第19話:妹のホクロ
文字数 4,015文字
かすみを家まで送り、どこにも寄らずに家に帰った。
きょうは美砂が食事当番なので、買い物もなし。
しかも金曜日なので、あす、あさっては休みだ!
姫高は学校五日制を採用していないので土曜も授業があるが、それも隔週。
あすは、休める土曜日なのだ。
試験も風邪や荒天の影響で少しだけ先に延びた。
美砂は部活をしてからスーパーに寄り、19時ぐらいに帰ってくるから静かだ。
ま、今夜ぐらい、のんびり過ごそう。
カギを開け、玄関を入る。
しかしそこには美砂のこげ茶色のローファーがきちんと並んでいた。
帰ってるのか?
ま、いいや。
それならそれでメシが早くなるってもんで大歓迎だ。
大雨は体が冷えるほどの体感だったが、まだ7月。
これが9月なら台風一過の秋晴れみたいに少しは涼しくもなるんだろうが、夏は始まったばかりで蒸し暑い。
俺はカバンを居間のソファーに投げると、自室には向かわず風呂場に直行した。
こんな日にはシャワーを浴びてさっぱりするに限る。
さっさと制服を脱ぎ捨て、ドアの取っ手に手をかけた瞬間、自分が制服や下着を投げ込んだ脱衣かごのバスタオルの下に、美砂の制服が畳んで入れられているのに気がついた。
「げっ!?」
俺は声にならない声でうめいた。
普段、誰が先に風呂に入るのかは決めていない。
なので、入るときにはお互い部屋をノックして入浴することを告げてから入るようにしていたのだが、ウカツだった。
美砂が帰っていたことは分かっていたが、部屋にいるものだと勝手に思い込んでいたのだ。
これはヤバい。
こんなところでハダカのまんま鉢合わせしたら、殺されてしまう。
そりゃ、幼稚園のころはお互い特に何も意識せず一緒に風呂に入ってもいたさ。
でも、ヨソの家はどうか知らないが、美砂が小学生になって半年もたたないうちに、一緒に入ることを断られた。
「お兄ちゃんと一緒に入るの、もうヤだ」と言ってきたのだ。
結構ショックだったのを覚えている。
それからほぼ10年。
あいつは高校1年。
俺は高校2年。
どこをどう考えたって拙い。
美砂の胸は少しは膨らんだろうか、ヘソの右下にホクロがあったな、なんてことを考えてる場合じゃない!
俺は、直ちに脱出すべく、しかしゆっくりと、気配を感じ取られぬよう、脱いだばかりの制服に手を伸ばした。
が、その瞬間、すりガラスの折りたたみドアの向こうに、いきなり肌色のかたまりが現れた。
美砂だ! ハダカだ! 当たり前だ!
急に風呂から出る気になったのか、あるいは脱衣所にある何かを取るためなのか、そんなことはどうでもいい。
美砂が出てくる!
ど、どうする?
このまま逃げるか?
でも、俺の服は?
しかもこっちだってハダカだ。
前を隠す葉っぱすらないぜ!
「み…!」
「さ」という言葉は出てこなかった。
いや、出てこなかったのではなく、発する間もなかったというのが正解だろう。
ガラっという、折りたたみサッシ特有の音を立て、ドアは開いた。
俺はカゴの中の制服に手を伸ばした状態で止まっていた。
美砂は状況が飲み込めていないのか、完全に無防備な裸体を実の兄の前に晒している。
時間が動かない。
1秒が長い。
お互いの目が合った。
あとは、アニメやコミックであるのと全く同じ修羅場が訪れた。
その日、晩飯はなかった。
これはフカコーリョクであり、どっちが悪いという問題じゃない。
当然、覗こうとしてあの場にいたわけじゃないってことは、こっちがハダカだったってことで、美砂も分かっているだろう。
つーか、妹のハダカなんて興味ねーって。
まあ、どうしても善悪をつけなきゃならないとしたら、不注意だった俺ってことになるだろう。
でもそれだって100対0で俺が悪いんじゃないぞ。
せいぜい55対45だと思うんだが…な。
俺だってハダカ見られた被害者なんだし。
とは言うものの、兄にあられもない姿を見られた美砂がシャンプーやトリートメントのボトルだけでなく、洗面器や、でっかい風呂のフタまで投げつけてきた怒りは分かる。
こっちもハダカという恥ずかしさから思うようによけられず、全弾命中してしまい、あちこち痛い。
その後、美砂は無言で思い切りドアを閉めて部屋にこもり、俺は空腹だ。
台所に行けば美砂が買ってきた材料があるだろうから何か作ろうか。
あるいはデリバリーのピザでも取るか、外メシにでも出るか、コンビニ弁当にするか、それともジャンクで済ますか…
いろいろ考えたが、結局は俺がしばらく外出してホトボリを冷ますのが一番だということに思い至った。
まあ、お互いその方が思いっきり呼吸もできるってもんで、なんか俺が出てくってことに微妙に納得できない思いはあったが、まあいいだろう。
しかし、出かけるっていっても、一人じゃな。
本当はかすみに会いたいが、もう夜も9時を回り、いくらなんでも拙い。
こういうときに便利なのは東城だ。
スマホであからさまにしゃべるのも隣の部屋の美砂に聞こえそうなので、トークアプリで連絡を入れた。
都合が悪いなら、すぐに返事は来ないだろう。
だが、ものの1分で反応があった。
休み前なので駅前のカラオケボックスに春菜といるという。
「俺、ちょっち出かけてくっから」
この前の行方不明騒ぎもあったので、一応美砂の部屋のドアに向かって声をかけ、出かけた。
◇ ◇ ◇
彩ケ崎の駅は電車が折り返せるぐらいだから、元町の駅よりでかい。
市内電車も4方向から集まっており、小さいがデパートもあるし、ファミレスやゲーセンもそれなりに充実している。
東城と春菜はかすみの実家の蕎麦屋「香澄庵」にほど近いツタックスの中にいた。
そしてもう一人、レナーテがいたのは驚きだった。
「うい~っす」
3人は夜7時ぐらいから歌い続けていたそうで、半分脱力している。
「ま、駆けつけ3曲ってことで」
「山葉ぁ、いつものアレ、聞かせてよ」
「ヤマハの歌聞くの初めてね」
それぞれに歌の催促をされ、入店と同時に3曲といわず、10曲近くを一人で歌わされてしまった。
レナーテ・バックマンはアメリカ人だ。
本当なら自分の国のハイスクールにでも行ってるはずだったのだが、父親が軍人で太刀川の北にある横里基地に勤務しており、母と妹とともに日本にやってきた。
本国には大学に通う兄がいるという。
せっかくだから基地内のスクールではなく日本の学校に通いたいということで、留学生や海外帰国子女も積極的に受け入れている姫高に入学したのだ。
同じアメリカ人のジェシカ・ライジングサンという日本かぶれの子もN組にいるが、犬猿の仲だ。
レナーテは日本のことや分からないことは何でも自分で調べる主義らしいが、おせっかいなジェシカがいろいろ口出しし、しかもその情報が全くのデタラメあるいはレナーテを貶める内容だったことが何度かあったそうだ。
たとえば、コミックを読んでいる女の人には「フジョシデスカ?」と話しかければ喜ばれるとか、男2人組を見たら「ヤオイ」と挨拶するといいとか滅茶苦茶で、それが元でケンカになったというのがもっぱらのウワサだ。
俺はそのとき現場にはいなかったが、見たヤツの話によると、当然英語でやりあっていて「シエット」とか「ファ○ク」という言葉以外、何がなんだか分からなかったが「とにかくすごかった」そうだ。
22時半近くになり、いよいよ追い出されることになった。
融通の効く店だが、高校生がこんな時間にいるのが警察にバレたりするのは拙いってことだろう。
最後に4人でなぜか「君が代」を歌って、店を出た。
きょうレナーテは春菜の家にお泊まりだという。
日本の一般家庭を体験してみたいということで、社宅住まいで普段から仲のいい春菜に頼んだらしい。
俺は俺で、それなら国防軍官舎に住んでいる御山が適任じゃないかとも思ったが。
ま、どうでもいいや。
駅前で春菜とレナーテと別れた。
東城は俺が何か言いたそうにしてるのを察したのか、ファミレスで茶でも飲もうと誘ってくれた。
カラオケで何も食えなかったので渡りに船で快諾し、新しくできたばかりの「すかいあ~く彩ケ崎店」に行ってみた。
店に入ると一番奥の席に座った。
窓際でもいいんだが、通りがかった巡査や補導員に目をつけられたりするのも不快だったからだ。
ほどなくして、小柄で髪を金色に染めた女の子がオーダーを取りにきた。
胸の名札には「東城」と書いてあり、それを目ざとく見つけた東城が「きみも東城って名字なの? オレもだよ」「え~、そうなんですか、親戚じゃないですよね」「とうじょうって、じょうの字が城なのって珍しいから遠い親戚かも」などとちょっとだけ盛り上がったが、彼女も仕事だ。適当なタイミングでオーダーを取り、厨房に下がっていった。
「でよ、来栖のヤツがドジでさぁ。巻き添えってやつよ!」
「でも、あいつのメシを残さず食ってよく死ななかったな」
メシを食いながら、クラスの話や去年の夏合宿の話題で盛り上がった。
食器も下げられ、テーブルの上にはコーヒーが並んでいる。
「で、お前どうしたの今夜? メシって美砂ちゃんとかお前が作ってるんじゃなかったっけ」
「いや、それがよ…」
東城が理由を聞いてきたので、例のハダカの一件を話し始めた。
まあ、こいつとはこういう内容の話もよくするんで、何ら恥ずかしいこともない。
春菜に筒抜けになる可能性もあるが、それもまあ織り込み済みだ。
「そっか、で食いっぱぐれたってワケか」
「まあよ、そういうこった」
コーヒーをすすりながら、俺は面白おかしく説明した。
東城は肘をついた右手の拳に顎を乗せニコニコ聞いている。
「しかしよ、この歳になって妹の素っ裸を見ることになるとはね」
「あはははは、ヘソのとこにホクロがあってかわいいよな」
「……!」
一瞬にして気まずい空気が流れ、凍りついた。
東城が美砂のヘソの右下にあるホクロをなんで知ってるんだ。
こいつ、この前の大雨の晩、ずっと美砂と一緒にいたと言っていたな。
ま…さか
俺は一気に険しい表情になったのが自分でも分かった。
「おい、東城」