第20話:妹への嫉妬
文字数 4,918文字
俺は自分でも分かるぐらい険しい表情で奴を問い詰めた。
「お前、なんでそんなこと知ってるんだ。美砂のヘソの下にホクロがあるってこと。何で知ってるんだ」
「……」
「お前、この前の晩、美砂にずっとついていてくれたって言ってたよな。ああ、それは感謝するよ。でもまさか、手ぇ出したんじゃねえだろうな!」
「……」
「何黙ってんだ!答えろよ。お前、俺の妹とヤッたんじゃねえだろうな!」
場所がファミレスの店内でなければ、答えも聞かず、胸ぐらの一つでも掴んでいただろう。
だが、最後のギリギリの線で自制心が働き、思いとどまった。
周りの客のこともある。
声も低く小さかったが、十分に怒気は含んでいた。
「……」
「言えねーことしたのか! お前なぁ!」
思わずでかい声を出しちまった。
他の客がこちらをちらっと見て、ひそひそやってやがる。
「ちょっと待て」
やっと東城が口を開いた。
「悪かった。あ、だが心配するな。手なんか出してないよ。親友であるお前の妹をやるわけ…ないだろ」
東城は真剣な表情だが、目をそらしながら言った。
俺は「手を出していない」という言葉を信じたい気分だった。
だが完全には信用できない。
「抱きつかれ…てな」
「美砂からか」
「そうだ」
「なんで美砂が抱きつくんだよ」
「お前に連絡が取れず、美砂ちゃんずっと不安だったんだよ。泣いてたし」
「……」
「で、心配しないでも大丈夫だって、肩をポンと叩いて慰めたら、次の瞬間」
「……」
「美砂ちゃんの方から抱きついてきて……オレも抱き寄せた。そのとき彼女Tシャツ1枚だったから…少しずり上がって。で、見えたんだよ…一瞬。それだけだ」
「……本当に、それだけなんだな」
「……ごめん、キスした」
「お前!」
「仕方ないだろう! 泣きじゃくってたんだ。とっさに、ものすごく可哀相になって、それで…思わず」
東城の言ったことは多分本当だろう。
俺が逆の立場で春菜に抱きつかれたら、同じようにしただろうと、話を聞けば想像できる。
それにもし、美砂や東城がそれ以上のことをしたなら、何食わぬ顔で俺と顔を合わせたり、話をしたり、食事をしたりなんてできないはずだ。
2人とも、後ろめたさやぎこちなさというのは感じられなかった。
東城には春菜がいるわけだし、俺と東城は親友だ。
そう信じたい。
それとも、俺があまりにも鈍いのか?
しかし、それ以上は聞けない。
美砂にも聞けない。
あのまま東城を追及して、「それ以上の関係を持った」と無理やりにでも嘘を言わせたかったのか?
もし言わせたらどうなる。
東城を殴るのか?
美砂も締め上げ、「私、東城さんとしたの」と言わせるのか?
で、その言葉を聞いて、俺はどう思うのだろうか。
美砂も殴るのか?
いや、違う。
違うはずだ。
あの2人はキスをしただけ。
2人を信じるしかない。
駅前で東城と別れ、帰り道ずっとこんなことを考えていた。
美砂の部屋からは明かりが漏れている。
深夜の2時だ。
起きているのか、明かりをつけたまま寝ているのか。
俺は「ただいま」と声をかけることもなく、ベッドにもぐり込んだ。
◇ ◇ ◇
朝、正確には昼に近い午前11時。
目が覚めた俺は階段を降り、ダイニングに行った。
ノドがからからになっていた。
食卓の上には料理雑誌が広げられ、美砂が何かを仕込んでいる。
「なあ、美砂」
何も考えず言葉が出た。
美砂は無言だ。
「なあ、美砂、お前…」
俺は聞くのか?
聞いていいのか?
「何?」
体は動かさず、首だけ向きを変えた美砂の横顔が、いつの間にか大人になっているような雰囲気を醸し出し、生唾を飲み込んだ。
「…昨日は、ゴメン」
美砂の雰囲気に気圧されたか、とっさに理性が働いたか、俺の口からは意図せず謝罪の言葉が漏れた。
「……」
美砂は黙っている。
トントンと、まな板の上で何かを切る音がする。
俺は水を飲むため、コップを出して美砂の隣の蛇口に近寄ろうとした。
近づく気配を感じ、美砂が庖丁を手にしたまま振り向いた。
一瞬、びびる。
いつもの席に腰掛け、水を一気に飲み干すと少し落ち着いた。
美砂は相変わらず背を向けたまま、何かを作っている。
「…美砂」
「……」
「美砂お前さあ」
「……」
聞きたくないのに、どうしようもなく言葉が出てきてしまった。
「東城のこと…」
ジャーっと、ものを炒める音がした。
かき消されたかもしれない。
これでよかったんだ。
もう聞くのはよそう。
立ち上がり、部屋に戻ろうとした。
「…好きだよ」
「!!」
「ダメかな。東城さんのこと、好きになっちゃ」
美砂はチャーハンを炒める手を一瞬とめ、振り向いた。
さっきまでのどことなく冷たい表情ではなく、やわらかいいつもの顔つきに戻っている。
「あ、あ、そう。いや、でもさ、東城には春菜がいるぜ。分かってんだろ?」
「うん、知ってるよ。だから?」
「だからってお前、あいつには好きな子が他にいるわけよ。お前がいくら好きになっても相手にされんぞ」
「そうかなぁ」
なんか照れたような顔つきになり、頬まで赤らめてやがる。
「てか、何で今ごろ急に好きとかになるわけ? それともなにか、前から好きだったってか? で、春菜から横取りでもすんの? 東城が春菜と別れるとでも思ってんのか?」
「別にいいじゃん、彼女がいたって」
「よくねーよ! 三角関係じゃん、それ! 知ってんだろ、俺たちつるんでんの。そこにお前が乱入してきたら、どうなるんだよ。どーしようってんだ。あいつに女がいなきゃ俺もこんなことも言わねーかもしんねーけど、残念ながらいるんだよ、レッキとした彼女がよ」
「…だって、優しいんだもん」
美砂はあの晩のことを言ってるんだろう。
あんなことされりゃ、そりゃ落ちるわな。
俺が女だったら、やっぱりそうなったかも知れん。
だがしかしだ、よりによって東城とは。
奴は拙い。
奴には春菜っていう特定の彼女がいて、付き合い始めて随分たつ。
なのに2人だけの世界に入り浸ることもなく、俺を含めた3人でつるんでいつも楽しんでる。
まあ、最近はかすみシフトのこともあるが、基本的なスタンスは変わらない。
俺はこのドリカム状態のような3人の関係を壊したくない。
それが全く与り知らない原因で壊れるなら、まあ、それはそれで諦めもつくかもしれない。
が、それが妹の美砂ってのはいかにも拙い、拙すぎる。
俺は勢いがついたのと、何となく美砂が機嫌を直したっぽくみえたので、一気に核心に迫った。
「まあよ、いくら好きだ好きだって言ってたって、はっきり言ってあの2人はデキてんだよ。お前なんか手も握ったことねーんだろ? 春菜の足元にも及ばねーぞ。勝負にならんな」
カマをかけてみた。
美砂は表情も変えずに俺の目の前に出来たての山盛りチャーハンを置くと、そのどてっ腹にレンゲを突き刺した。
細かく刻んだ脂身の多い焼豚が旨そうだ。
「まあいいじゃない、そういうことで」
「いいじゃないって、よくねーよ。手も握ってねーんだろ」
つくづく自分がみっともないと思う。
やっぱり言うべきじゃなかったんだ。
そうだろう。
だが、美砂が東城とキスしたことを知っている。いや、知ってしまった。
昨晩、東城の前では何とか気が収まった。
しかし、美砂にこの話題を自分で振っておきながら、収まりがつかなくなってしまった。
俺はとりあえずレンゲを口に運びながら、向かい側に座り同じくチャーハンを食べ始めた美砂を見つめた。
「あ、そうだ。きょう部活だから、食べ終わったら行くね。食器洗っといてよ」
こいつ、はぐらかしにかかりやがった。
乗ってこないつもりだな。
しばらく沈黙が続く。
テレビからは今夜の番組案内が流れている。
「知ってる? タカちゃんトコ、床上だったって」
タカちゃんというのは美砂の同級生で、何度か遊びに来たことがある。
美咲元町の近所が自宅なので、この前の大雨でモロやられたんだろう。
「あしたね、クラスの無事だった人全員で掃除の手伝いに行くの」
「……」
「私ね、家庭部の人と炊き出し係。あした朝早く学校に行って、おにぎり大量に作るんだぁ」
「た、大変だな」
「うん、だからね、きょうこれからみんなと買い出しなの」
「それが部活なのか」
「ごちそうさま~」
完全に美砂ペースになってしまった。
俺は相づちまで打ってしまい、さっきまでの勢いは一体どこへ。
美砂はどたどたと階段を上っていくと、あっという間に制服に着替え、階段を駆け下りると振り向きもせず、玄関に向かった。
どうしようもなく、俺は再び声をかけた。
「おい、さっき言ったこと分かってんな」
廊下の縁に腰を下ろし、靴を履いている美砂。
俺はよせばいいと思ったのに、止まらなかったのだ。
「……」
「東城は、やめろ」
「……」
「分かったな」
靴を履き終え、美砂は立ち上がった。
このまま無視していくのだろう。
「…ふ。妬いてるの? 自分の妹に」
こちらに背を向けたままで言い放った美砂の言葉に血が逆流した。
美砂の華奢な左腕を掴むと、ねじり上げた。
「なんだ、お前!」
「い、痛い。何するのよ! いいでしょ、私が東城さんと何をしようと」
怒りのこもった瞳で俺を睨みつけながら、美砂は俺の腕を振りほどいた。
「私、もう戻れないから」
「ふん、ちょっとキスしたぐらいでその気になりやがって、カワイイな、お前」
「キス?…したぐらいで? は、なんにも知らないよね、兄さんは」
「美砂!」
美砂に「兄貴」と言われなかった。
俺を取り残し、逃げた小鳥のように玄関から飛び出していってしまった。
◇ ◇ ◇
自室のドアに思い切り蹴り込んだ。
あいつ、くそっ!
あいつというのは、東城なのか美砂なのか。
きっと両方なんだろう。
なんでこんなに腹が立つのか。
実は自分でもよく分からない。
俺の親友が俺の妹に好かれ、そいつも俺の妹を好きになる。そういうことは本当なら俺も嬉しい。
しかしどうして嬉しくなれないばかりか、逆にムカつくのか。
東城には春菜という彼女がいる。
それを知ってて妹が東城を好きになったから?
東城には春菜という彼女がいる。
なのに俺の妹にキスをして、その気にさせてしまったから?
このままでは美砂が不憫だから?
これだけでは釈然としない。
こんな単純な話ならここまで熱くならない。
じゃあ、なぜ…
「妬いてるの? 自分の妹に」
妬いてなんかいるもんか!
こんなとき、一番相談しやすい相手といえば東城だ。
しかし、よりによってあいつが当事者だなんて。
俺は一体だれに悩みを打ち明けたらいいのか。
春菜?
絶対できない。
かすみ?
ダメだ、かすみとはこういう話はしたくない。
まさか、親?
ありえない。
俺は知り合いやクラス全員の顔を思い浮かべたが、誰もいなかった。
東城は美砂が可哀想で、わざわざ来てくれた。
慰められて、美砂の方から抱きついた。
成り行きでキスをした。
「何にも知らないよね、兄さんは」
知らないことって何だよ。
それ以上のことがあるのかよ!
じゃあ、そうなった原因は?
東城が悪いのか?
美砂が悪いのか?
原因を作ったのは、あの日音信不通になった俺…なのか。
勉強机の上に写真立てがある。
2年になったばかりの春、学校にあるチャペルの前で、東城と春菜と、そして俺の3人で写ってる写真。
撮った理由なんて単純だ。
スマホがあったから。
ただそれだけ。
自撮りよろしく、俺が腕を伸ばし、顔を寄せ合った3人は仲良くフレームの中に収まっている。
写真の中の3人は笑顔で、青春真っ盛りという感じだ。
春菜は東城の彼女なのに、俺にもよく気を使ってくれる。
中学からずっと3人でつるんできた。
あの2人を見ていると、俺も彼女が欲しいなと思ったこともある。
でも、3人というのが居心地よかった。
今だったら、3人ではなく、かすみを加えた4人で写ることになったのだろうか。
きっとそうだろう。
それは、俺がかすみを好きだってことを、東城も春菜も知っているからだ。
だから、この4人なら違和感はない。
きっと上手くやっていける。
でもここに、かすみでなく美砂が加わるとどうなる。
妹ではなく、東城が好きという美砂が加わると。
俺、東城、春菜、この3人の関係は木っ端微塵に崩れ去る。
4人目としてこの写真に加われるのはかすみだけなんだ。
美砂、お前は決して加わっちゃいけない4人目なんだよ。
そして、その引き金を遠くで引いちまったのは、この俺なのか。