だが、できるなら避けたい。いや、避けねばならぬ。
御山、穐山、韮崎は、この話題をわざわざ自分からは持ち出さないだろう。
問題は残る3人だ。
来栖は意外にポロっとしゃべるかもしれない。
東城と春菜はどうか。
東城は大丈夫な気はするが、春菜はかすみと結構仲がよく、休み時間とかに他のクラスの連中のことなども話している。
春菜が一方的にしゃべっているという展開だが、かすみもそれなりに興味はあるような感じで、ときに質問をしながら話にも乗っている。
ヤバイだろ、これは。
こんな、プールで涼子の相手をしているような暇なんかない。
一刻も早く、手を打たないと。
トークや電話じゃダメだ。
直接会わなきゃ。
そのことで頭の中を占拠された俺は居ても立ってもいられなくなり、泳ぎの練習をしている涼子の両脇を抱えていたことも忘れ、手から力が抜けてしまった。
「うわっ・・・ぷぷぷ・・・ぶは~っ」
溺れかけた涼子が、藁をもすがる思いで、無我夢中でしがみついてきた。
不意を突かれた俺は、プールの底に引かれているコースを示すタイルのラインで足を滑らせ、涼子と抱き合ったまま、ぶくぶくと沈んでしまった。
しがみついている彼女は必死だ。
浮上もママならない。
水中で引き離すことはできそうもなく、やっとの思いで黄色いプラスチック製のロープにつかまると、一気に彼女の頭を水面から出してやった。
「大丈夫ですか?」
すぐさま飛んできた監視員は手際よく涼子をプールサイドに引き揚げる。
涼子は少し水を飲んだらしく、苦しそうだ。
「はあはあ」と言葉にならない声を出し、はいつくばっている。
周りの客も数人、心配そうにこちらを見ている。
スイムキャップを被り、室内プールにもかかわらず、やけに日焼けした筋肉質の監視員は俺たちの前で身をかがめると、慣れた手付きで涼子の背中をさすり水を吐かせ、お姫様抱っこで医務室まで運んでくれた。
「少し横になれば落ち着きますよ」
「ど、どうも」
監視員が出て行くと、医務室の中は俺と涼子、若い女性看護師の3人だけになった。
看護師に濡れた髪を拭いてもらい、分厚いバスローブのようなものをかけられ、ビニール張りのベッドの端に腰掛けている。
横にならなきゃならないほど大げさなものではなく、水も少し鼻から逆流した程度なので、すでに落ち着きつつあるようだ。
「お帰りになるときに声かけてってくださいね~」
看護師はそう言うと個室から出て行った。
「大丈夫かよ」
「ごめんね、わたしのせいでみっともないことになって…げふっげふっ」
本当は俺が悪いんだが、涼子の方からこんなふうに謝られてしまうと、次の言葉が出てこない。
「少しだけ休ませて。そうすれば落ち着いてくるし…」
もう少し…か。
本当は今すぐにでも春菜と東城のところに飛んでいって、事情を説明したい。
涼子、俺にはそんな時間はないんだよ。
あいつらのことだ。今ごろは駅前でゲームやってるか歌ってるかに違いない。
早く行かねば。
このまま適当に理由をつけて、ばっくれちまおうか。
別に涼子は死にそうってワケでもないんだし、いいか。
部屋を抜けるところを看護師に見られたら、涼子に飲ませる熱い缶コーヒーでも買いに行くとか適当な理由をつければ大丈夫だろう。
いや、待てよ。
そのままダッシュで逃げるのはいいが、戻らないと無責任な奴ってことで、学校にチクられるかもしれん。
ううむ。
あと30分ぐらいここにいるとして、頭洗ったり着替えやらで時間はどんどん過ぎていく。
だいたい、このままじゃ帰りも涼子と一緒で、東城たちに接近することすらできんじゃないか。
くそう、とりあえず更衣室にでも行って、スマホであいつらの都合だけでも確かめ、夜にでも時間つくってもらうか。
なんか大げさだが、仕方ない。
俺は連絡を取るため、部屋を出ようかと思った。
「ねえ、山葉くん」
突然、涼子が口を開いた。
「あ、ああ、俺ちょっとスマホ…」
「山葉くん、もしね」
話を聞いちゃいませんね。
「山葉くん、もしね、もっとたくさん水飲んで、意識とか失ってたら、人工呼吸とかしてくれた?」
あんだって?
人工呼吸って、あの、マウスツーマウスってやつのことか?
こいつ、こんなときに何考えてるんだ?
だいたい、そういうのは監視員とか医療スタッフの仕事だろ。
俺はテレビドラマとかで見たことはあるが、正しいやり方なんて知らん。
それに、仮にそうなったとして、意識もないのにそんなことしてもらって嬉しいわけ、あんたは?
「してもいいよ、今」
はあ?
「今ここで、試してみて」
薄く唇を開いた涼子が、潤んだような瞳で俺を見ている。
げ、目がマジっぽいんですが。
しかし、いつの間にか俺の右手はしっかり握られている。
彼女に掛けられていたバスローブが、肩のところではらりと落ちた。
湿った髪が色っぽい。
身に着けているのは薄い布切れ一枚だ。
ごくり。
キスだけなら、いっか…な?
悪魔が囁いた。