第98話:来ない連絡
文字数 3,806文字
結局昨晩、東城からは何の連絡もなかった。
連絡する暇がないほど春菜と語り合ったのか、それとは真逆で、連絡ができないほど憔悴するような事態になったのか、あるいは、連絡しようにも夜中になってしまい遠慮したのか、それは分からない。
ただ、俺には「うまくいったに違いない」という、根拠はないにもかかわらず、どこか安心感みたいなものがあって焦りはなかった。
「うっす」
教室に入ると、待ち構えていたように穐山や慈乗院が寄ってきた。
ただ、今回の件、一部の信用できるクラスメートだけで行ったことなので、全員が意思を共有しているわけではなく、もちろん、担任のかえで先生も知る由もないことだ。
そのことは穐山たちもじゅうぶん承知しているので、待ち構えるといっても、目をぎらつかせて寄ってくるようなことはなく、さりげなく、目で訴えかけるといった感じでだ。
それよりむしろ、問題は東城の親だ。
東城に春菜のことを伝えたのが、2日前の晩。
そして翌日、朝は何食わぬ顔で学校に向かい、午後、授業が終わってから出発したわけだから、息子が戻ってこないことに気付くのは夜ということになる。
あそこの家は、確か親父さんは商社勤めで毎日帰ってくるのが遅いと聞いた。
母親は東京市内のデパートかなんかの外商の店員で、だいたい9時ぐらいにならないと戻ってこないという。
最初の1時間や2時間はともかく、夜の11時を過ぎてもなお息子が戻ってこないとなれば、さすがに心配するだろう。
その場合、警察や学校より、まずは息子の友人宅に探りの電話ぐらい入れるはずだ。
春菜が地元にいない今、いくら殴り合いの喧嘩をした相手とはいえ「うちのバカがお邪魔してませんか?」と真っ先に聞いてくるのは俺んチのはずで、俺のスマホはさすがに番号を知らないだろうけど、家電に連絡を入れてきた形跡はなく、母も何も言っていなかった。
東城を送り出したことは、俺を含めせいぜい10人程度しか知らない事実。
俺たちの知らないところで、東城不在をめぐって騒ぎが起きていなければいいんだが。
何か胸の奥に引っかかるものがあるが、確認のしようもないし…
東城、あいつは今、どういう状況なんだろうか。
「まだ分からん」
小声で2人にそう伝え、席についた。
穐山もさりげなく横の席につくが、カバンから教科書を取り出すのに紛れ、やはり小声で、連絡はないのか、と念押ししてくる。
「ないなあ」
俺はカバンの中に探し物が見つからないふりをしながら、普通の声でわざとらしく返事をした。
舌打ちする穐山。
そのまま紀伊國の方を向いて目配せする。
慈乗院はスマホを操作し、それが終わると同時に来栖や吉村が自身の電話に目をやる。
ワケを知っている者同士だからなおのこと、なんだか丸バレしそうな方法で、情報--とはいっても何もないんだが--は、浸透していった。
◇ ◇ ◇
鐘が鳴る。
数人の生徒が慌しく駆け込んでくる。
その後ろをついてくるように、かえで先生が入室してきた。
「起立」
御山の号令が響く。
「礼」・・・・・「着席」
がたがたと椅子を引く音が無秩序に響き、HRが始まる。
「はい。みなさん、おはよう。では、出席をとるわよ」
かえで先生は普通の表情だ。
東城のこと、バレてはいないようだ。
「穐山冴子さん」
「はい」
先生はああ見えて意外に顔に出やすい。
東城が不明になってると知ってれば、あんな顔はできないはず。
「朝戸靖子さん」
「はい」
ということは、家から学校には何も連絡がいってない・・・・・ということか?
「
「は~い」
「伸ばさない」
「はい」
まさか、学校通り越して警察に相談…なんてことなきゃいいんだが。
「
東城は以前、春菜と家出してる。だから今回も家出と思われんとも限らない…拙いな。
何しろ先日の俺との殴り合いが原因で、俺の親ともども呼び出しを受けているんだ。
これ以上「不祥事」を重ねるわけにいかないと考えるのは当然だ。
「織川姫子さん」「はい」「柏木踊子さん」「はい」「上川みさとさん」「はい」
東城の両親は、美砂とのことは例の呼び出しの一件で知っているはずだ。
春菜とのことはほとんど公認みたいなものだったが、美砂のことで疎遠になった、というか別れたと思っているままだろうか。
「紀伊國蓮花さん」「はい」「
来栖はどうして毎回ああいう返事なんだ。
そのたびに注意を受けていて分からないのか?
ま、そんなことはどうでもいい。
「
今は、桜川が呼ばれたが、欠席か。
次は椎名、その次はジェシカ。
慈乗院、
「慈乗院和歌男くん」「はい」
「えー、妹尾真知子さん」「はい」
ここで、どんな反応を示すんだろうか。
それで、ある程度は憶測がつくだろう。
「東城かお・・・ええっと」
「きょうは東城くん、休むという連絡がご自宅からありました」
横の穐山をちらっと見るが、平然とした表情だ。
ほかの連中はどうなんだろう。
俺の席は最前列で先生のまん前。
振り向いて確認なんてできない。
バレそうな表情をしてなければいいんだが。
「
休むという連絡があったということは、家の人は東城が不在ってことは知ってるわけだな。
そりゃ、当たり前か。
いったい、どういう理由で休むと学校に伝えてきたんだろう。
「紅村涼子さん」「はい」「
病欠なら先生も理由ぐらいは言うだろう。桜川のように。
だがさっき、東城の名を呼びそうになったとき、休むという連絡があった、とだけ言った。
気になる。何か知っているのか、先生は。
「山葉譲二くん」
東城のやつ、首尾はどうなんだ。
こちらから連絡するしかないのか。
「山葉くん」
昼休みになったら連絡するか。
いや、なんか落ち着かねー。
次の休み時間にでも
「や・ま・は・・・・・・くん!」
「す、すぐに連絡取りますっ!」
穐山はうなだれ額に手を当てている。
…抜かった
連絡するなんて、いったい誰に、何を連絡するってごまかせばいいんだ。
かえで先生はにこにこしている。
「あら? 誰に何を連絡してくれるのかしら?」
そりゃ、そう突っ込むわな。
先生は、答えを聞くまで次の生徒の名前を呼ばないわよとでもいうような雰囲気で俺の顔を眺めている。
笑顔ではあるが。
何て答える?
何て答えたらいい?
適当に名前を出すにしても、このクラスにいる奴じゃ意味が通じない。
美砂?
い、妹に何を?
そんなのすぐ墓穴るに決まってる。
焦りで汗が噴き出してきた。
頭が混乱する。
「仕方ないわね。朝から女の子のことでも考えてたんでしょ?」
ふう。汗が引く。
涼しい風が吹いてきたような感覚。
優しいかえで先生が許してくれたのでその場は収まった。
気をつけないと。
こんなんじゃ、授業中ももたないな。
が、ほっとするのもつかの間、右足のスネに激痛が走った。
隣席、穐山が思い切り蹴り込んでくれたのだった。
◇ ◇ ◇
<7月3日 休み時間>
1時間目の授業が終わると、さっそく俺は東城へ連絡すべく、青いサブバッグからスマホを取り出した。
携帯電話の持ち込みは可となっているが、休み時間以外は電源を切ることになっている。
側面のボタンを押して電源を入れる。
バイブレーションの後、準備完了。
さて、トークアプリのアイコンをタップしてというとき、来栖やレナーテたちが寄ってきた。
「連絡…ないのよね?」
レナーテが心配そうな表情で顔を近づける。
来栖も何か言いたそうな表情だが、珍しく、ぐっとこらえているようだ。
そうだよな。
言い出したのは俺なんだし、彼女たちも春菜や東城のことを思ってカンパしてくれているんだから、そういう意味でもちゃんと説明しないとな。
言ってみれば俺は窓口みたいなもんだ。
もちろん説明するような情報は今のところ持ち合わせていないが、それならそれで、「何も分からない」とこちらから伝えるのが義務だ。
しかし今ここで、1人や2人ならともかく、何人も集めてヒソヒソ話で伝えるのも逆に変だろう。
クラスのほかの連中に、何か企んでいるのかと思われちまう。
いや、企んでるんだが。
特に拙いのは、御山だ。
あいつにだけはこの計画、知られるわけにはいかない。
「わたし、メール送ってみようかな」
来栖がスマホを取り出す。
「貴様がもたもたしているから、他の者も気をもむのだぞ」
それを見た穐山がキッとした表情でこちらを睨む。
なんだか猛烈に不快だが、ここはぐっと飲み込み、俺が今から連絡をつけるからと、声を押し殺して伝える。
と、そのときだった。
メッセのアイコンに未読メッセージを知らせる赤いマークが表示されているのに気づいた。
アプリを開く。
差出人は……東城薫!
かなりの長文のようで、吹き出しは画面の大半を占めているが、それでも収まりきってない。
が、読もうとした瞬間、鐘が鳴り始め、早々と金剛が教室に入らんとしている。
10分の休み時間は、あっという間だった。
我に返り、諦めて電源を落とす。
バッグに戻そうとし、一瞬視線を感じる。
閉まってゆく教室のドアの隙間から、こちらを窺う下級生の姿が目に入った。
美砂だった。