第63話:初詣
文字数 6,937文字
ボーン・・・・・・
除夜の鐘が鳴っている。
紅白も終わり、国営放送では「行く冬来る春」の放映中だ。
そういえば、この前の大晦日から新年にかけては、東城や春菜たちと近くの神社へ初詣に行ったよな。
夜中におおっぴらに出歩けるのは、考えてみるとこんなときぐらいだ。
別に夜中に出歩くのは構わない。
しかし、俺たちのような年齢のモンが夜中に歩いてるってだけで、すぐに職質だ。
以前、夏休み中ファミレスでバイトしてたとき、仕事が終わって夜の9時過ぎに歩いていただけで巡査に止められ、何をやっていたのか根掘り葉掘り聞かれたことがある。
バイトだといっても全く信じてくれず、店に電話してやっと解放されたという不愉快さだった。
だから、年に一度のこの大晦日から新年にかけての夜中の初詣は好きなんだが、今回は樺太から年末年始の休みで戻ってきた両親と家にいる。
春菜から「東城、かすみの4人で行かないか」というお誘いトークはあった。
しかし、例の美砂の一件で、東城とは付き合い辛くなってしまった。
かすみも大晦日のそば屋といえば書き入れ時で、深夜まで店を手伝っており来れるはずはない。
イブの日。
美砂が持っていたプリクラシール。
写っていた美砂と東城。
あの2人、結局は別れていなかった。
それどころか、これは「付き合ってる」ってことだろ。
あの顔を寄せ合った嬉しそうな表情。
あれは恋人同士だ。
美砂とはあの日以来いっさい口をきいていないし、干渉もしていない。
気にならないわけではない。
いや、全くその逆だ。
じゃあ、なぜ干渉しなくなったのか。
それは、
これ以上、美砂に嫌われたくないからだ
と思う。
これは間違ってるなと思う。
嫌われたくないから干渉しないんだったら、何かあったときに助けてやれないじゃないか。
確かにそうだ。
だが、俺は何も言わなくなった。
いや、美砂が避けているので取り付くシマがないというのもあるが。
嫌だったが、翌日、東城を公園に呼び出し、プリクラシールのことを詰問した。
東城はあの日、偶然駅で美砂に会い、1人で浜袋に行くのもつまらんので一緒に行くことになった。プリクラは頼まれて断れなかったと、あっさり事情を説明した。
嘘なのか、本当なのか、誘ったのは美砂の方か、東城なのか。
俺と向き合って立ったまま、目をそらし鬱陶しそうに腕組みしたままの東城。
俺はそれ以上追及する気にならず、なぜか負け犬のように先にその場を離れた。
春菜には…知らせなかった。
それで、何とも返事をしがたく、誘いを放置してしまったのだ。
春菜も東城が誘わないから仕方なく代わりに誘ったからなのか、それ以上はメッセも電話も来なかった。
美砂はきょう、歌合戦の終了を待たず、11時過ぎには出て行った。
タカちゃんと笠谷が迎えに来たので、1年生同士で行くのだろう。
東城じゃないのが救いだ。
俺はそのまま家に残り、今、目の前の画面にはどこか遠くのお寺の様子が映されている。
ひしめき合う人々。
アナウンサーの淡々とした口調。
去年の「行く冬~」は暖冬ということで雪の積もった風景はこれっぽっちも映らず、まるで雰囲気なかったって話だが、今回はそこそこ雪景色もあっていい感じだ。
「武蔵原市の吉乗寺です」
不意に知っている地名が飛び出してきた。
吉乗寺。
ここは電車で彩ケ崎の駅から新宿寄りに5つ離れたところにある地名だ。
夏、例の大雨のとき電車が止まって涼子と一緒に下車せざるを得なくなった萩窪の隣駅だ。
普段はなんということもなく、ただの駅名のように感じていたんだが、考えてみると、同じ名前の寺があり、駅はこの寺から名前を取ってるんだな。
このエリアで名の知れた初詣スポットといえば、この吉乗寺と姫高に近い花房神社と相場が決まっており、誘ってきた春菜や、美砂を迎えに来たクラスの子たちも花房神社へ行くと言っていた。
大晦日で電車も走ってるから、こんな時間でも歩かずに行けるわけだ。
テレビに映る吉乗寺はそこそこの人出だ。
近所の家族連れやカップル、若い子同士が画面のあちこちで手を合わせたりはしゃいだりしている。
カメラに気付いた連中が押し合いながらVサインを送っている。
なんだか無性に空しくなってきた俺はチャンネルを変えた。
リモコンを押し続け、おもしろそうな番組を探していくが、どこもかしこもバラエティー系の番組ばかりでぜんぜん興味を引かない。
クラスの連中も行ってるんだろうな。
そんな考えもよぎって、ますます空しくなってくる。
さらにリモコンを押し続け、チャンネルはひと回りしてしまった。
ケーブルテレビにでも入ってれば、季節に左右されないいろんな番組が見られて、こういうときこそ重宝するんだろうが、残念ながら加入してないんで地上波のみ。
両親が樺太に転勤になる前で一緒に住んでたとき、加入しようかという話になったんだが、どうせテレビはゲームにしか使わねーから無駄だと断ったのは、ほかでもない、この俺だ。
どうせ俺がカネを出すわけでなし、しまったなと思うが後の祭りだ。
今からでも吉乗寺行ってみっかな…
誰でもいいから暇そうな奴に連絡しようかと思い、スマホに手を伸ばす。
友達リストや履歴で名前を探しながら、もう片方の手は相変わらずリモコンを押しっ放しだ。
次々と変わっていく画面。
何度目かの「行く冬来る春」が番組の終わりがけで、再び吉乗寺を映し出した。
そのままパスしようと思ったとき、画面の端っこの方に見覚えのある姿が映っているのに気づき、チャンネルを止めた。
映っていたのは、かえで先生だった。
だが、かえで先生は一人ではなく、小さな子供を抱いている。
えっ!?
かえで、先生の…子ども?
◇ ◇ ◇
担任のかえで先生は生徒みんなの憧れの的だ。
きれいで優しく、親身に相談に乗ってくれて、男女誰からも好かれている。
そりゃ、彼氏がいたり、万が一、け、結婚していてもおかしくない、おかしくはないんだけれど、何とも言えぬ悲しさ、寂しさ、それに、結婚していようがいまいが、学校の外のプライベートなことを生徒に言う必要もなければ、俺たちにも口をはさむ権利なんてないこともじゅうぶん分かってはいるけれど、何かこう、裏切られたような悔しいような、言いようのない感情がこみ上げてきた。
顔も火照ってきた俺は、いてもたってもいられなくなった。
吉乗寺ならチャリを飛ばせば30分で行けるだろう。
この目で確かめてやる。
待てよ、たまたま吉乗寺に行ってる奴もいるかもしれないし、録画してる物好きもいるかもしれない。文字を打つのも面倒だ。電話だ、電話!
時間がない。
とりあえず、まあ、いい、東城だ。
東城に電話しよう。
さすがに躊躇したが、事が事だしな。
さっきから操作していたアドレス帳にはちょうど東城の番号が表示されている。
0*0-1641-0105
くっ!何度見てもムカつく番号だ。
語呂が「色好いおとこ」ってのが、いかにもあいつらしい。
よくよく考えてみると、悔しいけど暗記してたんだよな、この番号。
だがまあいい、とにかく電話だ。
ぷっぷっぷっぷっぷ…
「こちらは悠久モバイルです。ただいま電話が大変込み合っております。おそれいりますが、後ほどおかけ直しいただけますよう…」
しまったあ!
新年を挟んで電話に規制がかかるって、そーいやテレビでも言ってたな。
まさに、今がその時間帯じゃねーか。
ダメ元でもう一度かけてみるが、やっぱり繋がらない。
別の奴はどうだ。
春菜の番号にもかけてみる。
0*0-1919-4107
「今度は『イクイクよい女』かよっ! まったくあいつら~」
ぷっぷっぷっぷっぷ…
「こちらは悠久モバイルです。ただいま…」
ぷつっ。
あかん。繋がらん。
ええい誰でもいい、表示された奴、選ばずにかけてやる。
よし盛岡だ。
0*0-0182-4649
「『一発よろしく』だぁ? 何考えてんだ、あのエロオヤジ!」
「こちらは帝都テレコムです…」
「ダメだ。次はそうだ慈乗院だ! あいつ知ったら、どう思うかな…」
躊躇ためらわれたが、コールする。
0*0-0117-3303
「いいな、すみれさん? すみれさんって誰だよ? お前、かえで先生はどうしたよ!」
「こちらはNKT日本国策通信です…もういい! どいつもこいつもふざけやがって!」
あまりの不愉快さに逆ギレした俺は自転車で現場へ向かうことにした。
「こんな時間にどこか行くの?」
「ちょっとみんなで初詣。すぐ戻るよ」
母親に呼び止められたが、適当に返事をして飛び出した。
吉乗寺界隈はどこからそんなに人が湧いて出たのかってぐらい混み合っていた。
人をかき分け、本堂近くや寺の敷地のあちこちを見て回ったが、かえで先生の姿は見つけられない。
あれは本当にかえで先生だったのかな。
仮にそうだとして、あの抱いていた子どもは本当に先生の子なのだろうか。
1年のときも担任だったけど、お腹大きかったことなんてなかったし、いや、俺たちが入学する前に産んだ・・・にしては小さすぎる。
昼間はどこかに預けて、学校に来てたのかな。
それに、もしかえで先生の子だとして、父親は、そうだ父親はだれだろう。
大学も美咲女子大だって言ってたから、同級生ってことはないよな。
誰だ、誰なんだ、くそー!
俺はまるで、自分の彼女に裏切られでもしたかのような勝手な嫉妬心を抱き探し回った。
しかし、人の多さで多勢に無勢。しかも援軍なしではどうしようもない。
1時間ほど動き回ったが、ついに見つけられず諦めて帰ることにした。
寺に来たのに手も合わせていない。
徒労に終わりトボトボと自転車を止めた場所まで戻る。
新年早々、実に無駄な時間を使ってしまった。
こんなことなら家でぬくぬくしていればよかったのに。
虚しさが募る。
すると、突然後ろから声をかけられた。
「あら、山葉くんじゃないの?」
◇ ◇ ◇
「…? かなで先生」
かなで先生は襟に毛皮のついたショート丈のコートに短いスカート、黒のタイツに黒いピンヒールのブーツという、およそ初詣の場所にも、教師という立場にもそぐわないかっこうだが、こちらを見て微笑んでいる。
「初詣ね?」
「え、ええ」
かなで先生がいるってことは、かえで先生も一緒…だよな?
う~ん、何としたものか。
かえで先生のことを聞くべきかどうか。
でもテレビで見たあのシーンは、本当にかえで先生かどうか確証はないし。
もし違ってたら、ばかみたいだし。
「一人なの?」
「え、ええ。そうなんすよ。あの、かなで先生もですか?」
「私はかえでたちと一緒よ」
そうか。
やっぱ、かえで先生も来てたんだ。
でも今「かえでたち」って言ったよな。
「たち」って、やっぱりかえで先生の抱いていた子のことだよ…な。
ああ、かえで先生。本当に子どもがいたんだ…
いや、ひょっとしたら、その子の父親、つまり、かえで先生の結婚相手の男も一緒なのかもしれない。
いや普通は一緒だろ。
見たくない。かえで先生が好きになった男なんて見たくない。
でも、気になるよな…
「そ、そうなんですか。で、かえで先生はどこですか?」
望まぬ結果を見せつけられることになるかもしれないのに、俺は恐る恐る尋ねてしまった。
「もうじき来るわよ。この辺りで待ち合わせなの」
「じゃ、じゃあ、俺も待ってていいですか? その、挨拶を…」
「ええ、喜ぶと思うわ」
俺は残念な結果に終わる危惧から一瞬は躊躇したが、真偽を確かめたいという思いが勝り、かなで先生と待つことにした。
かえで先生は、ものの2、3分でやってきた。
「あら、山葉くん」
現れたかえで先生は、一人だった。
あれ? 子どもがいない。
眼の前のかえで先生は画面の中で見たのと同じような服装をしている。
「あ、あの、かえで先生」
「ん? ああ、あけましておめでとう、山葉くん」
「お、おめでとうございます。せ、先生」
「え? なあに?」
どうしよう。聞くべきか。といって何て聞いたらいいんだ。
ここにはあの子どもはいない。いないのに、何で子どものことを知ってるのかと思うだろう。
まさか、テレビでかえで先生と子どもが一緒にいるのを見て、結婚してるのか、先生の子なのか、そうだとして相手は誰なのか確かめるために、居ても立ってもいられなくなって来たんです、なんて言えっこない。
「あの、何をお願いしたんですか…」
我ながら、咄嗟とはいえいいことを聞いたかもしれない。
これで「子どもが元気に育ちますように」とかいう答えなら、それがとっかかりになる。
「みんなのことよ」
「え?」
「みんなが元気に健康で学校生活を送れますようにって」
俺は急に目が潤んできた。
いっときとはいえ、かえで先生のことを証拠もなく嫉妬し、真実を暴いてやろうと思っていた。
それなのに、先生は俺達のために手を合わせてくれていたなんて。
恥ずかしいやつだ、俺は。
「ごめんお待たせ~」
そこへ一人の女性がやって来た。
小さな子を抱いている。
「人が多いから、かえで姉さん見失っちゃって」
「ごめんねえ。私も人に押されちゃって、立ち止まれなかったのよ」
「あれ? ひょっとして教え子ちゃん?」
「そうなの。山葉譲二君。わたしのクラスのイ・ケ・メ・ン」
「???」
「こんにちわ。姉のかなでとかえでがお世話になってます。妹の『かもめ』です。この子は『
俺は今の今まで紫村姉妹は2人なのだと勝手に思っていた。
姉のかなで先生、妹のかえで先生。
だが、かえで先生にも、かもめさんという妹がいて3姉妹だったのだ。
3姉妹と赤ちゃんの4人で初詣に来たのだが、人混みが凄い。
赤ちゃんをお参りさせたかったかもめさんだが、小柄なかもめさんにとって赤ちゃんを抱いたままでは危ないから、姉のかえで先生が代わりに赤ちゃんを抱いて一緒にお参りしていたのだという。
ああ、俺って何なんですかね。
クラスメートを呼ばなくて、ほんっとよかった。
「じゃ、帰るわよ。彩音が風邪引いちゃう」
「じゃ、山葉くん、君も夜更かしはほどほどに、ね♪」
「譲二兄ちゃん、ばいばーい」
かもめさんが彩音ちゃんの手を取って俺に向かって振ってみせる。
「ばいばーい、彩音ちゃん♪ みなさんお疲れ様でした。楽しいお正月を」
冷たい空気も気持ちいい。
チャリにまたがり、俺は清々しい気持ちで家に向かった。
◇
◇
◇
時間は夜中の2時半を回ったころだ。
体も冷えたことだし、風呂に入って寝よう。
自転車はもう少しで家に着く。
街路灯の明かりだけが灯る暗い道を走っていると、前方に変な格好の後姿が見えた。
着ぐるみってわけでもないだろうが、二人羽織みたいに背中が膨らんで見える。
「なんだ、ありゃあ?」
つぶやきながらスピードを落とし、なおも近づいて行くと、それは誰かが人を背負っている姿だった。
追い抜きざま、ちらりと振り返った俺は急ブレーキをかけた。
それは、東城と美砂だったのだ。
「山葉、か」
東城は美砂を背負ったまま、立ち止まると俺に声をかけた。
「あ、兄貴…」
「東城、美砂…どういうことだ、これ!」
俺は自転車を降りると、2人の前に立ちはだかった。
「美砂、お前なに東城にしがみついてんだ。降りろ」
「うう…」
美砂は返事に窮している。
「ちょっと待て。これにはワケがある」
「ワケも何もあるか。美砂を降ろせ!」
どこから背負ってきたのか知らないが、東城は相当腰に来ていたのだろう。
俺がほんのちょっと肩を押しただけで、バランスを崩し転びそうになった。
「っ」と短い悲鳴をあげ、美砂は東城の背中から飛び降り、そのまま尻餅をついてしまった。
「ああ、美砂ちゃん! ごめん、大丈夫か」
東城が美砂の手を取り、助け起こそうとしている。
だが何か様子が変だ。
尻餅をつきスカートの中が丸見えなのに、隠す気力もない様子で、そもそも、こんなことをされたら普段の美砂なら、食って掛かるはずなのにそんな気配もない。
ただ、黙って東城に助け起こされるがままだ。
ちょうどそこに、後ろから春菜が駆けてきた。
「はあ、やっと見つけたよ薬売ってるとこ」
手には小さなビニール袋。
24時間ドラッグとか何とか書いてある。
「あ、山葉ぁ。ちょうどよかった。って、薫何してんのよ? 転んだの? 美砂ちゃん大丈夫?」
背負うのをやめた東城は、俺と春菜の目の前でそのまま美砂をお姫様抱っこしてしまった。
「おい山葉。美砂ちゃんな、熱、あるんだよ」
「え? 熱?」
「なんだ山葉、今来たとこなんだ? 花房神社行ったら美砂ちゃんたちに会ったんだけど、なんか具合悪くなっちゃったみたいでさ。熱出しちゃったのよ。ごめんね…無理させちゃって。タクシーで送ろうと思ったんだけど、一台もいなくてさ。ちょうど終夜運転で電車あったんで、駅からずっと東城がおんぶしてきたのよ。その間に私は薬屋を探してたってワケ」
「そ、そうだったのか…そ、その、すまん」
東城はそのまま家まで美砂を連れて行くと、春菜が部屋に上がり、まだ起きていた母親に説明し薬を渡して帰っていった。
俺は「熱さまパッド」をときどき取り替えながら、美砂のそばにいた。
そのままずっと、美砂は苦しそうな寝息を立てていた。
「東城・・・・・さ・ん」
熱に浮かされた美砂が漏らす、苦しげな寝言。
夢を…見ているのか。
楽しい夢なのか、それとも悪夢なのか。
その夢の中で、美砂は東城に何を求めているのだろう。