第35話:恋敵の下級生・2
文字数 3,827文字
1年B組の教室。
このクラスも男子は10人に満たず、ほとんど女子クラスのような雰囲気だ。
女子に人気があるといわれる河合だが、それは主に上級生からのようで、同い年の女子クラスメートからは一人の同級生に過ぎない扱いだった。
クラスでの河合はむしろ目立たない部類に入り、ほかの男子生徒ともあまり話している様子はない。
午前中の授業も終わり、教室内では弁当を広げている生徒の姿もちらほら。
ここにいない生徒は学食へ行ったか、売店にでも向かったか、あるいは別の場所で食べているのだろう。
「ねえ、そのコロッケって手作り?」
弁当箱を覗き込みながら浅井が目を輝かせている。
「ううん。冷凍」
隣に座った美砂はバツの悪そうな表情で答える。
「今度、家庭部で揚げ物やるでしょ? わたしクリームコロッケ作ろうと思うんだけど、難しそうで」
「え? タカちゃんはクリームコロッケなの? チャレンジャーだねえ」
「普通のコロッケにしようかな」
「ジャガイモのコロッケに刻んだゆで卵と炒めたベーコンを混ぜると美味しいんだよ」
「へー、そうなんだ!」
部活が同じ2人は食事中も食べ物の話で盛り上がっている。
家庭部という名前からは裁縫のような料理以外の活動も思い浮かぶ。
事実、洋裁などもやってはいるが、やはり人気は料理で、手打ち蕎麦やお節といった凝ったものから、ケーキなど菓子作りにも手を広げている。
以前この学校には家政科があったため厨房器具も充実しており、そこが今の家庭科教室兼家庭部の活動拠点となっている。
「そういえばさ、揚げ物はともかくとして、文化祭で茶道部が茶店をやるじゃない。恩田先輩が言ってたけど、そこで使う和菓子を頼まれたんだって」
実家がせんべい屋の浅井がにこにこしている。
せんべい屋とはいっても、おじいさんが趣味で和菓子も作っているため、少しだけ扱いはある。
それが結構美味しいと評判で、そちらを買いに来るお客さんもいるらしい。
「タカちゃんの出番だねえ」
最後の卵焼きを口に運び、美砂もまだ見ぬ和菓子作りに思いを馳せているようだ。そして昼食も終わり、美砂は弁当箱を洗うため廊下に出た。
「あ、あの、山葉さん」
そのとき、河合が少しおどおどしながら話しかけてきた。
「え、何?」
それまでほとんど話したことのない相手だけに、美砂もいぶかしむ。
返事は少しつっけんどんだったかもしれない。
だが、妙に思いつめた表情の河合から、ちょっと教えて欲しいことがあると頼まれ、少しなら相談を聞いてもいいかと、渡り廊下のあたりに移動した。
話をするなら教室か、あるいはそこらへんの廊下でもよかったのだが、何となくほかのクラスメートには見られたくない気がしたため、人通りの少ない場所を選んだのだ。
美砂にとっても河合は一人の男子クラスメート以外の何者でもなく、むしろ、芯が細く、どことなく頼りにならない見てくれから、恋愛対象と見ることも当然あり得ず、それどころか、他人からそのような勘違いを受けること自体が心外、という存在だ。
そのため、誰かに見られたくないという意識が働いたのだろう。
河合にはかわいそうだが、決して彼の気持ちを考えての行動ではない。
相談の内容について河合は最初、「茶道部で使う和菓子」のことと語っていたが、話し始めても話の内容がどうも噛み合わない。
「用がないなら行くから」
休み時間も残り少ない。
人通りが少ないとはいえ、全くゼロというわけでもない。
さっきも隣のクラスの女生徒が通り過ぎた後、ちらっとこちらを振り向いた。
美砂は少しイラっとした表情を見せ、帰ろうとしたが、「実は…」となおも河合は食い下がる。
彼が本当に聞きたかったこと、
それは兄とかすみとのことだった。
山葉がかすみと付き合っているように見えるのは河合も知っていることだった。
部室棟の前で待ち合わせをしたりしていれば当然だ。
実は、河合はかすみのことが好きなのだという。
できれば付き合いたい。
だが、かすみの傍には山葉がいることが多く、告って玉砕したら恥ずかしいし、茶道部にもいづらくなってしまう。
告白するならするで、かすみと美砂の兄の現在の関係はどうなのか、姑息ではあるが教えてほしいと、そういうことだったのだ。
「ああ、そういうことなんだ」
それを聞き、美砂は表情には出さなかったが、心の中でほくそ笑んだ。
何かにつけ東城とのことに口を出してくる兄。
この前も夜の公園で、大好きな東城と敵である春菜の前で恥をかかされた。
確かに東城にはまだ好きと言ってもらってはいない。それは事実だ。
でも、私はまだ諦めないし諦めたくない。
好きになっちゃった相手にたとえ春菜というハードルの高い彼女がいようとも、私だって好きになっちゃいけない理由なんてない。
東城さんだって、いずれは私のことを…
しかし、仮に春菜の問題が解決したとしても、あの嫉妬深いシスコンのことだ。これからも邪魔されるのだろう。
そんなのまっぴらごめんだ。これは私の人生なんだから。
春菜のことはともかく、まずは目先の兄の余計なお節介をなんとしてもなくしたい。
それには兄の気を逸らす何かが起きればいいんだ。
私が誰を好きになろうと勝手じゃない。
邪魔をする兄の存在が鬱陶しくて仕方ない。
そして予期せず知ってしまった、兄がかすみを好いていながら紅村に断っていないという事実。
さらに、かすみのことを好いている第三者の登場。
これを使わない手はない。
私の邪魔をしたこと、後悔させてやる。
私の邪魔をする暇なんかないようにしてやる。
好きな人と一緒にいられない辛さを思い知らせてやるんだ。
そうすれば、私のことを邪魔する気力も失せるだろう。
「いいよ。全部教えてあげる。放課後、屋上に来て」
「え? 本当に? あ、ありがとう!」
こうして美砂は河合に兄とかすみ、そして紅村のことを伝えた。
好きだと言っておきながら、だらだらと紅村を切れない兄のこと。
かすみとは幼馴染で確かに好いているようだが、おそらくは手すら握ったこともないだろうということも。
そして、
「河合君、お兄ちゃんはまだ紅村さんが好きなの。
紅村さんもお兄ちゃんのことが好きだって、本人から直接聞いたから間違いないよ。
夏休みだって、お兄ちゃんは紅村さんと同じバイトだったり、花火にも行ったわ。
両てんびんに掛けられ、このままじゃ一ノ瀬先輩がかわいそう。
私だって、一ノ瀬先輩のことは小さいときから知ってるの。
そんな先輩が辛い目に遭うのなんて見たくない…
私だってお兄ちゃんには目を覚ましてもらいたいの。
そのためなら何でも協力するから」
情報を得るだけのはずが、力づけられ、みるみる表情に明るさが増してくる河合。
さっきまでのおどおどした感じなんて消えうせた。
ライバルの実の妹が言うのだから間違いなんてあるはずない。
それどころか味方にすらなってくれるなんて、望外の収穫じゃないか。
「それに、このままじゃ、お兄ちゃん、一ノ瀬さんと紅村さん両方から嫌われちゃう。そんなの、かわいそう‥‥」
ふっと、寂しげな表情を見せ、うつむいてしまう美砂。
百万の援軍を得た気分で河合は確信した。
こんな情報を教えてくれた美砂は兄思いの優しい子に違いない。
そして自分が一ノ瀬先輩に告白し付き合うことは、親切に教えてくれた山葉美砂に報いることにもなるのだと。
「頑張るよ」と語る河合に、チャンスは今しかない、美砂はそう付け加えるのも忘れなかった。
「私から聞いたってこと、もちろん言わないよね?」
上目遣いで訴えかける。
「うん、当然さ。本当にありがとう、山葉さん」
◇
◇
◇
そんなことがあったとは知る由もない山葉は、なおも2人のあとをつけてゆく。
やがて2人は花房神社の前にさしかかった。
河合は立ち止まり、かすみにひと言ふた言話しかけている。
どこか戸惑っている様子のかすみだったが、折れたのか、河合に誘われるがまま、あとに続いて入っていってしまった。
花房神社といえば、この周辺の中学生や高校生の間で知らぬ者はいない恋愛成就の神社だ。
ここで異性に告白すれば、その思いは必ず通じると信じられており、うそか本当か、市内にはそれが縁で結婚したカップルが何組もいると、女生徒が話題にしていたのを聞いたこともある。
かすみだって、この場所がどういうところか知らないはずないだろう。
俺はしばらく立ち尽くした挙句、意を決し、まるでストーカーよろしく神社入り口の鳥居に隠れ、2人の姿を探ろうとした。
「お~い、山葉。何やってんだ?」
そのとき、不意に後ろの方から声を掛けられた。
坂を下りながら俺の姿を見つけ近付いてくる2人連れ。
東城と春菜だった。
口内の傷は治りが早いため、東城はもうしゃべれるようになったようだ。
授業中は「まだダメです」なんてことをノートに書いて先生に見せていたが、偽装だったのか。
だがそんなことはどうでもいい。
俺は慌てて鳥居から離れると「お、おうっ」と努めて平静さを装って応じた。
「どうしたの山葉」
「誰か神社の中にでもいるのか?」
2人は矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
まさか、かすみが下級生と入ってったなんて口が裂けても言える筈はない。
「いや、靴の裏にガムが付いちまってさ。砂利にこすり付けて落としてた」
我ながら、とっさの出任せにしては上手く言えたと思う。
2人も何も疑うことなく、駅前での茶に誘ってくる。
もはや今日はここまでか。
河合とかすみはどうなったのか、俺は後ろ髪を引かれる思いでその場を離れざるを得なかった。