第14話:無謀な行軍
文字数 3,533文字
期末テストは予定を変更し、夏休みの最初の週に行うことになりそうだというウワサも出ている。
部活や合宿、夏休みの旅行やバイトなど生徒にもそれぞれ理由があるため、何とか回避できないか学校側も悩んでいるそうだが。
俺は
それも、涼子と一緒に。
彼女も風邪で休んでいる。
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かえで先生の「お願い」というのはこれだった。
生徒2人で組んで、休んでいる同級生宅に冊子セットを届けてきてほしい。
私立のため、結構遠いところから通ってくる生徒も多い。
かえで先生は車通勤だが、1人で休んでいる全生徒宅を回るには方向が散りすぎて授業が終わってからでは手に負えないし、冊子だからファクスで送ることもできない。
これが単純なプリント類ならPDFをスマホやPCに送ることもできるんだが、冊子じゃあな。
で、俺たち生徒に役目が回ってきたってワケ。
案外人使いが荒いなとは思うが。
2人で行かせるのは、安全のためということで、親の承諾も先生が取ってくれるという。
休んでいるのは7人。
クラスで自宅が一番遠い
東京市内在住の穐山宅は同じく市内在住で自ら手を挙げた紀伊國が行くという。
残る欠席者は5人。
訪問に必要な生徒の数は5軒に2人ずつだから5組10人だ。
この5人のうち4人は地元・美咲や俺たちが住む彩ケ崎なので、比較的遠いのは処沢の上川だけということになる。
さすがに横濱や東京とは真逆の方向なので、かえで先生も回れない。
似た方向に帰る生徒を選抜し、くじ引きで行き先と生徒の組み合わせを決めることになったのだ。
ハズレはもちろん上川宅を回る組だ。
処沢から通っている生徒は彼女以外にはいないからだ。
くじに参加せずに済んだ反対方向の太刀川や
結果は慈乗院がレナーテと、東城は御山と、船橋は椎名と、吉村は鶯谷と決まった。
レナーテの家は逆方向、太刀川の北だが「ぜひ行きたい」と手を上げた。
で、最後の一組はあろうことか俺と涼子。
結果が出たその瞬間、俺は天を仰いだ。
東城や春菜の方を見たが、くじ引きである以上あいつらも助け舟は出せない。
ここで異議を唱えれば、その理由を言わねばならないし、それよりもクラスに迷惑をかける。諦めざるを得なかった。
しかし俺は一計を案じ、かすみへの訪問も引き受けることにした。
自宅最寄りが同じ彩ケ崎駅である上に、彼女の様子も気になっていたからだ。
さらに言うなら、紅村に「俺の彼女はかすみであり、彼女に冊子を届けるのは俺の務め」ということをはっきり印象付けたかったというのもある。
最初にかすみの家に回るのも考えたが、オイシイものは後に取っておくというわけじゃないが、最初に遠いところへ行った方が楽だろうと考え、まずは上川の家に向かうことにした。
◇
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あんなこともあったので、道中も涼子とは事務的な会話しか交わさない。
というか交わせない。
当然だろう。
彼女もそれが分かっているのかいないのか、無駄なことは言わなかった。
処沢は彩ケ崎の北にある群玉県の街だ。
違う県というだけで遠そうに感じるが意外に近く、距離的には新宿に行くのとさして変わらない。乗り換えは1回だ。
上川担当になった俺たちは定期券が使えないので電車賃として2人合わせて3000円が渡されているから不安もない。
乗り換えもスムーズにゆき、処沢にはすぐに着いた。
◇ ◇ ◇
上川の家は、駅前再開発用の土地を売って一気に財を成した地元実業家ということもあってか、流石にデカい。
生け垣なんてものではなく、まるで森に囲まれたような一軒家だ。
建物は近代的な佇まいだが、玄関の前には昔の洋館にあるような車寄せなんかもあり、きっと運転手付きの黒塗り高級車なんかが似合うんだろうな。
しかし、上川といい、穐山といい、来栖といい、金持ちの多いクラスだな、まったく。私立って、どこもそうなのだろうか。
よく手入れされた樹木。
花壇の中央には噴水まである。
道路に面した鉄格子のドアにある呼び鈴を鳴らすと、ややあって左右に自動で開く。
玄関前に着くか着かないかという絶妙のタイミングで、秘書なのか書生なのか、小洒落て言えばコンシェルジュなのか知らないが、スーツ姿の若い男が現れ中に迎え入れられた。
でっかい部屋に通され、それひとつが俺の家より高いんじゃないかと思える高級そうな椅子に座るよう促されて待つこと10分近く。さっきの男が家政婦2人を伴い戻ってきた。
「お嬢様が、よろしくとおっしゃっておられました」
蝶ネクタイのその男は、綺麗な封筒に入って、しっかり封印されている上川直筆の礼状を俺に渡し、深々と頭を下げた。
その間に、家政婦は俺たちの前のテーブルに紅茶セットを並べている。
なんかこう、俺たちって完全に場違いって感じ。
横目で涼子を見ると、なんかこいつも神妙な顔つきをしている。
上川が姿を現さなかったのは、風邪を伝染すと悪いからというよりも、プライドの高そうな彼女のことだから、具合の悪い病人顔を見られたくないということもあるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、ほとんど味も分からないまま飲み干すと、食事の用意をするという申し出にありったけ丁寧な言葉で理由を話して断り、そそくさと屋敷を後にした。
降り始めた雨の中、最寄り駅に向かう。
待たされて、紅茶を出され、食事まで勧められ、すっかり時間を食ってしまった。
もう、夜の7時近い。
ここから彩ケ崎までは近いとは言っても乗り換えは1回ある。
歓待してくれるのはいいが、じゃあ帰りは車でお送りしましょう、とならないところがいかにもニワカの金持ちって感じだな。
てか、こんな書生やら秘書を雇ってるなら学校まで取りに行かせればいいじゃないか。
屋敷の裏手にちらっとガレージが見えたが、車が4、5台は入るんじゃないかってぐらいの大きさだった。
運転手だって雇ってるだろう。
何か釈然としない思いのまま、最寄の
が、電車は止まっていた。
乗ってきた
順調に行っても1時間半はかかるだろう。
雨も降っているというのに最悪だ。
しかし腹をくくるしかない。
「お客様に申し上げます。大雨の影響により、太刀川市内の玉川が警戒水位を超えました。お急ぎのところ大変申し訳ありませんが、この電車は次の
なんだってぇ?
2回乗り換えて、やっと最後の
これで、後はかすみの家に着くのを待つだけって時になり、電車が動かなくなっちまった。
萩窪っていえば、彩ケ崎までまだ6駅も手前だ。
こんなところで止められて、どうしたらいいんだ。
電車の窓にはざーざーと雨粒が当たり、木々や電線が大きく揺れている。
乗り合わせた客も不安そうに外を眺め、あちこちで家族にスマホで連絡を取っている。
相手が自然じゃ仕方ないにしても、乗り物運が悪すぎるぞ。
くそっ、待つか、降りて歩くか。
30分たっても電車が動く気配はなく、雨風もさっきより強くなっている感じだ。
試しに1階の改札まで出てみると、駅前には行き場を失った客がひしめいていた。
ロータリーにタクシーなんか来るはずもなく、バスの姿も見えない。
迎えに来た家族だろうか、たまに乗用車がやってくる程度で、客はただ立ち尽くし茫然自失といった感じだ。
駅の電光掲示板に流れるニュースには、活発な雨雲が首都圏に流れ込んでいると出ている。
商店の中にはすでにシャッターを下ろしたところもあり、雨は60度ぐらいの角度で降っている。
横殴りってやつだ。
「ねえ、山葉くん、どうしよう?」
久しぶりに涼子の「山葉くん」という言葉を聞いたような気がする。
これがなんということもない普段の一コマなら、俺は返事をしなかったかもしれない。
しかし、今は一種の運命共同体。この期に及んで無視はあり得ない。
自分が家に帰るのはもちろんだが、涼子だって無事に家に帰してやらなきゃならない。
こういうときのために、かえで先生は2人1組で行動させたんだ。涼子を無事に帰すのは、かえで先生に報いるためでもあるんだ。
俺は自分にそう言い聞かせた。
「もっと酷くなる前に歩くか?」
「…そう…しようか」
一瞬風雨が弱まった隙を突き、俺たちはそれぞれ傘をさして高架線沿いに歩き出した。